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かげらの子 45
背表紙の文字がこのひやりとした緊張感を破る声を上げてくれる訳ではないが、それでも縋ってその中の一冊に手を伸ばす。
「 っこちらの本、興味が湧きましたのでお借りしてもいいですか⁉今すぐ読みたいので!伊次郎さん!また改めてお話をお聞かせください!」
捨喜太郎自身、久しく出た大きな声に驚いていた。
手に触れた本を掴み、ぽかんと見上げている二人にそれぞれに頭を下げて伊次郎の部屋を飛び出す、引き戸を潜った際にじっとりと背中に感じた視線にまずい物を感じだけれど、振り返る勇気は捨喜太郎にはなく、逃げるように部屋を飛び出して行った。
どたどたと年に相応しくない足音が遠ざかって行くのを聞きながら、伊次郎が乏しくなった表情を歪めて当てつけのように呻く。
「 祭りの、段取りを教えようと思っていたのだが」
「夕餉の時にでもお出来になりますよ」
相変わらずにこにこと人好きのする笑みを浮かべて、留夫はそう言って伊次郎の前に膝を着く。すっかり腰を据える態度の留夫に、伊次郎は冷ややかな視線を向ける。
「使いの者を待たせているのだろう」
「いえ、きっと今頃痺れを切らしてお帰りになられている所でしょう」
伊次郎とは正反対の笑みを崩さないまま、留夫は二人の間に置かれたままの提灯を手に取り、弄ぶようにそれを広げたり畳んだりを繰り返す。
月の満ち欠けの様に丸くなったり細くなったりするそれに釣られる様に、ゆっくりと留夫の笑みが消えて行く。
「 説明する必要もないでしょう」
「…………」
「あの人がこれを使う事はありませんよ」
笑みが消えると急に老け込んだ様に見える顔で、留夫は小さくそう告げた。
窓辺に凭れて、伊次郎の部屋から拝借した本に視線を落とすと、可愛らしい赤いほっぺの女児がこちらを見返していた。捨喜太郎の手の中にあるそれには「教本」と書かれており、中を開けば文字の書き方や読み方がこれ以上ない程丁寧な描写で描かれている。
「子供用の……習い本……だな」
草臥れ、使い込まれた感じのあるそれは、捨喜太郎が興味を引かれたと言うには些か幼稚過ぎる本だ。あの状況下で退室の理由が幼児向けの本だなんて……と思うと、捨喜太郎は唸り出したくなる程恥ずかしかった。
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