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かげらの子 86

 宇賀に呆れられたくはないと言うその一心で、必死にその後に追いすがるように足を動かしてはいるが、気を抜くと石に蹴躓いてしまう。 「少し、やすも?」  「大丈夫」ともう一度返して足を上げたが、倒木に引っ掛かってつんのめりそうなった事で、緩く首を振って項垂れる。 「  すまない」  情けなさに顔を上げる事が出来ないまま柳のように頭を垂れる捨喜太郎の傍らに宇賀は座ると、その手を取って緩く首を振り、嬉し気に微笑んでその肩に小さな頭を寄せた。  そうするとさらさらと絹のような黒髪が流れ落ちて宇賀の額に掛かって顔を隠すので、捨喜太郎は柔らかに曲線を描く額に沿ってに手を動かし、自分を真っ直ぐに見つめる瞳に微笑み返してから口付ける。 「んっ  は、……はぁ  」 「人の唾液が、甘い物だと知らなかったな」  ちろりと舌先で唇を擽ってやると、宇賀は恥ずかしそうに首をこてんと倒して分からないと返事を返す。その拍子に、首元にぐるりとついた赤い擦過傷が見え、捨喜太郎は宇賀の扱いを思い出して眉根を寄せた。  縄で首を繋がれるなんて、それはまるで畜生の様ではないか と。  家畜のように扱われ、種付けを待つなんて事は、あってはならない と。  そして結論として捨喜太郎は、ここに宇賀を置いてはおけない と強く感じた。  あのお授け物の一つである香が薄まり、互いの頭が冷えたのを見計らって二人であの場から逃げ出したのは四半刻程前の事で、どうして窓が開いたのかは分からなかったが、捨喜太郎はその機会を逃す手はないと藁縄を切りその窓から外へと抜け出し、人の気配のある村ではなく雄雌蛇のいると言う山の方へと逃げ出したのだった。  街に続く駅への道は村側にしかなかった為に今後をどうするかに捨喜太郎が頭を悩ませていると、この山を自由に行ける宇賀が湖の水位が下がれば出来る道を使えば村を迂回できると言い出した。 「この上に、あるんだな?」  夜半の山中の恐怖を振り払う為に、しっかりとした言葉をもう一度聞きたくて宇賀に確認すると、宇賀は気を悪くするでもなく素直にこくりと頷いた。 「多く多くといわれたから、今ごろ道ができてる」  指先を山頂の方に向けて宇賀は嬉しそうに笑う。  捨喜太郎はそう言えば、伊次郎がそんな事を言っていたな と記憶を手繰りながら相槌を打ち、宇賀の示す山頂の方へと目を向ける。月が出ているとは言え夜の山は木々のせいで闇が深く、逃げる必要がなければ足を踏み入れる気など起きない程、不気味に静まり返っている。

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