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34(side翔瑚)

 奇妙なたとえ話とともにつらつらと語られたのは、咲がどこからか学んだ〝理想の恋人のあるべき姿〟だ。  俺はまず目を丸くして、次いで掠れた声で待ったをかけた。  ゴク、と乾いた喉で唾液を飲む。  綻んでいた頬は引き攣り、行き場のない指先を擦り合わせる。  咲は未だによくわかっていないようで、無垢に濁った瞳はイルミネーションを反射しながら俺を見つめている。 「あのな……残念に思ってないなら、そう思わなくていい。思ったとおりに答えてくれればいい。……咲は俺とのクリスマス・イブを俺の都合でダメにされて、本当はどう思ったんだ?」  対する俺は冷や汗をかきそうなくらい、嫌な想像が頭をよぎった。  空っぽの表情に始めと同じ笑みが張り付き、愛しい恋人が「思うままは、ヨユー」と日常的に口を開く。  血の気が失せて冷えきった白い親指が、俺の目元をかわいがるようにくすぐる。 「ドタキャンなんか一秒だって気にしなかったし今後もしねぇな、たぶん。俺はショーゴの仕事を邪魔しないから。デートだってメシだってホテルだってショーゴが来てほしい時に呼んでくれれば俺はいつだってお前の目の前にやって来る。そんでお前の行きたいとこに望む姿で着いて行く」 「俺はね、ショーゴ」 「行動も言葉も思考も全部全部、オマエのお好きにカスタムできるよ」  やっぱり、と思った。  噛み締めた唇を解き、落ち着きのない指先を丸めて握りこぶしを作る。 「そっ……れで、いいのか? 咲は俺の言いなりになって、咲自身には、俺と行きたいところやしたいことがないのか……っ?」 「は、ねーよ。俺はショーゴが望むことを望むとおりにやってやんの。ほら、理想の恋人だろ? 普通のお付き合い。アイシアウ」 「っ俺はっ、俺は理想の恋人が欲しいんじゃないっ!」  地球は丸いだろ? と言うように心底常識的なトーンで弾む答えを聞いた瞬間──激しく燃え盛る感情が抑えられずカッと頭に血が上っと俺は、握ったこぶしでドンッ! と咲の胸を殴っていた。  俺は、初めて咲を殴ってしまった。  殴りたいとすら思わなかった咲を。  それがどれだけ俺にとって異常なことなのか、咲にはわからないのだ。  俺に正面から胸を殴られても一歩もよろめかず、儚げに見えて時に攻撃的な男には俺の攻撃など屁でもない。 「ほら、顔でもいーよ」 「よくないっできないっ」  揺らぐことなく一人でも立っていられる咲は、自分を殴った俺を責めず、顔を指さしニンマリと笑いかける。  俺をコケにしているとしか思えない。  怒鳴り散らしたい衝動を喉奥に抑え込んで矢継ぎ早に拒否を示し、目元に触れていた咲の手を首を振って払った。 「あぁクソ……っ!」 「なんで? 怒ったの?」 「なんでっ? わからないのかっ?」  ガシガシと頭をかきむしって、表情を変えず尋ねる男を驚愕に見つめる。  こんなに憤怒で身を焼かれていてもその元凶を、咲を思い切り殴ることができなかったのは、それでも残酷なまでに愛しているからだ。  力は最大まで確かに込めたこぶしを、食い込む直前で必死に緩めた。  自分では思い切り殴るつもりだったのに、無意識に加減してしまった。  そんな俺の狂おしい恋心が理解されず悔しくてやるせなくてなんだか泣きたくて、爆ぜたのは間違いなく怒りのはずが、それでも俺は咲を殴れない。今でも、ずっと。  我慢したぶん溢れた感情は声と瞳に乗り、憎らしいほど愛おしい人を強く強く睨みつけた。 「恋人だからって、命令しているわけじゃないんだっ。拒否もできれば意見も言えるっ。俺は自分の意思で咲に……!」 「や、ショーゴは命令してねーよ? 意見なんかねーから、俺は俺の意思でショーゴの言うとおりにしてんだけど」 「じゃあ俺が殴ってくれと言ったら殴るのかっ? 殺してくれと言ったらっ?」 「そりゃ殴るし殺すだろ」 「バカだ! 咲はバカだッ!」 「ショーゴ?」  いつも俺をバカにする咲をバカにする。  だって咲は本物のバカだ。最低だ。クズだ。人の心がわからない。  人の心がわからないから、それを気づかないうちに握りつぶす子ども。  そう。  咲は──子どもなのだ。 「っどうして、わからないんだ……?」 「──……、……」

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