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07
「はっ……くそ、……こーゆーの許してやるシンユウの俺ですら、お前の理由になれなかった。唯一なってたのは、親父だけ」
「なんのりゆー?」
「生きる理由。お前はホント、反吐が出るほど一途だよなぁ。失恋した瞬間死ぬんだもん。命じられるまま、スペアとして体保って健康的に生きたりさ。でもそれ、俺はスッゲー癪なんだよ」
「一般的に俺、一途じゃないんじゃね」
「知るか。けどこの世の誰ももう咲の愛着を引き出せないなら、俺も聞き分けよく諦めをつけられるだろ?」
「ふーん。そんなもんなんね」
「うん」
春木は頷き、咲野が舐めた自分の指にキスをした。
目を伏せ、もどかしげに歯噛みする。
「だから、咲が愛せる可能性の高いやつら……お前がキレイさっぱり手を離そうとしてた、お気に入りたち」
「あー……四人、と」
「そ。わかってんならやっぱ可能性高ぇ」
「ふ。言っててなんか機嫌悪くなんのとか、ハルは俺を試してんの?」
「ちげぇし。バカ咲。そいつらの誰かを愛することができれば、お前の勝ち。できなきゃ、俺の勝ち」
ゲームのルールを説明してされしながら、クスクスとじゃれ合った。
咲野の脳裏にすぐに浮かんだ四人と、もう一人、咲野の手を掴んで仕返しに舐めている、春木もお気に入りだ。
咲野には春木の意図がわからない。
愛着の可能性が高いのは、五人。
今自分の指を舐めて勝気に笑うこの男を、愛することができれば、咲野は人形の呪縛から解放されるのか、と思った。
「っむ、ぅふっ……」
「ハル。じゃあ、ハルでいいじゃん」
だから春木の顎をつかみ、舌を親指でなでる。
けれど春木はその親指にガリッと噛みつき、ダメ出しをくらわせた。
「ぷぁ。っ……あんな、めんどくさいからってテキトーに俺選んだって意味ねぇんだよ。愛情ゲームだぜ? なぁ。他の四人より俺を愛してんの? この五人でこのバルコニーでさっきのお前みたいに落下しかけてるとして、お前、たった一人選べる助けに俺を選ぶ?」
「ん? ん、と……どうしても一人選ぶなら、一番近いやつ」
「クソ野郎め。じゃー俺でよくねぇわ」
ずいぶん難しいダメ出しをする。
咲野はきちんと脳内で五人をバルコニーの手すりに引っ掛けて、思うさまを正直に答えたというのに。
仮に咲野が春木を愛しているとほざいたとしても、愛するものとそうでないもので差がなく、執着もせず、失っても構わないなら、それは愛ではないと春木は説く。
「俺はお前のダチだっつっただろ。俺をバルコニーに引っ掛けてもしゃぁねぇの。ったく、真面目にどーぞ」
「大マジメですけど。いんじゃね、空中セックス。なんでもヤる子よ、俺」
「……別に男としたかねーよ。キスもセックスもしてねぇダチなの、俺は。ただのダチだから、形なんかいくらでも変えられるからここにいるけど、……それしたらもう戻れねぇし、やだ」
「ありゃ、キスとセックスしたら変わっちまうの? マジか。じゃー親父に変えられた俺は、やっぱどうしたって人になんねぇじゃん。しこたま実験したもん」
「ッだぁからそれがムカつくンで気に食わねぇあンの咲にラブってる男ら使って荒療治しようって魂胆なわけッ! マジで顔面ピーラーでこ削ぎ落としてイチモツ肉たたきでミンチにしてやりてぇくらいムカつくんだわ死ねよクソ産廃オヤジどもがッ! チッ、咲を飛ばせた野郎が壊した心、ゼッテェ探し出してやらぁ……ッ!」
隠していたゲームをする理由が八つ当たりらしい春木は、薄ら笑いを浮かべる咲野の手を握り咲野の父親を呪った。
春木が怒る理由はわからない。
春木は友情に厚いということだろう。
キレ散らかす春木をどこか遠くに感じながら、咲野は初めと同じように春木の手を握り返し、ぼんやりと可能性たちとやらの言葉を思い出した。
『咲……俺を、終わらせないで……っ』
翔瑚の言葉。
『咲がい、いねぇと、生きられない』
蛇月の言葉。
『私は、愛すらなにも、求めない』
理久の言葉。
『一人きりじゃ、生きていけないだろ』
今日助の言葉。
きっとそれらは誰一人として迷うことなく、バルコニーから飛び降りようとする咲野の手を、力強く掴むだろう。
「ま、もし人の心がお前の中に見つからないなら、最低な親友の俺が、クズなお前の全てになってやるよ。めちゃくちゃに抱いて、穿って、注いで……壊してもいいぜ」
そして事実引き止めた春木もまた、彼らと同じ、咲野に愛着を持つ不可思議な生き物である。
「ふっ……お前らって、さぁ……本当に、きれいなんだなぁ……」
どこか壊れそうなしたり顔で煽る春木から視線を外し、咲野は青いだけの空を見上げて、ため息のように声を吐き出す。
「……俺も、それ……欲しいなぁ……」
声のない啼泣というものは、きっとこんなふうに泣くのだ。
欲しい。欲しい。でも、届かない。
空洞の胸にコトンと当てはまる形を求めて、確かに変化する。
咲野が人の心を持っていたなら、微笑みを浮かべて泣いた今この瞬間、驟雨 の如く熱い涙を流したのかもしれない。
それは代わり映えのしない、よく晴れた春の日のことだった。
第✕話 了
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