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かげらの子 31

 遠くに微かに滝の音が聞こえてきた時には、すでに辺りの空気がひやりと湿り気を帯びてきていた。道を逸れて遠くない距離なのにその雰囲気はがらりと変化している。  空気の中に紛れる冷たい水の感触に体を震わせると、それを窺うように宇賀が捨喜太郎を振り返った。  感情がないと思えていたその双眸が具合を聞くような素振りを見せる。 「いや、大丈夫だ」  そう答えてやるとあからさまにほっとした様子を見せて、迷いのない足取りで岩の向こうに姿を消した。  腹に響くような、ばちばちと岩を打つ水の音に後押しをされて、捨喜太郎は宇賀に倣って川辺に足を下ろす。川と言ってしまうには少々心許無い水量で滝壺もあって無いような物だったが、それでも見上げる位置から降り注ぐ冷たい水を見ると、神聖な物を見た時に感じるような心を感じる。  苔むした岩肌に飛んだ雫が玉になり、重さに耐え切れず撓って落ちる姿から宇賀に視線を遣ると、なんの躊躇もなく衣を脱ぎ捨てる所だった。  くすんだ布が剥がれて、先程まで乱暴を受けていたせいか赤い筋を幾つも残した白い肌は、山の深い土と深緑の色味の中では酷く異質で、頼りない肩から腕、細い腰、そして柔らかな丸みを見せる双丘とそこから伸びる直線的な脚部が見えるまで、捨喜太郎の目は宇賀に釘付けになっていた。  男達に嬲られた際、白い 白いと繰り返し思っていた肌は、ここに来るまで斜面を登っていたせいか仄かに血の色を感じさせる薄く儚い桜の色だ。  ぐっと捨喜太郎の喉が動き、唾を飲み込もうとしたのにうまくいかなかった。  酷く喉が渇いたような、飢えたような、そんな感覚に襲われて捨喜太郎は何度も繰り返すように首を振る。 「洗う?」  捨喜太郎の動きを不審に思ったのか、全裸になった宇賀が滝の下に入ろうとしたのを止め、その場を譲る為にくるりと振り返った。  長い洗い髪の端が肌を打つの目で追いながら、まるで夢遊病者のようにふらふらと水の中に足を浸ける。山の水の冷たさを確かに感じた筈なのに、捨喜太郎の意識がそれに逸れる事はなく、二歩三歩と胡乱な表情で見ている宇賀の方へと歩いて行く。  小便の臭いはきつく、早くそれを洗い流してしまおうと頭の隅では思うのに、それよりも先に宇賀に触れたいと言う欲求が思考の全てを満たして…… 「  ぁ、 」  粗い石の川床にふらつき、足を取られて倒れ伏してもそれでも捨喜太郎の足は止まらず、様子のおかしさを察知したのか宇賀が数歩後ずさった。

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