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24(side翔瑚)
数日後。
あれから初めて、咲の家庭教師に行く日がやってきた。
大学が終わればアルバイト。
四限目の授業を終えた俺は空腹なら夕飯を先に食べてから行くが、そうでないならその足で咲の自宅へ向かう。
トントンとテキストとノートを机で揃えてバックパックに押し込む。
この時の俺の心は、少し浮き足立っていた。
前に咲が選んでくれた服を着ていたからだ。
ロング丈のティーシャツに上品な仕立てのサマーニットを重ね着すると、中途半端な時期の季節感をうまく楽しみながら普段の俺よりラフで取っつきやすく感じた。
それに脱がせやすい、という言葉のとおり、ボタンを外さなくても重ねたまま取り払うことができる。
微かに耳が赤くなった。
普段は生地の緩んだジーンズを履く下半身には、伸びのいいスキニージーンズ。頼りない細い足がむしろ長く見える。
これなら少しは良くなったと褒めてもらえるかもしれない。
何れはもっとしっかりとした、年下の彼から頼りにされるような大人の男ぶりたいが……嘘は吐かない、か。
本当だ。
咲は俺自身もわからなかった、俺に似合うものを選んでくれた。
「……んふ」
無意識にゆるりと頬がほころぶ。
咲の見立てがピタリとハマったので、前向きになっていたのかもしれない。
根が湿気った俺にしては珍しくネガティブなことを考えずにただ喜び、早く咲に見てほしいと、胸を高鳴らせて帰り支度をしていた。──そんな時だ。
「なぁ初瀬さぁ、今日雰囲気違くね?」
「あー? 言われてみりゃそうかも」
終わった終わったと雑談をしていた派手な容姿のグループが自分の名前を出す声が聞こえて、ビクリと肩が跳ねた。
「なんかちょい洒落っ気出してるよな〜。けど顔面とオーラが初瀬のままじゃん? コーデのサイズ感とかデザインとか割と良さげなんがミスマッチでキメェ。さっきニヤニヤしてたし、ありゃ女だな」
「おっと陰キャがモテ意識してんのか? おせーわ。いい服着りゃいいってもんじゃねぇっての。ガリ勉野郎は弁えてろ、アハハ」
「おめーそれは初瀬がテスト順位一位だからって僻んでんだべ。初瀬かあいそー」
「っせぇな。そもそこまで興味ねーよ。アイツ影薄いし喋んねぇし」
「あーね。ま、害もねーからいいっしょ」
「つかどうでもいいのに暇つぶしに話題にしただけだろお前」
「大正解。てか昨日の夜さぁ」
「あー?」
それらは、なんでもない言葉だ。
本人たちはなにも考えていない。俺に悪意もなければ聞かせる気もなく、もし聞こえていても困らない。俺にどう思われようがどうでもいいから。
ただの感想。
だから、俺も気にすることはない。
バックパックを背負って、俺は駅に向かって歩き始めた。
ずっと軽かった足取りが異常に重くなったことも、大したことじゃない。
(……もし、買ってやった服が思ったより似合ってなくて、咲がガッカリしたらどうしよう……)
下を向いて歩いていると、前髪が視界の端で揺れているのがよく見えた。
真新しい服と違って履き古したスニーカーも、一歩ごとに目に入る。
(咲の仕立てじゃない本当の俺は、見向きもされないくたびれたスニーカー)
ガタンゴトンと揺れる電車の中で、席の端を選んで座った。
冷えた手すりが服越しに触れる。
脳が冷えていく気分になる。
虐められることすらない一人ぼっちは、影が消え去ってしまうのだ。
声の小さい臆病者は、言葉を話していないことになるのだ。
肝に銘じる。
自惚れてはいけない。
目を見張るほどキレイな男に少し構ってもらえたからと、分不相応な色気を出してはいけない。下を向いて歩いていればいい。
そう思った。
……そう、思っていた。
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