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かげらの子 87
だが幸いと、あれ程出ると言われていた蛇は気配すらしない。
村の人間に言わせると先神の御加護だが と捨喜太郎は唸った。
自身の経験を受けて、この山に蛇がいないと言う事はないだろう と。
「宇賀、蛇は出てこないのか?」
「へび?」
「沢山いると聞いた、毒を持つものもいるのではないか?」
そう言うと宇賀はおもむろに立ち上がり、腰の帯に括り付けている古ぼけた巾着を示して見せる。
「これがあると、へびは来ないの」
「これは……守りか?」
「まもり?」
きょとんと返されて、捨喜太郎はなんと説明をしたものかと言葉を探した。
「神様から……授けられた…………加護、だろうか」
「加護」の言葉を嚙み砕こうと考えたがすぐに言葉が出ずに小さく唸る。
「祝福 だな」
するりと出た言葉が気に入って、捨喜太郎は満足そうに自分自身の言葉に頷くが、宇賀はやはり不思議そうな顔をしたままだ。
「宇賀がここを行き来できるのは、この守りのお陰なのか」
捨喜太郎は触れると嫌がるだろうか と思いながら、窺うようにそれに手を伸ばした。
破れていないのが不思議な程の古びたそれは、捨喜太郎の指先が触れると中身が動いたのか小さく軽い音がする。
「──── ぃっ」
指先に突然走った違和感に声を上げ、弾かれたように手を引っ込めると捨喜太郎同様驚いた表情の宇賀が慌ててどうしたのかと尋ねてきた。
捨喜太郎は自分の指先を月光に晒し、矯めつ眇めつ眺めてから緩く首を振ると、宇賀にも良く見えるように指を限界まで広げて目の前でひらひらと振って見せる。
「いや、何か痛い気がしただけだ。木の棘でも刺さっていたのかもしれない」
宇賀に見せている指はこれと言った違和感もなく、動きを遮る感覚もない。
けれど先程確かに感じた刺すような痛みは鮮明で、何かに噛み千切られたかのような感覚は何だったのだろうかと捨喜太郎は首を傾げる。
「……きっと神経が高ぶっているせいだろう」
気を張り詰めているせいで、些細な痛みを大袈裟に拾ってしまったのだろうと自分に言い聞かせて、「大丈夫だ」と安心させるように声を掛けると、心配の表情で身を屈めた宇賀の腰の巾着から、かし と乾いた音が聞こえた。
それの中身を問う事も中身を確認する事も容易だったが、何故かそれに触れてはいけないような……先程の痛みは忠告だったような気が振り払えず、捨喜太郎は何も聞かないまま礼を言って宇賀を再び傍らに座らせる。
「しんぱい 」
大丈夫と返したのに宇賀の表情は曇ったままで、心配を払拭して見せる為に捨喜太郎は先程痛みを感じた指先で柔らかなな曲線を描く頬を擽った。
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