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「おけーり」 「ハル」  咲野が部屋に戻ると、唯一長く続くただの(・・・)友人──春木が待っていた。  これといって約束をした覚えはない。  忘れただけかもしれないが、どちらにせよ今日はもうどこにも出かける気がなかった。  正面に立っている春木を見つめながら首をかしげ、咲野は「なんか用事?」と笑う。 「いーや? お前が盆暮れ正月でも帰らない実家にいきなり帰ったってことは、呼び出しなんだろうなって思って見に来た」 「そ。物好きなこって」 「俺お前の実家嫌いだもん。局地的に隕石落ちないかなって思ってっから」 「あは、岩を落とす方法を考えた方が建設的な願望だね〜」  世界を終わらせそうな顰め面で腕を組み舌を打つ愉快な春木。  その肩をポンと叩いて足を進める。 「今日はなんの話?」 「ん〜不法投棄の合法化について」 「は? なんじゃそら。議員の親戚が本家に振ってきたのかよ」 「うはっ。逆だよバーカ」  吹き出し、カラリと窓を開ける。  空は相変わらず目の覚めるような晴天だ。桜の花びらが散るような日。  なら他のものを気まぐれに散らせたって、桃色がうまく隠してくれるだろう。  窓枠に手をかけ振り返る。  部屋の中にいる機嫌の悪い真っ赤な髪の友人にヒラヒラと手を振る。  特別な友人だ。  彼は、確かに特別だった。  元々歪んでいた性根の形を咲野の形と瓜二つに揃えてくれていた男。  狂おしいほどの忍耐で体の関係を持たず口をつぐむ春木の恋心なんて咲野は知らないが、歪んだ春木を、唯一無二の、片割れにも等しい者だとは思っている。 「じゃ、バイバイ」 「──……っ!?」  その片割れに惜しむことなく淡白な挨拶をして、咲野はバルコニーに踏み出した。  執着しないのだ。  うまくできないとも言える。  質のいい木製のルーフバルコニーを大股でフラフラと迷うことなく真っ直ぐ進む。  ほんの数秒で生きどまる。  植物を踏みしめて手すりに手をかけ、ひょいと身を持ち上げれば、頭から前転するように転がって── 「あれ」 「ッの、バカッ、は、お前だろッ? 咲ちゃん……ッ!」  ──ドン、と。  コンクリートと出会う予定だったのが、気がつけばバルコニーのウッドデッキへ強引に押し倒されていた。  見ると、無粋な友人が咲野の腰を横なぎにタックルしたようだ。  冷や汗をかき青ざめた春木は、咲野が身を乗り出した途端駆け寄ったのだろう。 「は……っあぁっ、さき、咲、咲咲咲ッ、マジで挨拶みてぇに死にやがってッ……! ァイ、アイツら、アイツらがッ! アイツらがこんな生き物、作り出してッ! そして……ッ、……ッ」 「んー……?」  捨てた。  春木は臓腑がひっくり返る思いをした。  肝が冷えた。凍った。世界を失うような気分だった。止められないのなら、追って飛んだ自信すらあった。思考などなく。  その全てが、咲野にはわからない。  なぜ茶々を入れられたのかも不明だ。  自分の腹に抱きついてガタガタと震える頭を、手持ち無沙汰に指先でつついた。  変なの、と呟く。  止められるとは思わなかった。だから理由がわからない。春木なら笑って「行ってらっしゃい」と言うと思っていたのに。  絶望と焦燥で混乱し殺意と憎悪で気が狂いそうな春木が、ハッ、ハッ、と引き攣る喉で呼吸する。  しばらくそれを繰り返し、咲野の香りを吸い込み落ち着きを見せた春木は、ギュッ、と咲野の体を強く強く抱きしめた。 「っ……捨てられたんなら、わかりやすく泣いて帰ってきてくれよ。バカが……」  ふ、と薄く笑う。流石春木。  なにも言っていないのに全てを察して騒ぐこともなく、あれだけ不思議な取り乱し方をしてもすぐ順応する。  しかし難しいことを言う友人だ。  生理的なものならそれなりに流せるだろうが、感情的なものは流したことがない。産声をあげた時くらいは泣いていたと思うが。 「ただの絶縁じゃねーし。お前にとっちゃアレが世界だろ? お前、世界に捨てられたの。泣けよ。喚け」 「なんで? 捨てられたくらいじゃ泣かねーよ? 体を鍛えて生きてなきゃいけないルールもなくなったし、むしろイイ感じ」 「イイ感じなら、空とか飛ぶなし」 「えー」  いつも通りのくだらないやり取り。  顔をあげずボソボソと文句を言う春木の表情は読めないが、他の四人のように何事を大袈裟に取り立てないところが春木らしい。 「今日は、ゴミの日じゃなかったからなー……」  思考の漏洩。  本当はゴミ収集車の中に潜り込み、かき混ぜられてみようかと思ったが、曜日の関係でやむを得ずここへ来ただけ。  そう言うと、春木は「お前のカレンダーの金曜日は全消ししとく」と凶暴に笑った。

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