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運命と我が愛し子②

 最近本当に眠くて眠くて仕方がない。今までの不眠がなんだったのかというほど最近の俺は惰眠を貪っている。  折れていた骨もほぼくっつき、どうにか自分一人でも杖があれば立って歩けるようにはなったのだが、過保護なナダールが過剰に世話をしてくれるので俺はずいぶん怠惰な人間になってしまっている気がする。  あまり動かない上に食べる物は食べているので、なんだか凄く太った気もする。妊娠中にはつわりがあるはずなのだが、それもほとんどなく、多少胃がムカムカすることはあっても今までの生活を思えば何も苦しい事などなかった。  「妊夫は太るものですよ、ちゃんと食べて」と強制されるので、まぁいいかと肥えるに任せているのだが、体は見た目に反してとても軽く感じて不思議だなと首を傾げた。  最近腹の膨らみも目立つようになってきて、本当にこの中に子供がいるのだなと実感できるようになってきた。  妊娠が確定した時のナダールの喜びようは驚くほどで、今思い出しても笑ってしまう。なんだか全てが穏やかで、幸せすぎて怖くなる。  ナダールに全ての過去を話してしまった。それでも彼の自分への態度は一切変わらなかった。  散々男に弄ばれた身体だ、汚らわしいと嫌悪されても仕方がないと思っていたのに、彼はそんな事はひとつも言うことなく、逆に俺の身体を労わってくれた。  同情……されているのかもしれない。彼にとって自分の過去はあまり想像できないものだと思う。それとも虚言だとでも思われているだろうか? もしそうだとしても、それならそれで良いと思っている。  不幸な子供はいなかった、そんな幸せな事はない。実際今の自分はとても幸せに穏やかに暮らさせてもらっている。少し前までは想像もしていなかった事だ。  崖から落ちたあの時、俺はナダールの腕を掴んでしまった。そして彼も俺を抱きしめてくれたのだ。もうその事実だけあればそれでいい。  ただひとつ心に影を落とすのはこの首輪の存在。いまだに鍵を握るのは過去の亡霊たち、ただの鍵なら恐らく外す事ができたと思う。だがメリア、特に首都のサッカスはからくり細工が盛んな街だ、この首輪には何かからくりの様な物が仕込まれているのではないかとグノーは考えていた。  平べったい鍵穴の奥、針などで触ってみれば何かしらの手応えはあるのだが、そこからどうにも動かない。自分で鍵穴を覗き込んで見てみれば仕掛けも分かるかもしれなかったが、いかんせん付いているのが自分の首ではその鍵穴を覗き込む事もできなかった。  首輪を外す事ができない以上ナダールと番になる事はできず、更に妊娠が確定して医者にフェロモン抑制剤の服用も止められたので現在自分はフェロモン垂れ流しの状態である。  ブラックにある程度のコントロールの方法を教わったお陰で、昔に比べればずいぶんとその放出は控えめになっているとは思うのだが、少し怖い。  ナダールがじかに匂い付けを施しているおかげで、余程の事はないと思う。それでも過去を思い出してしまうと、また兄のようなαが現れるのではないかと恐れてしまう。  実際今自分に付き纏っているルークという名の少年はナダールが居ようが居まいが押せ押せで迫ってくるので本当に困っている。ただ、この村の不思議な所はそんな風にこられても誰も背徳感や罪悪感を覚えていなさそうな所だ。  周りがそれを見ても「またやってる」と言われる程度で実にあっけらかんとしているので、嫌だと拒否している自分の態度の方がオカシイのか? と首を傾げたくなってしまうのだ。  一応コレでも自分は妊夫でナダールの子を孕んでいるというのに、そんな事は関係ないとでも言うようにアプローチがくるので本当に困る。更に付け加えると、αの方のナダールにも男女問わずあまたのお誘いが来ているのにも気付いていた。  元々愛想の良いナダールだ、人に好かれるのは当然で、その中に好みの人間がいるならば行ってしまっても仕方がない……なんて思う心と、絶対嫌だと思う心がずっともやもや渦巻いている。  少し前の自分なら、行ってしまえばこれ幸いと彼の前から逃げ出しただろうが、自分は彼の手を掴んでしまった。掴んでしまったからにはよそ見をされるのは気分が悪い。幸いな事に今の彼には俺しか目に入っていないようで、誘いはすべて断ってくれているのも知っているので安心はしている。  それでも不安が尽きないのは、やはり二人が番になっていないからだ。  番のいないαはΩのヒートに流される。  ナダールがグノーのヒートにあてられたように、他のΩのヒートにいつ惑わされるか分からないこの村は、バース性であることに対してとても気楽な反面、今の自分にとってはとても恐ろしい村だった。  もしナダールがヒートにあてられ他のΩと番にでもなってしまったら……背筋にぞくりと悪寒が走る。耐えられない、そんな事があったら自分はどうなってしまうか分からない。  醜い嫉妬だ。それこそ一生番は持たないと言ってきた自分のどの口がそれを言うのかと、自分で自分を罵りたくなった。 「ぼんやりして、どうしました? まだ眠いですか?」  顔を覗き込んでくるナダールに、なんでもないよと首を振った。 「それにしても、やっぱり前髪長すぎません? 私もう少し短くてもいいと思うんですけど」  簾のように視線を遮る前髪を持ち上げて彼はそんな事を言う。  自分以外から見たら顔が見えなくて表情が読みづらいだろう事は分かっている、別に俺が怒っていようが笑っていようが気にしなければいいのに、アジェもよくその表情を気にしていた。だが、ナダールは不思議な事にその読みにくい俺の喜怒哀楽をすべて綺麗に理解する。それは出会った当初から、彼には何も隠し事ができない。 「言っただろ? 顔、嫌いなんだってば。俺が見たくないんだよ」 「なんでそんなに自分の顔を嫌うのですか? αやβが寄ってくるからと言うなら、私がそれは退けるので安心していいですよ」  直に瞳を覗き込んで彼がそんな事を言うので思わず瞳を逸らしてしまう。 「それも勿論理由のひとつだけど、この顔……さ、母親そっくりなんだよな」 「母親、ですか?」 「そう、ホント生き写しかって位そっくり。歳とってますます似てきたから、絶対見たくないんだよ」  母には憎まれていた。俺の何がそれ程気に入らなかったのかは分からない、けれど母には愛情の欠片も貰った事がないのだ。それでも自分が彼女の子供であることは自分の顔を見れば一目瞭然で、自分の顔を見るたびに思い出してしまうのだ。 『お前なんか、死ねばいいのに』  最後に投げつけられた言葉。感情はすでに動きはしないが思い出すのに気分の良い思い出ではない。 「死ねばいいなんて簡単に言ってくれるけどさ、人ってそう簡単に死ねるわけじゃないんだから、だったら生むなよってそう思うよな。あぁ、でも今俺もこの子を産もうとしてる事思うと、できた子供を生みたいと思うのは本能なのかな。それでも、やっぱりそんなこと言うくらいなら生んで欲しくはなかったけど……」  俺の言葉にナダールの瞳がかげる。別にお前が悲しむ必要なんてないんだけどな、これは俺の問題だ。 「私は、それでもあなたをこの世に生んでくれたご両親には感謝しますよ。私の元にあなたを届けてくれた、私にあなたを愛する機会をくれた、これは奇跡に近い」 「俺はお前に貰うばっかりで、何も返してやれないぞ?」 「何言ってるんですか、あなたはもう私に最高の贈り物をくれたじゃないですか」 「……?」 「分かりませんか?」  子供のように抱き上げられて膝の上に乗せられてしまう、抱えるように抱きしめてきた彼は優しく俺の腹を撫でた。 「こんな最高の贈り物、他にはありませんよ。だって私とあなたの子供ですよ、絶対可愛いに決まってます」  背後から抱きすくめられているのに、声でもう彼が全開で笑っているのが分かって、なんだかくすぐったい。 「お前、子供好きだよなぁ」 「好きですよ。どんな子供でも可愛いですけど、絶対うちの子が世界で一番可愛いです」 「親馬鹿になるの早すぎね?」 「早くないですよ! むしろ遅いくらいで、だんだんじわじわと実感が……」  ついつい自分も笑ってしまう。もう本当にこいつはいつも俺を喜ばせる。 「俺も、ちゃんとこの子愛せるかな?」 「大丈夫ですよ、私が保証します」  優しく頭を撫でられる。あぁ、もうホント大好き。  そういえば俺、こいつに好きって言ったことあったっけ? 上目遣いに顔を見やれば「ん?」とにっこり笑みを返されて、恥ずかしくなって瞳を逸らした。今、絶対顔赤くなってる。 「どうかしましたか?」 「なんでもない!」  ヤバイ……顔など見られたらこんな事まで全部包み隠さずばれてしまう、絶対前髪切らない! とグノーが思っている傍ら、覗く耳と首筋が赤く染まっている事に気が付いていたナダールは、穏やかに笑みを零した。

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