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運命と過去の話②
子供の頃、世界は檻のようだった。家は裕福で、喰うに困るような生活ではなかったが両親の仲は冷め切っていた。
兄弟は三人、兄、自分そして弟。兄は跡継ぎとして父に目をかけられており、いつも忙しなく何事か勉強させられていた。
弟は母が目の中に入れても痛くない程の溺愛ぶりで、その弟の父親が父ではなく、彼女の愛人の男で『運命』のαであったのは公然の秘密だった。
両親は所詮政略結婚、番契約もしていたが『運命』の前ではそんな物はあってないようなものだった。父は母のことなどさほど愛してはいなかったが、自分の物に手を出された事には激しく憤慨し、その愛人を殺してしまった。
『運命』の番を引き離せばΩの心身は死ぬほどの打撃を受ける。それは母も例に漏れなかったが、母は最愛の男の子供を身体に宿しており、その命を守ろうと生き抜いた。そして母は生まれた弟を溺愛した。
弟自身も殺されるのではと警戒して家を出て別宅に移ってしまったので、母のことはほとんど覚えていない。
最後に母を見た時に彼女に言われた一言は『お前なんか死ねばいいのに』その一言を残して母は家を出た。特に涙も出なかった。
二番目に生まれた自分は両親にとって父の子なのか愛人の子なのかはっきりせず、両親は共に自分を疎んでいたのだ。
更に付け加えるならば、Ω性を持った男の子など気持ちが悪いと蔑まれ、使用人ですら自分への扱いは粗雑だった。それでもまだ幼い頃は目をかけてくれる使用人もいて、生活も安定していたのだが、ある時父の期待を一心に受けていた兄が壊れた。
兄は優しい人だった、この牢獄のような家で唯一自分を人として扱ってくれたのは兄だけだった。読み書きを教えてくれて、昔話を聞かせてくれた。
だが、ある日彼は自分に言ったのだ。
『お前は私の運命なのだから、他の者など見るんじゃないよ』
それから兄の過剰な束縛が始まった。外出はもちろん、使用人と話すことすら禁じられた。そして、自分に初めてのヒートが来たその日に、俺は兄に犯された……
「実のお兄さん……なんですよね?」
ナダールの声が震える。
「半分なのか、全部なのか分かんないけどな」
自嘲の笑みでグノーは語る。手は震えていた、いまだにあの最初の行為は自分の心の中に恐怖の記憶としてこびりついているからだ。
何度もやめて欲しいと叫び、怖い、痛いと泣き叫んだ。それでも兄はやめてはくれず、誰も助けてくれなかった。
兄はその日、滅茶苦茶に自分を犯しはしたが項を噛むことはしなかった。それが少しでも残った彼の良心だったのか、それも今となっては分からない。
「この首輪は父親が着けた。兄の執着が行き過ぎて番になんてなってしまえば、兄の利用価値が落ちるとでも思ったんだろうな。実際そのあと父親は兄に次々縁談を持ってきて、結局兄はその中の一人を選んで結婚した」
「お兄さん、結婚したんですね……だったらもうそのチョーカーはいらないのでは……」
グノーは小さく首を振る。
「結婚はしたけど、俺への執着は変わらなかった。結婚初夜に解放されたって油断してたらまた犯されたよ。兄は兄嫁と番契約も結んで結婚したけど『運命』だったらそんな契約も上書き破棄できるのは、皮肉にも母親が証明してったからな……」
「あなたはあなたの兄の『運命』ではない!」
「そうだな、結果的にはそうだった。けどさ、まだ何も知らなかった、兄が『運命』だと言えばそれを信じた、信じるしかないだろ? 何も知らないんだ。それくらい俺の世界は狭かったんだよ」
一つ息を吐いてグノーは繋いだ手を見つめる。ナダールの手はとても温かくて少し心が落ち着いた。
「そのうち兄嫁に子供が生まれた。それでもやる事はやってんだなって思ったよ。けどさ、その時言われたんだ、アレは誰だったかな、多分使用人だったと思う……」
『子供を生めないΩなんて家畜以下だな。男のクセに兄に囲われていいご身分だったが、お前もついに用済みだ、なんなら今度は俺が飼ってやるよ』
「自分で望んで兄の囲われ者をしてた訳でもないのに、そう言ってそいつ俺を襲ったんだ。けど見付かってさ、兄に殺された。馬鹿だよなぁ、確かにあの頃来る回数は減ってたけど、俺が兄を誘惑して抱かれてたわけじゃない。それでもそいつは俺が兄を引き止めてるとでも思ったんだろうな」
けれどその時生まれたひとつの疑問。何故自分には子が出来ないのだろう? 発情期に限らず、四六時中兄に求められるまま抱かれていたのに自分は一度も子を孕まなかった。
「殺された使用人の言うように、俺はΩとしても欠陥品なんだって思ったな。子供も生めないならこんな関係は不毛だ、もうやめようって何度も言ったら、あの人は『お前が子供を生めないのは番になっていないからだ、男性Ωは番にならなければ子は出来ない、お前が子を望むなら私はあの男から鍵を奪う』ってさ」
「あの男、というのは父親の事ですか?」
「そうだな、別に子供が欲しかった訳じゃないけど兄は勝手にそう言って暴走していった。親族間の内輪もめ、あの頃は酷かったな何時もどこかで誰かが怒鳴ってた。俺はただ見てる事しか出来なかった。だけど、家の中が滅茶苦茶になって使用人の監視の目が弛んだんだ、逃げるならもう今しかないってそう思って、剣だけ持って家出した。剣術は兄が趣味として認めてくれてたから、そこそこ扱えたんだ、だからなんとかここまで生きてきた」
その後、風の噂で父親は家を追い出されたと聞いた。
「では、そのチョーカーの鍵は今あなたの兄が持っているのですか?」
「さぁ、どうだろう。兄の手元にあるのか、まだ父親が持ってるのか、それともとうの昔に捨てられたか……」
どのみち自分は誰とも番になるつもりはなかったからどうでもいいと放置した。
けれど、兄の方はそうはいかなかった。
「うち、金と権力はあったから、メリアのどこに逃げても追っ手がかかって、俺は何人も殺したよ。いっそ自分が死ねたら良かったのに、自分で自殺はできなくて、なら追っ手に殺してもらおうと思っても、いざとなると身体が拒否するんだろうな、勝手にフェロモン発散されて操られるみたいにαの奴等は仲間も殺した。その頃まだ薬の存在も知らなくて、俺のフェロモン、βにも効くみたいでさ、勝手に仲間割れ、気がつくといつも死体の山に囲まれてた」
次々に衝撃的な話が出てきて頭がついていかない。
グノーはナダールに「一度地獄の底を這い回ってこい」と言った事があるが、それはまさにこの事か……とそう思った。
それは平和に馴れきって生活してきた自分からは想像も出来ないほどの修羅の道だ。
「当然、死んだ奴等の家族にも恨まれて追っ手はどんどん増えて、もうメリアにはいられないって思った時にブラックに遇った。俺、自分の身分証的なもの何も持ってなくて、国境越えられなかったんだけど、ブラックが手引きしてくれてファルスに入ったんだ。さすがに国を超えたら追っ手の数も減って、ブラックに薬の事とか教えてもらって、どうにかフェロモンを抑える事も出来るようになった。ブラックはそれでも……ってお守りまでくれた」
「ブラックさん良い人ですね」
「性格でおつりがくるけどな。けど、今ここにいられるのは全部ブラックのおかげだ」
それでも生きてここにグノーを連れてきてくれた事にナダールはブラックに対して感謝しか出てこない。
「俺の手、凄く血だらけなんだ。こんな風に手なんか繋いでたら、お前の手も血だらけになっちまうかもしれない」
「構いませんよ。できるなら、私はその時あなたの横であなたを守りたかった。それができないのなら、これからの人生をあなたの傍らであなたを守って暮らしたい」
「別に守ってもらおうなんて思ってねぇよ、お前俺より弱いじゃねぇか」
「胸に刺さりますね……」
「別にそんな事はどうでもいいんだよ、守ってもらおうなんて思ってない。けど、俺に関わるともれなく俺の家族がついてまわる。メリアを出てから確かに追っ手は減った。だけどいなくなった訳じゃない。見付かったら最後、お前も巻き込む事になる」
「望む所ですよ」
言い切った言葉にグノーは瞳を伏せる。
「まだ、話は全部じゃない……」
「まだ何かあるんですか?」
もう何を言われても驚きはしないとそう思ったのだが、躊躇いがちに発した彼の次の言葉は予想を遥かに超えてきた。
「俺の兄の名は、ファースト・メリア……メリアの現国王なんだ」
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