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21(side翔瑚)
まさかあっさりやめてもらえると思わず、驚いた俺は、ポカーンと黙り込む。
それも気にせず暇そうに俺の前髪を指先でひと房つまんでいじいじと捻る咲野くん。
いやだって、いい……のか?
というかそんな嫌がられたらやめる程度の好奇心で人を捕まえて迫ったのか?
ますます理解できない。
その時の俺の心境では、咲野くんが宇宙人にでも見えていたと思う。
「てかさ、センセはどーして俺と目ぇ合わさねーの?」
現状に思考が追いつかない俺を置き去りに、美しい男はのんびりと口を開いた。
俺の腰に馬乗りになったまま、だ。
「いっつも俺を見ない。俺のことが嫌いなんだな。けど嫌いならハンパすぎね? 嫌いなヤツにも嫌われたくねーってそりゃ大人でも紳士でも平和主義でもねぇよ。ただの傲慢」
「っち、違う」
「違う? なら理由は?」
「そ、それは……」
この子は怒るでも悲しむでもなく、なんて平然と人の弱い部分を暴くんだ。
バツが悪くなった。
言い淀んだ挙げ句話を逸らそうと「手錠を外してくれないか」と言ってみる。
すると案外あっさりと叶えられ、つい「あ、ありがとう」と礼を言ってしまった。そのくらいあっさりとだ。
「どいたま」
「その、なんで繋いだんだ? 強姦しようってわけじゃなかったんだろうし……それなら普通に、聞けばよかった。聞かれても困るかも、しれないが」
「ん? センセが話をしないで逃げるかもしんねーから、一応?」
「そ、そんな理由でか……」
「そんな理由って大事じゃね。でもセンセはイイコだったから別にもういいかなって。言いたいこと言ったし」
「っ、と……」
なんだ、咲野くんは未成年特有のおもしろ半分や浅はかさで人を詰ったりいたぶったりするわけじゃないのか。
妙に感心する。
だからと言ってその理由もどうかと思うが。逃げなきゃどうこうは洋画で敵に捕まった時に人質が聞くような理由である。
驚く俺の頭を、咲野くんはイイコと言って褒め柔らかくなでた。
それが俺には酷く新鮮に思えたことを覚えている。
褒められて触れられて、話をしたいと言われたことすら久しぶりだったから、単純に嬉しかったのだ。
──そういえば……咲野くんは、ずっと満点だったな。
振り払う気にならなくてされるがままになでられながら、ふと気づいた。
俺は家庭教師のくせに、咲野くんがこなした課題が満点であることがだんだん当然になって、褒めることをサボっていた。
急に恥ずかしくなる。
あれらは俺が出した課題だった。
自分より年下の子が多少変わってはいてもこうして自然体で接してくれているのに、大人の俺が〝あっち側〟だなんだと線引きをしていたのだ。
ス、と白い手が頭から離れた。
俺の隣に腰を下ろす咲野くん。
ナチュラルにスルリと腕を絡められて逃げ出したくなったが、罪悪感から我慢する。
あとになって思えば、咲野くんはそれらを全部わかっていたのだろう。
勝手に見た目で判断して線引きしたくせに身近に近寄ってきたなら好感度を上げる流され気質の俺の最低な部分を責めるでなく、咲野くんは利用した。俺と親しくなるために。
「咲野くん」
「サキでいーよ。長い」
「あ、あぁ。咲」
「ってかセンセー弱すぎなんだわ。筋トレしたほうがいいよ。せっかく背ぇ高いんだし、猫背治してさ」
「え、っひ、っ」
咲野 くん──咲 に背中をゾゾゾと指でなぞられ、変な声が出る。くすぐったさと気持ち悪さ。
だけどこんなにもキレイな男の子にコテ、と肩に頬を乗せて上目遣いに見つめられると、悪い気はしなかった。
声をかけられて構われたような気がして親しみを持ったからだろう。
錯覚だ。わかっているが、咲は仕草がどこか目を惹いて不快にはならない。
「センセの授業が終わったあとの時間は、俺がセンセに人の目の見方を教えてあげる。ずっと逸らされてると傷つくし? まずはこのクソダセェ髪型を変えねーと」
「っそ、それはいらない、いらない」
「なんで? 家庭教師の日の残り、ほんの二時間だよ?」
「人と目を合わせられない、人もいる、だからほっといてくれていい。俺の気持ちを無視するのは、勝手すぎる……」
「んじゃ別にいいよ。でもさ、その言い分だと俺に〝自分から余所余所しい塩対応取られてもお前が傷ついて我慢しろ〟って言ってんだよな?」
「!」
「ま、俺は傷つかねーけど。あはは」
──っ、また……!
また咲は世間の痛いところを笑って抉ったと、頭がクラクラしそうになる。
自己中心的な自分を見透かされて、自覚があるから苛立つのだろう。
変わったほうが自分にも周りにもいいと本当はわかっているのだ。
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