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運命は妖艶に微笑む①
一人の女が紅のベールを纏った衣装で静かに舞台へとあがる。顔は半分ベールに覆われ見る事は出来ないが、その瞳は猫のように細められ妖艶な笑みを浮かべる。傍らには大きな男が恭しく剣を捧げ持ち、女はその剣を取った。
剣を掲げ振り下ろした刹那、辺りに甘い薫りが広がった。
女は踊る。いや、それは踊りなのだろうか? 荒々しくも繊細な剣舞は道行く人々の目を釘付けにさせた。
紅の髪に紅の瞳、彼女は「暁の乙女」と呼ばれ巷でちょっとした話題を攫っていた。
「お前もよくやるな」
彼女が拍手喝采を背に舞台から引けて裏へ周ると、金髪碧眼の青年が一人面白くなさそうな顔でそう言った。
「うるさいよ、エディ。人目が集まればなんでもいいんだよ、ほら見ろ今日も大盛況だ、さすが俺!」
「自分のその格好に恥じらいはないのか」
肌の露出の多いその服は、足も腕も曝け出し、あまつさえ腹も露出している。顔はベールで隠しているとはいえそのベールの生地は薄く、男達の妄想を掻き立てるばかりだ。
「見ないでください。グノーもさっさと上着を羽織って! 本当にもう、なんなんですかこの衣装! もう少しなんとかならなかったんですか?!」
「衣装なんか煽ってなんぼだろ、そろそろチラシ撒き始めたから撤退するぞ」
言っているそばから外では何やら騒がしい声が響き始める。
観衆に降り注がれるチラシ、書いてあるのは打倒メリア王家の過激な言葉。今まで王家がいかに自分達を蔑ろにしていたかを書き綴ったチラシを民衆は不審顔で読みふけっている。
その騒ぎに気が付いたのであろう街の役人が飛んで来てチラシを回収してまわるが、幾ら回収しても一度目に入ってしまったものをそう簡単に記憶から消す事は出来ない。ましてや人の口に戸は立てられず、奇妙な踊り子の噂と同時に撒かれるそのチラシは人の口から口へと噂を広げていった。
メリアを闇夜から暁へと導く乙女、そんな言葉は人から人へとまことしやかに噂され、ここ最近では彼女の噂を街で聞かぬ日はないほどになっていた。
場所を変え、賑やかな大衆食堂の片隅で三人は遅い昼食をとる。エディは傍らで交わされる民衆達の「暁の乙女」という単語に眉を顰めた。
「乙女が聞いて呆れる。乙女ってのはもっと清純で若い女の事を言うんだ。人妻、ましてや子持ちの男に乙女とかホント狂ってる」
「そんなの俺が付けた訳じゃないんだから知らねぇよ。観客が勝手にそう名付けただけで俺は自分が女だなんて一言も言ってない」
今は元の通りに前髪で顔を隠しているが、踊り子の格好をしている時の彼は前髪を上げ、長いウィッグを付けている、容姿が元々母親そっくりと言っているだけあって、彼を男だと見破る者はまずいなかった。
「せめて衣装を変える気はないんですか?」
「剣舞でも舞ったら、って言い出したのお前だろ。今更なに言ってんだか」
「そんな格好で踊るだなんて聞いてないですよ。私は普通のあなたの姿のままでと思っていたのに、そんなはしたない……」
「はしたないって言うな。そもそも男のままでやったら男性Ωだってバレちまうじゃないか。ただでさえこの紅い目は珍しいのに、俺だってバレたら元も子もないだろ?」
「それはそうなんですけど……」
ナダールは不満顔でグノーを見やるが、グノーは意に介した様子もなく平気平気と手を振った。
「この街もそろそろ潮時だな、次はどこに行こうかねぇ」
神出鬼没な『暁の乙女』は街から街へ移動を続けチラシを撒き続けている。どの街へ現れるのか、いつ現れるのか分からないが、彼女が現れる時には決まって甘い薫りがする、それも口から口へ語られて、最近では追っかけのような人間まで現れだした。
「でもあんたのフェロモンはホントにβまで惑わすんだな、恐れいったよ」
「好きでこう生まれついた訳じゃない。でもこれ、意外といい商売になるかもな。もっと早くから気付いてれば喰うに困る事なかったんだけどなぁ」
メリアを出てからグノーは金の稼ぎ方すら分からず、盗みを働いたり、ブラックの依頼で盗賊を退治したりなどして生計を立てていたのだが、それは決して楽な暮らしではなかった。
そもそも「金」という概念が分からず、最初は買い物すらままならなかったので、ずいぶん苦労したのだ。
「これを商売にするのは本当にやめてください」
「そんなのやらねぇよ、αもβも寄ってきて面倒くさいって最初から言ってる」
それでも彼がこんな事をしているのは、ただ単に効率的に人を集めやすかったからというそれだけの理由である。
「最近ルイスさんの呼びかけに応える人が増えてきているようなので、成果は上々と言ったところですかね。そろそろ止めてもいいんじゃないですか?」
地方から燻り始めた小さな火種は少しずつ大きくなろうとしている、ルイスは名前を出して呼びかけている訳ではないが、彼の元へ集ってくる人々は増えていると言う。
この一連のチラシ騒動とは別に王制を廃し民主化を目指す方向で提唱を進め、その旗頭にはレオンが立っていた。
王制を廃すのに何故王族を……という言葉はまま聞かれたが、その王族が自ら民主化を謳っているから意味があると彼は言う。
ただの市井の民がそれを叫んだ所で、王家がそれを認めるわけがない。だが王家の人間自らがそれを叫ぶ事で、もしかしたらそんな事も出来るのではないかという期待がじわじわと高まっているのだ。
現メリア王の元にこの声が届いているのかどうかは分からないが、今のところ王からレオンになんらかの接触があったという話は聞かない。ただの戯言として聞き流されているのか、それとも興味がないのか、メリア王の考えはまるで分からない。
それでもそんな中、メリア国民の意識は少しずつだが変わってきている手応えはあった。
「一度ルイスさんに会いに行って状況確認でもするか」
お互い接触は極力絶っていた。どちらかが捕まり芋づる式に事が露見するのを恐れた為でもあるが、会わなくてもルーク達、ムソンの民が情報を逐次報告してくれるので会いに行く必要もなかったのだ。
現在自分達に協力してくれているムソンの民は四人。それ以外にも計画が実行に移される際には更に多くのムソンの民が協力体制を取ってくれる事になっている。
ちなみに現在クロードは各国への情報共有や連絡の為に飛び回っている。ランティスとメリアは地続きなのでまだ行き来は楽なのだが、その二国とファルスは大渓谷を挟んでいる為、往来が難しい。渓谷をぐるりと回って行くか、いったん海に出て海路を行くかの二択に本来はなるのだが、大渓谷の底に暮らすムソンの民を味方に付けたのは強かった。彼等は『飛翼』と呼ばれる翼で空を飛ぶ。それを利用すれば渓谷を越えるのはたやすく往来には従来の時間の十分の一程度しかかからなくなっていた。クロードは文字通り渓谷の上を飛び回っているのだ。
ファルスで回収された毒物はランティスに持ち込まれカイルの手で解析されている。同時にファルスで使用された兵器の詳細もランティスに持ち込まれて情報は共有されており、完全に二国間には協力体制が出来上がっていた。
「それでは一度ルイスさんの所に戻りましょうかね。私はいつまでもあなたに他人の誘惑をさせるのは嫌ですよ、もう充分だと言うのならすぐにでも辞めていただきたい」
「意外と楽しいのに」
「本当にやめてください」
今までΩとしてこのフェロモンの放出を煩わしいとしか感じていなかったし、正直嫌で仕方がなかったが、こうやって故意にフェロモンをばら撒いて、人を惑わせ熱狂させるのは少しばかり興奮する。
自分に手を伸ばす人々の手をすり抜けて妖艶に微笑めば民衆は皆骨抜きだ、それもこれも自分の傍らには自分を守る人間が居るという安心感から出来る事ではあるのだが、ナダールの表情は渋い。
「本当はあなたの顔を晒すのだって嫌なんですから! 私しか知らなかったあなたを他人に見られるのは本当に嫌です」
「お前、散々前髪切れって言ってたじゃん」
「こんな事になるならもう二度と言いませんよ!」
心底嫌だとナダールが言うので、俺は思わず笑ってしまう。
慰めるようによしよしと頭を撫でてやると、エディにいちゃつくなと怒られた。
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