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運命と過去の話①
どこかで子供達の笑い声が聞こえる。ここはどこだ?
あれ? 身体が動かない……ってか痛い、痛い、痛い!!
はっと目を開けると見慣れない天井、身体の痛みに起き上がることができず、うめき声を上げた。
どうにか目だけで周りを確認するのだが、まるで知らない部屋だと思われるその場所はずいぶん暖かかった。
ここは何処だ?
「目が覚めなさったか?」
声が聞こえて、にゅっと目の前に白髪の小柄な老人が顔を出す。
「……誰?」
「わしか? わしはこの村の長老じゃよ」
老人は呑気にほっほと笑う。
「ここ……は?」
「わしの家じゃよ」
老人との会話は要領を得ない。グノーは痛む身体に鞭打って身体を起こした。
「っつ痛、なんだ、コレ」
「そりゃあ、あんな断崖から落ちれば骨くらい折れる。命が助かっただけ良しとせい」
「断崖? ……っあ、ナダールは!?」
「ん?」
「俺と一緒に大きな男がいたはずだ! まさか死……」
言葉にするのが憚られて口を押さえる。
「おぉ、彼ならそこにおるよ」
言って老人はグノーの寝ていたベッドの足元を指差した。そこには、ベッドに寄り掛るように舟をこぐナダールの姿があって、力が抜けた。
「あんたの事が心配で仕方なかったと見えて、自分も怪我をしているのにずっとそこにおる。疲れて寝てしまったのだな。風邪を引いてはいかん、毛布でも持ってくるとしよう」
言って老人は部屋を出て行った。身体が痛い、けれど彼に触れたかった。ベッドから出ようとして、無様に転げる。なんだよ、本当に全然身体が動かない。
這うようにして彼に近付くと、彼は平和な寝顔ですやすやと眠っていた。
「もう、なんなんだよ」
あまりに何事もなかったような寝姿にほっとしすぎて涙が零れた。彼の頬へと手を伸ばす。
自分達はあの断崖絶壁から落ちたのだ。手を離せと言ったのに彼は最後まで俺の手を離そうとはしなかった。あまつさえ、あの落ちた瞬間、彼が自分を抱きしめたのをはっきり覚えている。
信じてもいいのかもしれない。彼は本当に俺を大事にしてくれている。
臆病な自分は、捨てられるのが怖くてすべてを拒絶してきた。恋人も番もいらないと彼に言い続けてきた。それなのにこいつときたら……
「んっ……」
彼の額に皺が寄る、うっすらと瞳が開いて空のように碧い瞳が自分を捉えた。
「っあ、え? なんで泣いてるんですか? どこか痛いですか?身体つらいですか? あぁ、でも目が覚めてよかったです」
慌てふためく彼が可笑しくて仕方ない。
「お前は馬鹿だな」
「は? 馬鹿ってなんですか? 起きて開口一番それって酷くないですか?!」
わめく唇に黙れとばかりに口付けた。驚いたように目を見開いたナダールだったが、そのうちに優しく背を抱きしめてくれた。
「手を離せば元の世界に戻れたのに……」
唇を離し、胸に顔を埋めてそう言うと優しく頭を撫でられた。
「もう今は、あなたのいない世界を生きていくつもりはありませんよ」
「お前はやっぱり馬鹿だ」
「馬鹿で結構。今が幸せなので黙ってください」
「若い二人にはあてられるのう」
完全に二人の世界に突入していたその場に聞こえる呑気な声。すぐ後ろには先程の老人が毛布を抱えてにこにこしていて、グノーはナダールを突き飛ばすように身を離す……いや、身を離そうとして全身の痛みにまた悶絶した。
「無理しないでください。本当にあなたは大怪我なんですから」
「お前だって同じだろ!? お前はなんでそんなにぴんぴんしてんだよ!」
「鍛え方が違いますから」
笑うナダールに怒りが湧いた。
「おぬしだとて大怪我じゃろ」
言って老人がナダールの背を軽く叩くと彼は小さく呻いて丸まるので、なんだ同じじゃないかと笑ってしまった。
「それにしても俺達よく助かったな。俺達あの崖落ちたよな?」
「落ちましたね。誰かさんが落ちる気満々だったので、どうしようもなかったですからね」
ナダールの言葉にグノーはむうと拗ねたように黙り込んだ。
「おぬし達は運が良かった。たまたま落ちた場所が木々の密集地で衝撃を和らげた上に、そのまま跳ねて川に落ちたようだ。言ってもこの季節だ、もう少し見つけるのが遅ければ二人とも溺死、もしくは凍死だっただろうがの」
長老は物騒な事を笑顔で語って、良かった良かったと二人を見やる。
「何もない村だが、住むには困らん。ゆっくり休むがいいよ」
長老の言葉にありがとうと言葉を返すと、長老はうんうんと頷いて部屋を出て行った。改めて部屋を見渡せばこじんまりとした室内だがしっかりした造りで、外は寒そうな北風の音がしているのに隙間風も入ってはこない。
「なぁ、ナダールここってさ、もしかしてカサバラ渓谷の下……なのかな?」
「どうやらそのようですね。人が住めるような場所だとは思っていなかったので私も驚きました。ですが、確かに外に出ると絶壁が見えますよ」
「登れるの? っていうか村なんだよな? 他にも人がいるんだよな? さっきから子供の声も聞こえるし何人くらい住んでんの? こんな所になんで? どうやって?」
「質問多すぎです。私もまだちゃんと把握している訳ではありませんが、割としっかりした村ですよ。人数はどうなんでしょう、私もよく分かりません。子供の声は長老のお孫さんの声ですよ。あと、あなたには重大なお知らせがあります」
「え? 何?」
にこにこと嬉しそうにナダールは笑う。
「ここ、あなたが探していた鳥人の村ですよ」
俄かに何を言われたのか分からなかった。確かに探してはいたが、そんなものは唯のお伽噺だという事は自分でも分かっていた。そんな人間が存在するなどありえない。
「嘘だぁ」
「嘘ではありませんよ。私、飛んでいるところ見ましたもん」
「長老、翼なんか生えてなかったじゃねぇか!」
「それはまぁ、翼は着脱式ですからね」
「え?」
やはり訳が分からなくて、まじまじとナダールの顔を見つめると、彼はにっこり微笑む。
「これ以上は怪我が治ってからですね。自分の目で確かめるのが一番ですよ。気になって、死んでる場合じゃないって思えるでしょう?」
「それは……」
「まだ、死にたいと思っていますか?」
笑みを消し、真剣な面持ちになるナダールを直視できず瞳を伏せた。
「私はあなたと共に生きたい。それはあなたにとってそんなに苦痛ですか?」
「生きていくのは……つらい」
「あなたは何にそれほど怯え、絶望しているのですか? Ωである事がそれほどまでにあなたを苦しませているのなら、私はもうあなたをΩとして扱うことはしません、もちろん抱くことも。『運命』と呼ばれるのが嫌なら、それも二度と口にはしないと誓います。その上で私はあなたと共に生きたいと願っているのですが、それでもあなたは死にたいとそう思うのですか?」
ナダールの手がそっと自分の方に伸びてくるのが分かる。されるがままに手を取られ、その手の甲に口付けられた。
「お前はなんで俺なんかがいいんだ? 良い所何もないだろ?口は悪い、態度も悪い、キレやすくて喧嘩ばっかりしてる、しかも男だし、一個もいい所なんかないぞ?」
「私はあなたのそういう意地っ張りな所が好きですよ。片意地張って強がって、泣き出しそうな心を必死で耐えている、そういう所が大好きです」
「趣味……悪いな」
そうですか? と彼はグノーの好きなへにゃりとした笑顔を見せる。心は激しく揺れ惑う。信じてもいいのだろうか? すべてを話しても彼は受け入れてくれるだろうか?
「俺はお前に話してない事がたくさんあるよ」
「そうですね。私はあなたを何も知らない」
「知りたい? 俺の過去」
「知らなくてもいい、なんて言えるほど嘘吐きにはなれません、やはり私はあなたを知りたいです。でも、つらい過去なら無理に話す必要はありませんよ」
「話しても、別にいいんだ。ただ、話したらお前はきっと後悔する」
「後悔?」
「俺を選んだことを。俺の為に家族や故郷を捨てた事をきっと後悔する」
「後悔はありませんよ。私は自分の信じるままに自分で決めた事を、他人のせいにするような事は決してしません。それが私の信念ですから」
「お前は強いな……」
グノーはひとつ息を吐く。覚悟はできた。思い出したくない過去と向き合う。それは、一人では決してできなかったこと。
お前がいたら強くなれるだろうか、あの崖を飛び降りた時のように、また抱きしめてくれるだろうか。
グノーは瞳を閉じ、言葉を紡いだ。
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