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運命と我が愛し子①
こくりこくりと自分の傍らで最愛の人が舟をこいでいる。最近彼はよくこうやって自分にもたれるようにして眠っている事が増えた。
ここムソンの村の冬は厳しく、外で作業はできないので完全に冬籠りの様相を呈している。そして長老の家に間借りしたままグノーとナダールは怪我の療養を続けていた。
最近グノーは眠くて眠くて仕方がないと言う。
「グノー、こんな所で寝てたら風邪引きますよ」
「うぅ……眠い……」
「眠いのは分かりますが、せめてベッドで寝てください。眠いなら運びますよ」
「やだぁ……」
言って彼は甘えたように抱きついてくる。胸に顔を埋める彼の頭をよしよしと撫でて、これは本当に眠いんだなと確信する。はっきり覚醒している時には絶対こんな事は言わないし、することもない。
可愛いので自分は一向に構わないが、目覚めた時にこの体勢ではまた発狂するのではないだろうか。それはここ最近たびたびあることで、こちらから抱き上げている訳でもないのに起きたと同時に理不尽に怒られる。
納得がいかない。
それでも可愛いので常に理不尽に怒られているのだが、やはり風邪を引かせてはいけないと毛布を準備するべくソファーから立ち上がった。なにせ彼のお腹の中には愛しの我が子がすくすくと成長中だ。風邪など引かせるわけにはいかない。
少しだけ膨らみを見せはじめた腹と彼自身も少しずつだが丸みを帯びてほっとする。
なにせ今までが痩せすぎなのだ、誇張ではなく骨と皮しかないのではないかという程に痩せ細っていたその身体にようやく肉が付きはじめた。かいがいしく食べさせ続けたかいもあるというものだ。
毛布を持ってソファーに戻ると彼はやはり眠そうではあるのだが、ぼんやりと起き上がって目を擦っていた。
「あれ、目が覚めましたか?」
言葉に彼は首を横に振る。
「お前は、ここ」
ぽんぽんと自分の傍らのソファーを叩く。座れという事だろうか? 言われた通りにそこに座ると、彼はそこにぱたりと転がり膝枕の形でまた寝てしまった。
「とんだ眠り姫ですね」
毛布をかけてその頭を撫でる。少し前の彼からは想像もできない愛らしい姿に自然と笑みが零れた。
着の身着のまま、風呂も洗濯もろくすっぽしていなかった旅暮らしのグノーはこの村に暮らすようになってずいぶんと小綺麗になったように思う。
ナダールの実家にいる時もそれ以前に比べれば多少マシにはなっていたが、まだ気を張った生活をしていたせいかそこまで穏やかな様子ではなかった。
だが、今の彼は心身ともに落ち着いているように見える。過去を話してしまった事で多少気が楽になったのだろうか?
彼の過去は本当に壮絶だと思う、誰にも愛されず蔑まれ憎まれて生きていくのは本当に辛い事だ、その重荷を自分は少しでも背負えたのだろうか? だとしたら本当に良かったと思うが、彼の過去は過去のままではいられない。
彼の首に巻かれたチョーカー、外す事のできない過去と現在を繋ぐ鎖。彼はこれを首輪と呼ぶ。
この村にきて落ち着いた頃、鍵を外すべくまた色々と試してはみたのだが、余程特殊な作りの鍵なのかどれだけ手を尽くしてもやはりその鍵は外れなかった。
触れたそのチョーカーは硬質で少しひんやりしている、鍵は一体誰が持っているのだろう、彼の父なのか兄なのか、確かめる術は無いに等しい。
思考を遮るように部屋にノックの音が響き、黒髪の少年が一人にゅっと顔を覗かせる。その顔を見て自分の眉間に皺が寄ってしまったのをナダールは自覚していた。
「ルーク君、なんの御用ですか?」
「あれ、グノーさんまた寝てる?」
少年の名はルーク、あの断崖絶壁をナダールの目の前で飛び降りて見せ、自分達を助けた長老の孫だ。
本来なら感謝しなければいけない相手なのだが、自分はどうにも彼が好きにはなれない。理由は簡単、彼がグノーの事を好きで彼に纏わり付いてくるからだ。
この村の倫理観は少々ゆるい。バース性が大半を占めるこの村ではいつでもどこかで誰かがヒートを起こしている。
番相手のいる相手に手を出すのはもちろんタブーなのだが、そうでない場合は誰に手を出そうが構わない、というこの村はαもΩも自由で奔放な村だった。
番のいないΩが妊娠出産をしても村全体が面倒を見るので特別困る事もなく、腹違い種違いの兄弟姉妹もごろごろしているのだ。これにはナダールも驚きを隠せない。
そんな中、ルーク少年は自分ルールで、番になってないなら相手をしてくれてもいいではないかとグノーに付き纏ってくる。番になってないのではなく、チョーカーのせいでなれないだけだと何度説明しても彼は聞き入れてくれない。
最悪な事に現在グノーは妊娠中、ヒートの時ほどのフェロモンを発することはないのだが、抑制剤などの薬は母体に良くないと服用をやめている。そのせいか彼からは常時いい薫りが漂って更にルークの心に火を点けた。
番になってしまえばそのフェロモンは自分にしか効かなくなるのに、それができない二人には自衛するしか術がなく、ナダールはほとほと困り果てていた。
ルーク以外の村人にはきっちり説明をし、αとして匂い付けも完璧にしているので、余所者である事が一目で分かる自分達に手を出してこようという人間はいなかったのだが、ルークはどこまでも我が道を行く人間だった。
「あぁ、でもグノーさん寝顔も綺麗ですねぇ」
「見ないで下さい、減ってしまう」
顔を隠すように毛布をずり上げ、睨みつける。
「そんなに睨まないでくださいよ、そんなとって喰おうって訳じゃないんですよ、ただちょっと羨ましいだけで」
「あなたも彼女なり彼氏なり作ればいいじゃないですか。この人は私のです、迷惑なのでやめてください」
「後から出てきたくせに、それホントずるいよね。おいらだって仕事じゃなかったらもっと早くからグノーさんにアピールしてたのに」
ぶぅ、と歳相応に少年らしい拗ねた顔だが、やろうとしている事は可愛げもなくため息を吐く。
そうなのだ、実を言えば彼は自分より先にグノーに出会っている。正しく言えば「一方的に知っていた」なのだが、ルークはグノーがカルネ領ルーンの街でアジェを助け出した時から彼を見ていたのだ。
それが彼の「仕事」なのだとルークは言った。
「今日は仕事はいいんですか?」
「しばらく休み。長く仕事に出た後はちゃんと休みをくれるんだよ。仕事中は休みなしだけどね」
ルークはそう言ってしゃがみこむ。毛布をめくってグノーの顔を覗き込もうとするのを阻止しつつ、彼を自分の方へ向くように抱え込んだ。
「顔くらい見せてくれたっていいじゃん、ケチ」
「見せたら減る、と先程も言いました」
子供の喧嘩のような事を言って彼を抱え込む、寝顔にキスなど当たり前にするので油断も隙もない。
「いつの間にか、ちゃっかり子供まで作っちゃってさ、本当ズルイ」
ずるいずるいと喚かれても、そんな事知った事かと威嚇する。本気で勘弁して欲しい。
「ところでルーク君、その後ボスから連絡は?」
「ないよ、なんにも。進展なしってとこじゃない?」
グノーの寝顔を盗み見ると彼は気持ち良さそうに寝入っていて起きる気配はない。実を言うとこの村に来て知った事実で幾つか彼に伝えていない事がある。
「まだ言ってないの?」
「言う必要はありませんよ。この人は知らなくていいことです」
「知ったら『なんで言わなかった!』って怒るんじゃない?」
「それでも今は言うべき時ではない」
そう、とルークは立ち上がった。彼に言っていない話、それは現在アジェがランティス王家に捕縛、軟禁されているという事実。
一度はファルスの使者、彼の『運命』でもあるエドワードに保護されたアジェだったが、現在彼は一人メリアとの関係と王子暗殺の疑いをかけられ城内に軟禁されているという。
エドワードに保護されそのまま無事にファルスに帰る事ができれば良かったのだが、不審人物の捜索の折り彼は見つかりランティス側に捕らえられてしまった。
エドワード達の私室に潜んでいたアジェは見つかった際二人はまったくの無関係だと言い張り、たまたまその部屋に潜んでいただけだと二人を庇い捕縛されたと聞いている。実際事件は「王子暗殺未遂」という大事件で、ファルスの使者二人が絡んでいるとなれば国同士の問題にも発展しかねず、アジェは一人でその罪をすべて被ったのだ。
グノーからの証言も合わせて考えるとそれは王子自身の狂言だったのだが、そんな事は誰も知らないのだ、助け出しようもなかった。
それでもすぐに処刑とはならず軟禁という形になっているのは、彼自身が王子の双子の弟本人だからに他ならない。彼には利用価値がある、そう思われている節もある。
王と妃は彼に会いたがっていたと父から聞いていたのに、どうにも話の食い違いに何が起こっているのかもよく分からない。メルクードから遠く離れてしまった今、自分には何もできないのだから考えても仕方がないのだが、疑問ばかりが頭を巡る。
情報をもたらしてくれるのはルーク達を雇っている「ボス」と呼ばれる人。ルーク達はその「ボス」に雇われ、諜報活動で生計を立てていた。
この村の民の若者の多くはその仕事に従事しており、ルークにとってアジェとグノーを追いかけるのは彼にとっての初任務だったのだ。
「ボス」は何故その二人を追わせたのか、考えればなんとなく「ボス」が誰なのか見えてくる、ルークは「そこは企業秘密なんで」と教えてくれなかったが、恐らく「ボス」というのはグノーの友人、ブラックの事で間違いないと思う。この村と彼との関係を考えればおのずとその結論が導き出されるからだ。
だが、ではブラックというのが一体何者なのか? それを考えた時、その答えが出てこない。エドワードの父で大工、グノーの旅の友、長老の孫であり、村一番の出世頭そして「ボス」という立場。彼にはたくさんの顔がありすぎてまるで実像が見えてこない。ルークにそれを問うても「最重要機密です」とにっこり笑ってかわされてしまう。
ブラックはグノーがメリアの第二王子であることも知っていたのだろうか? 彼の周辺には各国王家に関わる人間がそれと知らずに集中している。
友人であるグノーしかり、養い子の『運命』であるアジェしかり、ついでに彼の嫁自体がランティス王妃の妹だ。これはあまりにも不自然なのではないだろうか?
ブラックは何かを知っている。知っていて何かを探っているのだ。それは一体何の為に? 謎は深まるばかりだが、まずはそんな事を考えずに与えられる情報は受け取っていた。
恐らくこちらの情報も筒抜けなのだろうが、こちらは知られて困る事など何もない。
アジェが捕まっている事を知れば恐らくグノーは助けに行こうとするに違いない。だが今はそんな無茶をさせる訳にはいかないのだ。
自分の幸せが最優先なのか? 言われてしまえばその通りで、自分達の幸せの影で父も投獄されているというし、アジェもそんな状態だ。本来なら出て行って釈明すべきなのかもしれない、それでも今はグノーを危険な目に合わせたくはなかった。
腕の中で今までないほどに穏やかに過している彼に、何故わざわざ辛い現実を見せる必要がある? そんな必要どこにもない。だから自分は口を噤んだ。ルークや長老にも言わないで欲しいと釘を刺したのだが、それは間違った事だろうか?
「予定日、春でしたっけ?」
「そうですね、春というより初夏くらいでしょうか。そろそろ名前も考えないといけないですね」
「おいら女の子がいいなぁ。絶対美人に育つよ」
「あなたに言われるのは正直微妙ですけど、きっと可愛い子が生まれるでしょうね。もちろん私は男の子でも構わないですけど」
「Ωだったらお嫁にちょうだい、大事にするから」
軽口のような言葉にまた眉を寄せてしまう
「嫌ですよ、年齢差幾つあると思ってるんですか? うちの子にはちゃんと歳相応の相手と結婚してもらいたいのであなたの出る幕はありませんよ」
「旦那はアレも駄目、コレも駄目って本当ケチ」
「好き好んで言っている訳ではないですよ、無茶ばっかり言っているのはそっちですからね!」
まだ言うか、と威嚇するとグノーがぐずぐずと眼を擦って「おまえら五月蝿い」と寝言のように呟いた。
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