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日誌・22 旧家の伝承
月杜家に残る、最古の御伽噺は、このように語る。
この地には。
―――――その昔、一匹の鬼が棲んでいた。
鬼は、毛むくじゃらの巨躯であり、麦穂のような髪をしていたという。
推察するに、昔の日本では珍しい西洋人だったのだろう。
ただし、かの鬼は外見の違いから忌み嫌われたというようなことはなかったようだ。
穏やかな気性の、見識豊かな鬼は、人々から尊敬され、愛された。
無論、最初から受け入れられたわけではない。
鬼がいた村では。
誰からも愛される清らかな気性の娘が一人いた。
働き者でよく気が利き、謙虚で愛らしい。
はじめは、かの娘が鬼と村の人々を仲介し、結果、交流が深まったと言う。
かの娘がいたから、鬼は足を止め、村にとどまったのかもしれない。
いずれにせよ、好意的に鬼を受け入れた村は、発展を続けた。
発展すればするほど、閉鎖的だった村は開け、出入りする者が増える。
富み栄える者を見れば、明るい繁栄の裏側で、嫉妬を含む暗い感情が生じるのは自然の摂理。
意図せず周囲に生じた嫉妬と憎悪の矛先は、その地へ向かい、…ある日。
うずたかく積み上げられた負の感情が、祟りと化して犠牲を望んだという。
それは天変地異、自然災害をこの地に長くもたらした。
この未曽有の危機を乗り越えるため、人々は生贄を天地に差し出したという―――――ただし、誰も選びはしなかった。
立候補した者がいたのだ。
かの娘である。
ただ、生贄に捧げられた、と言っても。
何をどうやったのか、いくつかの古文書を見比べてみても、残っている記述はおぼろげなものばかりだ。
何が起きたのか、ただ、推察することしかできない。
はっきりと文章に残されているのは、生贄に捧げられた娘の身に起こった結果のみである。
明るく美しかった娘の容貌は二目と見られない醜い姿へ変貌し、代わりに災害はぴたりとやんだという。
ただし、その醜悪さに変えられたものは、天変地異をも起こす災害だ。それだけで済んだなら、僥倖とも言える。
なにより、自然災害をたった『それだけ』に変えることができた娘もまた、稀有な存在だったに違いない。にもかかわらず。
あまりの醜悪さに、彼女は石を持って追われるようになった。
それを見た鬼は。
娘を哀れに思い、―――――己が妻とし、生涯、大切に慈しんだという。
これが、月杜家のはじまり。
即ち、月杜とは、―――――憑き守り。
祟り憑きを守るもの。
以来、血筋の中に驚くほどの醜悪さを持って生まれる者がいるという。
天変地異を起こすほどの災害は、月杜家の血の中に溶けたが、少しずつ少しずつ、膿を出すように外へ出て、時代を経るごとに薄くなっているのかもしれない。自然の浄化作用と同じように。
とはいえ、それらすべて、今となってはおとぎ話である。
どこからどこまでが本当の話かは分からない。鬼だの祟りだの、カビくさい伝承の中にしかもはや存在しないものだ。
ただ、そうとしか言葉に変えようがない現象が実際にあるのも事実。
雪虎の持つ体質は、その娘と同じ。
祟りの性質を示している。
いつだったか、秀の父はこういった。
―――――雪虎。あれが、月杜家の意味だ。
羨ましい、と言いたげに、秀を見て。
その眼差しを思い出しながら。
秀は、雪虎が消えたドアへ手を伸ばす。怪我をしているほうの手だ。触れる、寸前。
ぴたり。止まった。
それが禁忌であるかのように。
すぐ、手は降ろされ。握りこまれた。
諦めながら、諦めきれないように。
その時。
遠慮がちに、離れのドアがノックされた。
ゆっくり、秀は身体ごと振り向く。ドアが開いた。
長いスカートの、古風なメイドの衣装を着た若い娘が顔を出す。
秀と目が合うなり。
目を瞠った。身を竦ませる。
直後、びしりと姿勢を正した。
隠しきれない緊張を身にまとい、あとから続いたもう一人と共に、慌てて頭を下げる。
「お食事を、運んで参りました」
二人が手にした、お重を包んだ風呂敷やお盆に乗った急須を、秀は一瞥。
「ご苦労」
ねぎらいの後、すぐ、手を横に振った。
「…悪いが、必要なくなった」
メイド二人は、一瞬、目を白黒させる。された命令を即撤回されたのだ。そうなるのも無理はないが。
月杜家で働く者としては、―――――若干、反応が鈍かった。
秀の声が、普段より少し、低くなる。
『二人とも、そのまま、下がれ』
刹那。
二人の顔から、惑いが消えた。次いで、目から、感情と言う感情が消える。
彼女らは即座に頷いた。踵を返す。従順に。操り人形のように。
―――――命令を、実行した。
扉が閉じるのを、秀は何の感情も浮かばない目で見遣る。
これが、月杜の当主の証。祖たる鬼が持っていたという力だ。
放った言葉通りに、相手を従え、実行させる。
そして、残念なことに、その力を制御する方法はなかった。
ゆえに、月杜家の当主は孤独だ。
その性質上、誰かと本当に愛し、愛されることはない。
なにせ、…言い切れないからだ。
相手の行動が、自身が放った言葉の結果でない、とは。
秀のそれは、ことさら、強かった。
その強制力は、代々衰え、先代は人ひとり従えるのでも相当な消耗をしていたというのに。
秀と言えば。
複数を同時に、どころか。
ある建物の中にいる者全員を、その意思に容易く従わせることができた。声さえ届けることができたなら。
意思をもたない植物や動物ですら、例外ではなかった。
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