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日誌・68 蔵
× × ×
「罰って…蔵掃除かよ…いや、ですか」
子供へのお仕置きだろうか。そう思っても仕方ないような罰だ。
ホテルのロビーで会った後、外に出た雪虎は、そのまま秀とさようならしようとした。
顔は見せた。用は終わった。なのに。
―――――罰がまだだね。
(それ、その場しのぎの台詞じゃなかったのかよ)
呆れたが、変に真面目なのが秀だ。
結局、月杜の屋敷まで車で同道し、現在。
月杜邸の庭を横切り、蔵までの道のりを二人で歩いていた。
年季が入ったランタンを手に、先を行く秀が、前を向いたまま言う。
「トラは清掃のプロだろう」
確かに。仕事だ。だが、
「古書や骨董品の扱いはよく知らないんですよ」
つい、唸る。
掃除しろと言われても、扱いが分からない、では話にならないではないか。
「とにかく、一度何があるか把握しないと」
月杜家の蔵に所蔵されているシロモノだ。この世で唯一、というものも多いだろう。
下手な扱いをして、失敗した結果、二度と元に戻らないなんてことになれば、目も当てられない。
いろいろと調べたり、人に聞いたりと言った作業が、まず必要になってくる。
だから、雪虎は言った。まず、蔵を見せてくれ、と。
「私は調べ物があるから今夜も行くが」
ぽつり、呟いた広く大きな秀の背を雪虎は見上げた。
先ほどのホテルでの出来事を彼がどう思っているかは、うかがい知れない。
調べもの。
蔵で?
あそこには確か、古い、伝承の書物しかなかったはず。だが何を調べているのか、と気軽に聞ける仲でもない。
「トラは離れで休んだ方がいいのではないかね。疲れているだろう」
気遣うようで、まったく感情が滲まないせいか、こういう台詞も、…一歩間違えば嫌味とも取れるのだが。
なにせ、秀のことだ。
昨日。
あのように関わってきたということは、雪虎の状況など、雪虎以上に承知だろう。
その上での台詞と考えれば。
嫌味か皮肉。
だが秀は、―――――天然でもある。
結局、雪虎にとって秀は、本音が読めない、やりにくい相手だ。
とにかく秀は、雪虎が疲れているだろう、と言った。
疲れている?
…ああ、その通りだ。とはいえ。
疲れているのは事実だが、寝るタイミングを変に逃したのもまた事実だ。頑張って起きていたせいで、変に目が冴えている。
なんにせよ、それを素直に答えたところで、意味はない気がした。
結局、雪虎は秀の言葉には答えず、一番気になっていたことを尋ねる。
「なんで、情報屋と一緒だったんです」
情報屋、舟木翔平。あのトラブルメーカーは、今、どこにいるのか。
仕事の休憩中に電話をかけてみたが、出なかったのだ。昨日の態度が態度だから、気になって仕方がない。
よって。
風呂から出た後、蔵へ行くという秀に同道することにしたのだ。
もちろん、蔵へ行く理由は、中にあるものを調べるためもある。
だが、理由は、もう一つ。
そこに、翔平がいないかと思ったのだ。なぜ、人を捜すのに、雪虎は蔵へ行こうとしているのか。
それは後で話すとして、…秀はどう答えるだろうか。
もちろん、彼に尋ねはしたものの、雪虎には、なんとなく結果は見えていた。
「知りたいのなら答えるが」
振り向きもせず、秀は淡々。
「…本当に知りたいかね?」
たまに質問すれば、これだ。あらかた、予想がついていた雪虎は首を横に振った。
「いいえ」
だが、…確かに。
親と縁を切った雪虎は、月杜とのかかわりも捨てた身。不必要に月杜の事情に踏み込むのは、間違っている。
それに、一応は聞いたものの、翔平が秀の前にしょっ引かれた理由はどうでもいい。
知りたいのは、翔平が今いる場所だ。
雪虎は、知りたいことだけを自力で掴む。そのほうが、賢明だ。
それに、二人は今、浴衣の上に羽織を着た同じ姿―――――というのに、雪虎はチンピラ風で、秀と言えばきちんと旧家の旦那に見えるのだから、自覚ある落差に、並んで歩くのもしんどい。
できるだけ会話は、短めに済まそう。
ゆえに不自然にならない程度の距離を置いて歩く雪虎に、
「着いたぞ」
秀が声をかけた。
夜闇の中、黒々とそびえる蔵を見上げ、雪虎は唇をへの字にする。
子供の頃、この蔵は遊び場のひとつだった。
―――――だから、中にどんなものがあるか、配置図は頭の中に入っている。
(ここに、…情報屋がいなけりゃいないで、その方がいいんだけど)
引き戸を開け、秀は先に中へ入った。
ここにはこれ見よがしに、物々しい錠前がついていたはずだが。
「錠前はないんですか」
遠い記憶の中の光景に、つい、雪虎が尋ねれば、秀は壁の方へ向かいながら答えた。
「良くも悪くも、時代が変わったのでね。…セキュリティシステムを入れた。できれば余人に見せたくない場所だったから、月杜の息がかかった者たちだけで、ね」
―――――確かに、その通りだ。いつまでも錠前はない。…とは、いえ。
雪虎は、蔵の中の奥の闇に目をやった。
秀は、と目を戻せば、上の階へ向かうようだ。壁側に設置された木の階段の方へ向かっている。それにしても。
(セキュリティシステムは入れたのに、明かりは入れなかったんだな…)
天井の何か所かに、赤い光点が見える。あれが、セキュリティ関連の何かだろう。
だが、蛍光灯と言った、日常で使うあかりの器具は皆無だ。
立ち止まった雪虎には頓着せず、ぎしり、木の階段を鳴らして上へあがっていく秀に、とりあえず雪虎は声をかけた。
「会長。俺は、一階を一通り拝見したら、離れへ戻りますね」
ここからは別行動。言外に、雪虎は告げた。
階段途中にいた秀が、その時ようやく雪虎を見下ろす。ただ、ランタンの明かりが照らしたのは、彼の口元だけ。
見えない。目、や。…表情は。―――――なのに。
なぜだろう。闇の奥から向けられた、秀の視線、に。
ぞっと背筋が泡だった。知らず、血の気が引く。
「…好きにしなさい」
すぐ、秀は顔を背け、階段を登って行ってしまう。いつもと同じ雰囲気で。
…しかし。
先ほどから、目を合わさないから、何か様子がおかしいと思っていたが。
(…怒って、る、な…)
冷や汗が噴き出し、心臓が変に弾む。
―――――大きく息を吐きだしながら、一瞬で強張った身体から、緊張感を抜いた。
(でも何に。俺に? )
雪虎がそんなに嫌なら、関わらなければいいのだ。
なのにいちいち、助け舟を出してくる。無視をすればいいのに。
雪虎はそんなことで恨まない。むしろそうしてくれた方が、どんなに。…気が、楽か。
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