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 四代続いた旅館を自分の代で潰してしまうのではないかと、白根はずっと悩んでいた。  幼い頃は見よう見まねで母と一緒に客の出迎えをしたり、風呂掃除を手伝ったり、無理して運んだビール瓶を落として割ってしまい、五つ年上の敬子にこっぴどく叱られたこともあった。馴染み客には「泰ちゃんは立派な跡継ぎになるね」と褒められ、自分はいつか旅館しらねの主人になるのだと当然のように思っていた。  日常が少しずつ綻びをみせてきたのは、やはり思春期に差し掛かる頃だった。近所の旅館の長男が結婚し、程なくして赤ん坊が生まれた。「お嫁さんは気だてが良いし男の子もできたし川本さんのところは安泰だね」と両親が話しているのを聞いて、胸の奥がざわついた。中学校では同級生が気になる女子の噂をしていたが、白根はまったく興味が持てず、自分の理想が高すぎるのかと思っていた。  商業高校に進学した白根は、同級の男子生徒に目がいくよううになった自分に気がついた。陸上をやっていて高校総体を目指していた彼は、大店の息子なのに簿記が壊滅的に苦手だった。教室の座席が隣になったのがきっかけで、白根は彼と放課後に課題を一緒にやるようになった。トラックを疾走する彼はサラブレッドのように美しかったのに、数学や会計の教科書を前にすると情けない表情になってわからないを連発する。白根は根気よく説明してやり、髪をくしゃくしゃにしながら問題集に取り組む彼の姿を盗み見ていた。  夜の自室で白根は彼の横顔や微かな汗のにおいを思い出して自慰をした。日焼けした逞しい腕に抱かれている自分を想像し、名前を口走りながら果てた。強烈な快楽のあとに残るのはもう二度とやるまいと決意するほどの罪悪感だったが、数日経つとまた彼の姿を想いながら自らを慰めるのだった。  高校を卒業したら白根は旅館の手伝いをするつもりだったが、担任の教師は彼の成績を評価して大学進学を勧めた。母は反対し父は泰がどうしても勉強したいなら止めないと言った。白根は悩んだ末に受験を決意した。勉学よりも東京への純粋な憧れが大きかったが、後輩の女生徒と初々しい交際を始めた同級生への思いを断ち切りたいのもあった。  首尾良く商学部に合格した白根は単身上京した。期待と不安が入り混じる生活のなかで、とある勉強会に誘われた。資本主義を批判的に再構成するというテーマだったが、次第に反帝国主義とか労働者革命といった題目が話し合われた。旅館しらねは少ない従業員も家族同然だったから、経営者は労働者から搾取していると説かれてもしっくりこないどころか、両親が悪者扱いされているようで不快になった。しかしそれも資本主義に洗脳されているのだと批判された。  活動から離れようと考え始めた頃、勉強会に現れたのが松岡だった。

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