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第2話

 縺れるように不規則な足音が去っていく。  それが完全に消えてから二呼吸分、黙ったまま動きを止め、物音がしないのを確かめてようやく肩の力を抜いた。僕の様子がみてとれたのか、振り返ってこちらを見ていた恋人も表情を和らげてくれる。 「もう大丈夫、行ったみたい。ごめん、たぶん僕の知り合いだ……円加(まどか)の顔は見られてないと思うけど」  自分のことなら他人にどう思われても気にならないが、恋人――円加に害が及ぶのは避けたい。何か手を打つべきか、なんて思考しながら、綺麗に紅く染められた髪を撫で梳く。長く伸ばされた髪は汗で湿って、指に絡みついて来るのがいじらしい。まるで円加本人みたいだ。愛おしくて、ついつい力いっぱい髪を引っ張れば、円加は苦し気に鳴いて喜んでくれる。 「ぁ…彰人(あきと)ぉ……♡」 「ふふ、なぁに、円加」  甘ったるく名前を呼ばれて、同じように呼び返す。普段は鋭い両目がとろりと潤んで、きりっと男らしい眉は情けなく垂れて、薄い唇がアーチを描いて。それらを彩るのはどす黒い赤。円加と僕の混ざり合った血の色だ。 「円加はやっぱり赤が似合うね。色っぽくて、可愛い。こんな可愛い姿誰にも見せたくないよ」  独占欲丸出しの言葉にも引いたりせずに、照れて瞳をゆらゆら揺らしているのがまた可愛い。  だから、耳に直接好きを吹き込むついでに耳朶へ強く歯を立てる。皮膚を食い千切ってやれば、ひぃ、と高い悲鳴。構わずぶちぶちと歯を立てながら、愛しい恋人の髪を撫でていると、彼の手が僕の手を掴んだ。  ぎちりと長い指が僕の手首に食い込む。それだけで円加が何を言いたいか解かるのは、重ねた時間と愛情故だと思う。  僕は片手を円加の腹に回して、下腹部から股座へと撫で下ろす。円加お気に入りの緩いサルエルパンツ越しにも熱が伝わってきて、正直な反応にくすりと笑みがこぼれる。 「見られて興奮した?……ふふ、わかってるよ、僕の手で気持ちよくなってくれたんだよね」  良い子、と、今日も繰り返して項に口付ける。  円加は苦痛でしか性的快感を得られない。マゾヒスト、アルゴフィリア、名称は色々あるらしいけれど、僕にはどうだってよかった。ただ円加がそうであることだけが重要で、他人の分類に興味なんて無い。  円加が性質を打ち明けてくれたのは、僕たちの関係が幼馴染から恋人に変わって少し経った頃。いつものようにキスをしてベッドに雪崩れ込んで、殆ど反応を見せない円加の性器を愛撫していた僕に、まるで大罪を打ち明けるように告白されたんだっけ。  それまで僕は円加が勃起不全なんだと思っていた。けれど、快感を得られているのは反応で分かるし、後膣への刺激にはむしろ過敏なくらいで、抱く度に勃起しないままの性器から何度も白濁を溢してくれる。羞恥に涙を浮かべながら乱れる円加が可愛くて、ついつい意識を飛ばすまでがっついてしまうのがパターン化してきていた頃だった。 『ごめん、こんなの気持ち悪いよな…ごめん……』  罪悪感に涙を湛えながら、大きな体を縮めていた円加。けれど、僕は急な告白に驚きはしても、円加への気持ちが変わることはなかった。それよりも、円加の泣きそうに歪んだ顔に言い知れぬ昂揚を覚えた。  僕の反応を見るのが怖いのか、円加は裸のまま膝を抱えて丸くなってしまった。そうやって身を守ろうとするのは子供の頃からの癖だ。  臆病な円加。体を鍛えているのも、派手な髪型や服装も、傷付きやすい心を守るための鎧に他ならない。僕はその鎧の内側にある柔らかな心が好きだった。 『話してくれてありがとう。僕が円加のこと気持ち悪いなんて思う訳ないじゃない』  震える肩を抱いて、髪に頬をすり寄せる。  そうして、僕は拳を握り固めて、大きく振り抜いた。  ごつ、と骨がぶつかる衝撃。円加の顔が歪んで、丸まっていた体が後ろに倒れるのがスローモーションで見えた。人を殴った経験なんてないから力加減も何も分からなくて、殴った手が痛んだのを覚えている。その痛みに酷く興奮したことも。  円加は最初、目を丸くしてただ茫然としていた。何が起きたか解からない、無垢な子供みたいな表情で、歪んだ鼻から鼻血を垂らして。 (ああ、可愛い)  その赤を見た瞬間、僕の中で何かがぞろりと蠢いた。堪らず円加の腹に跨って、頬に手を添え、顔を覗き込んだ。 『とっても可愛いよ、円加。円加は赤が似合うね』  そう囁いて、また手を振りかぶった。あの時の、綻ぶような、蕩けるような微笑みを忘れることはないだろう。  今も円加は血濡れの顔を興奮に赤らめて、どろどろに溶けた飴玉みたいな笑顔を僕に向けてくれる。睫に溜まった涙が月明りにきらきら光るのが綺麗だ。  その円加の後頭部を掴んで、コンクリートの壁に顔を押し付ける。片手で股座を布ごと揉みくちゃにすれば、円加の体は魚のようにびくびく跳ねた。  手の中の熱は今日も柔らかい。けれど、膨らみは僅かに増していて、布地はじっとり湿っている。円加が僕の手で感じてくれるのが嬉しい。可愛い反応がもっと見たくて、ぎゅっときつく握り込んでみる。 「ひゃあッ♡♡」 「あ、今の声可愛い。ねえ、このまま手でイく?それともお腹の中までぐちゃぐちゃにされてイく方がいい?」 「ッ、う……」 「答えないならこのままイかせるけど」 「ぁあぐっ!♡わか、わかったから…ぁ゛ッ」  答えるのが恥ずかしくて黙ってしまう円加は可愛い。けれど、こうした方がもっと喜んでくれると知っているから、僕は掴んだ頭を思い切り押してコンクリートに擦らせる。よく鍛えられた綺麗な背中が弓なりに撓って、また甘ったるい悲鳴が上がった。表情が見えなくても感じているのがすぐ分かる。  併せて股座を何度か握り込んでやれば、湿った感触はどんどん増して粘ついた音が聞こえ始めた。この分だと下着の中はもうぐちょぐちょだろう。がくがく震える両脚が次第に開いて、上体が下がってくる。腰をこちらに突き出すいやらしいポーズ。その背に覆い被さり、肩口にがぶりと噛み付いたら、それが決定打になったらしい。円加は悲鳴と共に首を縦に振る。 「ぁ゛……あきとのが、いい…入れて、俺ん中、ぐちゃぐちゃにしてぇ…!」  可愛い恋人にこんなに可愛く強請られて、興奮しない男が居るだろうか。少なくとも僕は無理だ。腹の奥で燻っていた性欲がどっと膨らんで溢れ出す。僕は円加のサルエルをボクサーパンツと一緒に引きずり下ろして、自分のデニムをおざなりに寛げ、いつの間にか痛い程勃起していた雄を肉孔に捩じ込んだ。 「がッ、ぁ゛♡♡♡ぁ゛ああ゛…――っ!♡♡♡」  慎ましく窄んでいた肉輪がみちみちと僕の形に拡がる。痛い程に食い締める肉壁を無理矢理抉じ開けて、一気に奥まで突き入れた。がつんと骨盤がぶつかるほど強く、杭打ちみたいに腰を打ち付ければ、円加は大きく喉を反らせて泣き喚く。けれど、構わず腰を引いてはまた奥を穿って、僕は盛りのついた犬みたいにただ腰を振る。  まるで慣らしていない乾いた肉縁や粘膜が裂け、肉茎に血が纏わりついて滑りが良くなる。円加は体まで健気で可愛い。捥ぎ取られそうな絞めつけだって、まるできつく抱き締められているみたいで愛おしさは増すばかりだ。  いつの間にか僕の両手は引き締まった腰を掴み、逞しい体が軋むくらい激しく円加を揺さぶっていた。もう、表通りの喧騒も、ついさっきまでそこに居た誰かのことも頭から消え失せていた。 「ひぃ゛っ♡ぎ、ぁああ゛…い゛ぐっ、イ゛くぅ゛ッ♡♡♡」 「っん、く…っ」  潰れた嬌声と同時に、円加の萎えた性器からどろりと白濁が滴る。絶頂に合わせて肉筒が狭まり、搾り取るみたいにぎゅんぎゅんうねった。下肢から脳天を突き抜ける快感に僕は歯噛みする。  まだ終わらせたくない。もっと円加を貪って蹂躙して愛し合いたいから、込み上げる射精感を堪えて腰を振る。  奥を抉るのは止めないまま、円加の頭を引き寄せ、噛み付くように口付けた。無残に腫れ、乾いた血がこびりつく唇。その内側まで舌を割り込ませ、鉄さび臭い咥内をすみずみまで犯し尽くす。口腔粘膜を舌で摩り、唾液を啜って飲み込んで、円加の一部を僕の中に吸収する。円加は息を継ぐのも覚束ない様子で、必死で舌を動かして口付けに応えようとする懸命さがただただ愛おしい。角度を変えては口付けを深め、喉まで食い荒らす。円加の一番好きなやり方だ。 (可愛い円加。僕の、僕だけの)  重たい感情の火が胸の中で燃えている。所有欲、性欲、執着心、憐憫、何もかも混ぜこぜになって歪んだ僕の愛情を、円加は一心に受け止めてくれる。  円加の全身が戦慄いて、肉襞がきゅうきゅう締まる。射精しないまま後ろだけで達したらしい。唇を解放すれば、だらしなく舌を垂らして泣き喘いで、もう理性は殆ど残っていないんだろう。  そろそろ潮時だろうか。あまりやりすぎるとまた気絶させてしまう、し、僕自身も堪えるのが苦しくなっている。  ストロークの間隔を短く、小刻みに奥を抉る動きに変える。そうすると、円加の両目が笑みに緩んで、唇の端が持ち上がるのが見えた。円加は中に出されるのも好きだから。 「ぁ……は、出すよ、円加っ」 「ふぁ゛、あ゛ぁあッ、あ゛き…ぁ゛きぃ゛ッ♡♡」 「っ、ぐ……!」 「―――…ッ♡♡♡」  搾り取る肉襞のうねりに逆らわず、最奥を穿って、一番深いところで精をぶちまける。解放の瞬間、円加も四肢を突っ張らせて絶頂していた。反らした喉から音にならない歓喜の声が溢れる。ぐちゃぐちゃの顔をいやらしく蕩かせて、全身で感じ入る円加の姿を、五感すべてに焼き付ける。  戦慄く体内に欲を吐き出して、僕は名残惜しさを振り切って肉杭を引き抜いた。肉縁が追い縋るように収縮する。円加はまだ忘我の縁にいるみたいで、開きっ放しの口からあえかな声を零しながら、小さく体を震わせて惚けている。肉孔もぽっかり開いたまま、呼吸の度にひくひく蠢いて、中からこぷりと白濁を溢れさせた。円加の血と僕の精液が混ざってまだらになった体液。それが引き締まった尻と太股に垂れ流れていくのを見ていると、また勃起しそうなくらい興奮した。  とはいえ、流石にもう一度は円加の負担が大きすぎる。僕は脱力して下がっていく赤い頭を掴んで、片手で自分のデニムを履き直すついでにポケットを探る。目当ての感触はすぐに見つかった。取り出して、ビニールの封を切る。 「円加、零れないように蓋してあげるからね」 「ぁ……う、うぅ゛あっ♡♡」  ろくに聞こえていないだろう耳にささやいて、取り出したものを肉孔に押し込む。子供の握りこぶし大のアナルプラグは、今日二人で買ったばかりのものだ。真新しいピンク色のシリコンがぐにゅりと肉輪をくぐって、白濁を溢す穴にぴったり嵌まって栓になる。  赤く膨れた肉縁を指で擦り、隙間から溢れ出さないのを確認してから、僕は円加の下肢をウェットティッシュで拭った。衣服の乱れを直して、仕上げに眼鏡とマスクを掛けさせて、傷だらけの顔を隠す。   「よし、綺麗になったね。立てる?今日はタクシー拾って帰ろ」 「ぁ゛……あき、と……」 「うん?なあに、円加」  円加の足元を気にしつつ、手を取って立ち上がろうとすると、ふと名前を呼ばれた。顔を上げれば、丸いレンズの向こうで瞳がとろりと蕩けて細くなる。僕の一等好きな円加の表情だ。子供の頃からずっと、円加の笑顔は僕にとって特別で、唯一の宝物だった。 「あいしてる」  きっと、この世の幸福をすべて集めて煮溶かしたら、こんな形と音になるんだろう。  幸せそうに微笑む円加。可愛い、可哀想な僕の恋人。  僕はその手を柔らかく握り、マスク越しに口付けを贈った。

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