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かげらの子 38
「村には戻らないのか?」
随分とここで時間を過ごしてしまった、村の者達はもう日々の仕事に精を出している時間だろう。そう考えながら言った言葉に、はっとなって捨喜太郎は口を押えた。
長い洗い髪はぴくりと揺れないままで、さわさわと葉の擦れる音と蝉の音が煩いだけだ。
「うが、送っていけないから」
振り向いた宇賀の表情は読めず、悲しんでいるようにも困っているようにも……無表情のようにも感じ取る事が出来た。
小さく首を傾げるのは、宇賀なりの別れの挨拶だろうか?
「や 待 ……」
止めた所で余所者がどうと出来る事もない と、言葉が切れて沈黙が落ちる。
宇賀は捨喜太郎の言葉が続かないのを見届けてから、腰につけた小さな袋の中身をかちかちと鳴らし、今度は振り返る事もなく更に山の上の方へと行ってしまった。
耳が痛い程の蝉の鳴き声が聞こえるのに、酷く静かだと捨喜太郎はその場に立ち尽くして思う。
二人で座り込んでいた岩ももうすでに濡れている痕跡もなく、宇賀の姿が消えてしまうとなんだか起きているのに夢を見ていた気になって、頬を小さく叩いてみる。
僅かな痛みは宇賀が幻ではないと教えてくれてはいたが、あの存在が何だと言われれば答える事が出来ない。
村人 としては、紹介されなかった。
この閉鎖された空間においてそれが何を意味するのか、街から来た捨喜太郎には到底理解できる物ではなかったけれど、どう言った物かは分かる。
『おめが』の書かれた数少ない文献を何度も繰り返し読んだ。
男なのに後ろが濡れる、
男なのに精を欲しがる、
男なのに子どもを孕む、
人であるのに、発情する。
その性質を持つ人間が集落でどう扱われて来たか……
人ではなく、その村の娯楽の一つとして、
閉鎖空間での膿んだ感情の行き場所として、重用されていた事実を……
山を下る内に妙な気配に包まれている事に気が付き、捨喜太郎ははっと足を止めた。周りは時折風に吹かれて聞こえる葉の音と蝉の声、それから跳ね上がった自分の脈の音だけだった。
何が いる とは言えない。
けれど確かに何かの圧を感じる。
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