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かげらの子 30

「跡に尾きましたら、水浴びの出来る箇所に行きますんで、家に着替えを用意して待っとります」  何も口を挟む事のできないまま雰囲気で押し遣られる居心地の悪さを感じてはいたが、自分の体を見下ろして草と泥と男の放った尿で汚れた有様に何も言えず、捨喜太郎は木々の間に姿を消しそうになる宇賀を慌てて追いかけた。  さくりさくりと下生えの草を踏みながら、村の外には蛇が出るのではなかったか と、思い出して捨喜太郎は女子のように肩を小さく窄めて辺りを見渡す。だが怯えてみた所で宇賀の足は止まらず、こちらを気にする様子もない。  何か声を掛けようとは思っては見るも、凌辱を黙って見ていた自分に言葉が返る筈もない と、幾度も言葉を飲み込んだ。  汚れた足が斜面をしっかりと踏んで上って行く。  捨喜太郎の息が切れ、慣れない山道に体がついてこなくなりそうになった所で、宇賀はやっと窺うように少しだけ後ろを見た。 「  ぁ、の その、  」  木漏れ日の光を反射して、その瞳は本当に鏡のようだ。 「 ──── 何もできず、す すまなかった」  ぱちんと瞬いた目が人間味を産まれさせて、感情が僅かに零れた瞬間だった。 「情けなくて  すまなかった  」  自分の羞恥を晒してしまうのは酷く抵抗がある事だったが、捨喜太郎の口から零れ落ちたのは自身の不甲斐なさを素直に認める言葉だ。 「駆けつけられず  すまなかった」  ぱちぱちと幾度も瞼を下ろした後、宇賀は小さく小さく笑みを零した。 「助けられず  ────」  宇賀の笑みに押されるように謝罪の言葉を重ねようとした捨喜太郎の声を、宇賀が遮る。 「いいよ」  先程まで男達に穢されて、人としての尊厳を踏み躙られていたのを見過ごした相手に応えるには余りにも簡潔な一言に、捨喜太郎は続ける言葉を見失ってたじろいだ。  何故 と問いかける前に宇賀はさっと左手側を指差す。 「こっちに滝があるの、洗わなきゃ」 「や  」 「洗わないの?」  問い掛けは素直でそれが更に捨喜太郎の言葉を奪う。  更に謝罪を重ねればいいのか、  素知らぬふりして流せばいいのか、  何が良かったのか、  何が許されたのか、 「いや……洗う」  けれど宇賀から向けられた笑顔が胸の重苦しさを取り払ってくれたのは確かだった。

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