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かげらの子 99
「失礼します、お持ちしました っ」
咄嗟に顔を伏せてしまうのは、それが礼儀だからだ。
「ああ、急がせて悪かったね」
「いえ……」
「この度は大変申し訳ありませんでした、手違いで大事なこちらのノートまでお預かりしてしまって」
そう言うと瀬能はしずるからノートの束を受け取り、向かいのソファーに座る人物に向かって差し出す。
「いいえ……手元に戻ってくればそれで……」
本当に嬉しそうに言ってノートの表面を撫でて、ぺこりと頭を下げるとさらさらと黒髪が肩から零れ落ちてその横顔を隠し、しずるはほっとして視線を戻した。
烏の濡羽色の髪に、凪いだ湖面のような目が印象的で……そして、髪で隠れた口元には白い肌には似つかわしくない赤い痣が見える。その為に顔に視線を遣るのが憚られて、しずるは退室の挨拶に紛れさせて頭を下げると、そのままそちらを見ずに応接室を後にした。
先程までいた瀬能の個室に戻り、デジタルカメラをいつも置かれている位置に戻していると、追いかけるように瀬能が部屋に入ってきて「参った参った」と呻きながら投げ出すように椅子へと腰を降ろす。
きぃきぃと可哀想な程の軋みを上げる椅子を慮る事なく、瀬能はしずるに先程のデータを出すように告げた。
「あ、全部は撮れてないんですよ」
「ええー⁉えー……あれだけ苦労してやっと入手したのにぃ」
そう言うと瀬能は萎れるようにデスクへと突っ伏し、しずるに恨みがましい目を向ける。
「手違いを装ってさー、誤魔化し誤魔化しさー、あっちこっちに手を回して、業者に潜り込ませたりとかさー」
「それってやばい奴じゃないですか?」
「……いやいや、研究の為だから」
「答えじゃないですよね?」
そう詰め寄ると、まるで小さな子供のようにぷいとそっぽを向いてしまった。
Ω研究の為ならば大神とも親しく出来るような人間だ。人の良心などなんとも思っていないのかもしれない。
「最後の方、写真には残ってないですけど覚えてますよ」
そう言うととんとん と自らのこめかみを指先で叩いて示す。
すると先程まで拗ねるようにしていた瀬能の目がきらりと煌めき、素早い動きで引き出しのボイスレコーダーを取り出してしずるへと突き付けた。
『 ────気を取り戻すまで一月、更に体を起こせるようになるまで一月、 』
そして、起きてここに戻ってくるまでには更にそこから半年以上が経っていた。
捨喜太郎は痛む足に顔を顰めながら芽吹き始めた周りの草に埋もれるようにある道を、杖に縋りながら一心に進んでいたが、一抱え程の大きな石を見てその足を止めてくしゃりと顔を顰める。
以前はここに宇賀が隠れていたが……と、淡い期待を持ってゆっくりとその石を覗き込む。
けれどそこには人処か、誰かが草を倒したような痕すらないただの地面でしかない。
「…………うが 」
そう呻いて捨喜太郎は痛みに歯を食いしばるようにして一歩踏み出した。
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