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かげらの子 98

 怒りで震える村人達にこの言葉のどれだけが届いているのかは定かではなかったが、捨喜太郎は一気に言い終えては と息を吐いた。額から垂れた血が口の中に入り、鉄錆の吐き気を催すような気持ちの悪い味を押し付けてくるのを感じながら、遠くからもう一つ松明がやってくるのを視界に入れる。  伊次郎だろうか?  今、この場に顔が見えないのだからその可能性は高いだろうと、血が流れ込んだせいで上手く開かない目を何度か瞬かせた。  この村の長が来たのなら、村人を諫めてくれるかもしれない と一縷の希望に宇賀を抱く手に力を籠める。 「  ……そんな事はございません、全ては先神様のお力があっての事で……」  留夫の表情に変化はなく、逆にそれが仮面のようで…… 「先神は、  ────雄雌蛇は神なんかじゃない、あれは、ただの バケモノ だ」  捨喜太郎のその言葉が、留夫の仮面を引きはがしたきっかけだった。  『   ────気を取り戻すまで一月、更に体を起こせるようになるまで一月、 』  文字を追っていた手が止まり、不自然に日付の跳んだ頁でシャッターを押す手が止まる。しずるは前の頁に戻って日付を確認しては戻り、それが裏表の一枚の紙に書かれている事から、何枚か途中の頁が抜け落ちているのではない事にぐっと唇を噛んだ。  これを書いた人はこの期間、日記を書けるような状態じゃなかったのだ と、跳んだ先の日付の出だしを見て思う。  ──、──、──、  瀬能からの呼び出し音にはっとなって飛び上がる。 「────はい」 「あ、どうかな?もう引き伸ばしも限界なんだ、応接室に今すぐ持ってきてくれない?」 「えっちょ  まだ  」  「どうかな?」と尋ねたのならこちらの返事も聞いて欲しいと思いながら、いつもの通り一方的に言って一方的に切れてしまった携帯電話を見詰めた。 「……しかたない、か 」  そう言うとしずるはカメラを傍らに置き、ノートの頁を傷つけないようにゆっくりと捲った。  少しでも乱暴に取り扱うと解けてしまいそうな古びたノートを慎重に重ね、それを胸に抱えて応接室へ向かう。やはり目が回りそうになる程入り組んだ廊下を行き、白く変哲のない扉ばかりの研究所内に、そこだけぽっかり取ってつけたように飾り気のある扉を持つ応接室をノックする。

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