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運命は妖艶に微笑む②

 甘い匂いがする。  ルイス・スフラウトの自宅を訪ねて行くとすぐに異変に気が付いた。 「Ωがいますね。しかもこれはヒートに入っている?」  その甘い匂いは玄関口まで流れ出していて、αであるナダールやエディはそこに近付くのを躊躇した。 「俺、ちょっと様子見てくるから、お前等外で待ってろ」  言ってグノーは家へと上がりこむ。ルイスの妻はΩだがルイスと番になっているのでここまで他人に感知される程のフェロモンを発する事などありえない。誰かがいる、だがそれが誰だか分からない。  匂いを辿っていけば、そこにはルイスの妻がおろおろとした様子である部屋の中を窺っていた。 「どうかした? その部屋の中に誰かいるのか?」 「え? あぁ、いらっしゃっていたんですね。実は息子が連れて帰ってきた娘さんがヒートに入ってしまったようで、薬を渡そうにも部屋の鍵も開けてくれずに困っていた所なんですよ」 「どこの娘なんだ?」 「それは……」  ルイスの妻は言葉を濁す。 「旦那やレオンは外出中か、これじゃうかうか家の中にも入れないな」 「せめて薬を飲んでくれたらいいんですけど……」  困ったように妻は言い、扉を見やる。グノーもその扉を見やって、おもむろにその扉を叩いた。 「おいお前、他人の迷惑も考えろ、せめてここを開けて薬くらい飲め!」  中で人の動く気配がする、その動きはひどく緩慢でヒートがよほどきついのはなんとなく分かった。自分にも経験があるが、本来ヒートというのはこういう物で、αに襲われたくなければこうやって部屋に籠もるのはΩにとって常識だ。だが、それにしても薬も飲まずにヒートを耐えるのは相当きついと思うのだが、大丈夫なのだろうか。 「だれ?」  部屋の中から小さな声がした。 「通りすがりのΩだよ。いい薬あるからとりあえず開けろ」 「男性Ω?」 「悪いかよ、Ωに男も女も関係ないの知ってんだろ、開けろ」  グノーの言葉に中の気配が動いたのが分かる。かちゃりと部屋の扉の鍵が開いた音がして、ルイスの妻と二人少しほっと顔を見合わせた瞬間、扉が開くと同時に中に引きずりこまれた。 「は? え、何?」  力任せに引きずり込まれ、部屋の中に転がると、背後でまた扉の閉まる音と鍵のかかったがちゃんという音が耳を掠めた。 「ちょ……何すんだよ! お前なんなんだ!」 「初めて見た、本当にいるんだね、男のΩ」  薄暗い部屋の中、佇んでいたのはΩの娘……のはずなのだが、その姿形は少年じみて少し驚いた。髪は少年のように短く切り揃えられており、着ている服も男物だ。髪は赤髪、そしてなにより驚いたのはその娘の瞳が自分と同じ紅眼だった事だ。  娘は熱に浮かされたような瞳でこちらににじり寄ってくる。 むせ返るような甘い薫り、彼女から発するヒートのフェロモンは同じΩであるグノーでも眉を顰めるほど甘かった。 「ねぇ、もしかしてあんたが本物のセカンドなの?」 「は?」  何を言われたのか意味を理解するのに数秒を要した。彼女はにじり寄って前髪を掴み持ち上げる。 「あぁ、やっぱり本物だ……」  グノーの瞳の色を確認して、彼女は感情のない瞳でこちらを見据えた。 「お前、なんなんだよ!」  手を振り払って、後ずさる。自分より歳若く、なんの力もなさそうなただの少女だ。だが、その瞳はほの暗くグノーの背にはぞくぞくとした悪寒が走っていた。 「僕はあんたが大嫌いだ」  白い手がぬっと伸びてグノーの頬を撫でる。 「なんで今更戻ってきたの? もうあそこにはあんたの居場所なんてなかったのに……」  彼女が何を言っているのかまるで意味が分からない。だが、その紅い瞳は母にも似て嫌な思い出を幾つも蘇らせる。  ほの暗い部屋、誰とも話す事もなく閉じ篭もり、ただひたすら人形を作り続けた自分。あぁ、この娘のこの暗い瞳はどことなく昔の自分に似ているのだ…… 「もしかして、お前は城にいた偽者のセカンドなのか?」  まさか女だったとは思っていなかったが、ようやくその結論にたどりつく。 「そうだよ、僕はセカンド。兄さまのただ一人の『運命』それなのに……あんたが僕の居場所を奪った!」  飛び付かれ、その白く細い指で首を絞められる。抗うことは簡単だった、ヒートに浮かされているのだろう彼女の手にはさほど力も入ってはいない、それでもグノーはその腕を振り払う事が出来なかった。 「なんで抵抗しないのさ!」 「そんな弱い力じゃ人は死ねない」  その力はやはり少女のものだ、グノーをくびり殺す程の力は彼女にはない。グノーは自身の首にかかった彼女の腕を掴んで外す。 「あんた、レリックが好きだったのか?」 「その名前をあんたが呼ぶな! それは僕だけが呼ぶ事を許された僕だけの名前だ!!」  彼女は泣き崩れる。まるで身を裂かれるような号泣、自分と兄との関係はこんな所にまで不幸を撒き散らしている。  うずくまって泣き声をあげる彼女を、グノーはただ見ている事しかできなかった。

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