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かげらの子 39
捨喜太郎がこの村で過ごしていたら気付いたかもしれなかったが、残念ながら街での暮らしの長い捨喜太郎にその気配が何か気付く事が出来なかった。
「────捨喜太郎!」
名を呼ばれてはっとそちらに意識が向くと同時に、ぞわぞわとした本能の訴えに従ってそちらに向けて走り出していた。よく知らない下り斜面を走るなんて馬鹿な事を と思うのに、足は止まる事はない。
走るなんて滅多にない行動に心肺が悲鳴を上げて、息を一吸いする度に酷く痛んだが走り続ける。
木々の向こう、林の切れ目、ひょろりと背の高いのは先程名前を呼んだ伊次郎だ。
その姿目掛けて木々の間を飛び出すと、走った勢いを殺しきれずに草の上へと勢いよく倒れ込む。ぐるぐると回る視界と、踏み潰された為に立ち上がった青臭い草の臭い、それから痛い程の日差しが世界を包む。
「無事ですか⁉」
最初に感じた硬質な感じの声は焦りを滲ませており、捨喜太郎は怪我の有無を調べる前に繰り返し頷いて見せる。
喘ぐように何度も何度も呼吸をして酸素を取り込もうとするも、水の中に居るかのようにうまくいかずに汗だけがあふれ出て来るのを拭いながら「大丈夫です」と返す。
「そうですか、よかった」
そう言って林の方を見る伊次郎の視線の先を辿ると、ちろりと長い尾が翻って山の方へと帰って行くのが見えた。
カコカコ と木の当たる音を聞きながら、伊次郎の差し出してくれた手に掴まりながら立ち上がる。
「ここまでくれば、蛇は来ません。良かったですね、あれは毒を持っている奴です」
「あ ぁ、たす かりました 」
「姿が見えませんでしたので、どこに行かれたのかと」
「さん ぽ を 」
そう、最初は散歩をするだけだった筈なのに……と、捨喜太郎は小さく呻いた。極々小さなものだったのに、伊次郎はそれを見逃さなかったようで、細く軽薄そうに見える目を更に細めて考え事をするように首を捻る。
「明後日の話もしなくてはいけませんので、朝食を摂りましたら私の部屋に来ていただけますか?」
「は はい、俺も聞きたい事が っ」
小さく人差し指を立て、伊次郎は捨喜太郎の言葉を遮った。
「何の用ですか?」
振り返ると村の女達だ。
「お話していたのに申し訳ないです、祭りの……その、 」
女の一人がそう言いながら口を閉ざすと、その後ろでもじもじとしていた女がもの言いたげに口を開こうとして止めていた。
余程言いにくい事柄なのか……
「榎本さんも参加されます」
「 っ」
ざわ と女達の間に走った空気の奇妙さに捨喜太郎は怪訝な顔をした。
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