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首を傾げ返した。
するとアヤヒサは、わかりやすい説明を考えて、口を開いた。
「私を愛さなくてもいい。他を愛してもいい。なのに三度、咲の命令に背いた。咲が私に対価を求めてほしいのなら、下心をむき出しにした直訳で示そう」
緊張しているのか冷たいアヤヒサの手が、俺の頬に伸びた。気持ちいい。
すり寄ると、手は応える。
「〝死ぬまであなたのそばにいさせて。それがダメなら、私を殺して。〟……死にでもしないと、私はあなたを愛することを、やめられないんだよ」
「ワ、ォ」
思わずカタコトの嘆息が漏れた。
「それじゃあアヤヒサは、俺がクソ野郎だってわかってて? ずいぶん前からオーケーを出してた、ってこと? ワオ。ワァオ」
なんとも簡単に、頷いたものだ。
趣味悪ぃの。自殺願望あんのかね。
俺の恋人枠なんか、オトク皆無の地獄行き片道切符なのにマジで、狂ってる。
ハルに続いてアヤヒサまであっさりと手に入れてしまい、これは夢の続きなんじゃないかと至極真面目に疑った。
頬に触れていたアヤヒサの手を口元へあてて、手のひらの匂いを嗅ぐ。
舌を伸ばして舐めてみる。
爪、指先から指の股まですみずみとなぞり、チュ、と吸う。
されるがままのアヤヒサの手は確かにアヤヒサの匂いがしたし、リアリティのある皮膚の味がした。現実かよ。死にそう。
だって、信じらんない。
その程度の対価でこれを手に入れられんの? 破格すぎてジョークだろ。
「ふ、マジで全部味がすんだ。手のひらのシワ。ザラザラ。涙味」
「ああ、夢みたいだ……咲が私の手を舐めている。しかしここに来る前は手を洗ったが、消毒はしていないから、どうしようか」
「この指紋、好み。舌触りがさ、ん」
「咲、あまり丁寧に舐めると困るよ。あなたが穢れてしまう。あぁ、あぁ。咲を蝕む雑菌を許せそうにない……」
「はっ、わかった。アヤヒサが困るなら舐めねぇよ。でも不安になったらかじっていい? 俺ね、恐怖ってのがどんなものかようくわかったからさ。アヤヒサが一秒先で前言撤回すると、うっかり一般的に良くないことをしそうなのよ。そりゃすげぇ我慢するけどね。ただ俺は一般的にの感覚すら自信ないから我慢しなきゃなんねーことかどーか自体確証ないし、そしたらお前は俺を憎んで噛み殺したくなるかもしんない。そうだろ」
「そうだね。咲が言うのだからそうさ。だけど咲を憎む私は存在しない」
「するんだよ。怖いって怖いな」
「わかった……咲がそうしたいなら、そうしよう。咲を侵す不安なんて、憎たらしいほどこの世に不必要なものだ。私の指ならいつでもかじってくれて構わないよ」
「拒否しねぇの? じゃこれは普通。恋人ってすげぇ。指をかじっても良いのな」
「あぁ。どこかへ行けと命じられるほうがずっとずっと困るから」
「アヤヒサ」
「指の一欠片でも、そばにいたいよ」
「アヤヒサ、アヤヒサ」
二人で顔を突き合せて、確認をする。
アヤヒサの手の味が如実に理解できる世界にいられて、愛情不信症のリハビリ中な俺は死にかけるくらい怖気付いている。
アヤヒサはよっぽど俺のそばにいられなくなっていたことがこたえてしまったのか、少し震えていた。
かわいそうに。寒いことは辛いね。
そっと立ち上がって手を伸ばし、アヤヒサを引き上げる。
そのまま掴んだ手に指を絡めて、しっかりと握った手の甲にキスをした。
「もう大丈夫。もう言わねー。アヤヒサが俺のそばにいたいと思った時に、いたいだけいればいい」
「……咲……私の王様……光栄で、幸福で、至高で、これ以上などなにも要らない……」
ついぞ与えたことのなかった許可を与えると、アヤヒサはその場に跪き、俺の手の甲にキスを返す。
アヤヒサを手に入れて、俺の胸の穴には〝信頼〟が現れた。
ハルは無条件に安心する。
アヤヒサは無条件に信頼できる。
与えてもらった事柄はその主には絶対的なのだと脳に擦り込むことで、また次の欠片を集めに行ける。
「それでは、咲の心の欠片を集めに行こう」
「あぁ、でもゴミ箱に帰ってキレイにしねーと。ショーゴとタツキとキョースケにいつにも増して気持ち悪くて汚らしいって追い払われたら、生まれ直さなきゃじゃんね」
「咲はもうこの世で最も美しい。けれどもし彼らがそう言うなら、そう言えないようにしよう。咲が嫌なら私がそうするさ」
「あはは。愚かだね、アヤヒサ。どんな罵声でもアイツらの声なら、這いつくばってでも聞くに決まってんだろ」
──心の欠片の二番目。
忠谷池理久の手を、引き寄せる。
これで、あと三人。
クズが見る長い夢の終焉へ向けて、はだしのまんま、薄氷の上を進んでいこう。
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