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運命は妖艶に微笑む③

 泣き崩れる彼女に無理やり薬を飲ませ、グノーは部屋を出た。 心配そうにこちらを見やるルイスの妻に「大丈夫だ」と精一杯の笑みを見せる。 「なんで彼女はここに?」 「息子が城から連れ帰って来たの、何があったかまでは私は聞かされていないから詳しい事は息子か主人に聞いて」  偽のセカンドは恐らく城を追い出されたのだ。飽きたおもちゃを捨てるように簡単に兄は彼女を放り出したのだろう。  それは何故? それは本物が見付かったから……  改めて兄の執着に背筋が凍る。何が彼をそこまでさせるのかが分からない。妻も子もいる、地位も名誉も金もある。彼女のように彼を本気で愛してくれる人もいるのだろうに、何故彼はこれほどまでに俺に執着するのだ?  兄は優しかった、メリアを飛び出すまで彼だけが俺の世界だった。無理やり襲われた事は何度もあるが、それでも兄は最後までずっと優しかった。  認めたくはない、それが嫌で仕方なかったのは事実なのだ。ただ一人だけを想い続ける事は難しい、それが強制されたものであるのなら尚更。  彼女が少し落ち着いた頃、ルイスの息子と名乗る男リーフ・スフラウトが帰宅した。リーフは父に似て精悍な顔立ちの男だった。 「なんであの女をここに連れて来た?」  グノーは苛立ったようにそう尋ねた。もともと色街の子供だと聞いている、用が無くなったのならそこに返すのもひとつの手であっただろうに、リーフは彼女を自宅へと連れて来た。それには何か理由があるのかとそう思ったのだが、彼は困ったように瞳を伏せた。 「彼女には他に行く宛てもないからな。彼女の人生は私が金で買取った、その責任は取らなければいけない」 「買取った?」 「あぁ。彼女を見つけた時、遠くから見ていたあなたに似ていると思って買取ったんだ、人一人の人間がこんな安く買えるのかと思うほどに安かったよ」 「なんでそんな事を……」 「なんでだろうな、今となっては自分でもよく分からない。ただおかしくなっていくメリア王に同情したのだけは間違いないよ」 「あの男がおかしいのは元々だろ」 「あなたはあの時の王の姿を見ていないから……」  リーフの表情は暗い。今のこの状況には色々と思う事があるのだろう、彼は哀れむような瞳でこちらを見やった。 「彼女の事は気にするな、全責任は私にある。あなたは父やレオンと共にこの国を変えてくれ。誰も不幸にならない皆が笑って暮らせる世界を私に……私達に見せてくれ」 「俺は……自分の幸せしか考えてない男だよ」 「それでもきっかけを作ったのはあなたなのだから、投げ出す事だけはしないで欲しい、彼女の為にもそれだけは……」  リーフは彼女の籠もる部屋の方を見やる。まだ微かに薫る甘い香り、彼の瞳には憐憫の色が見てとれた。 「あの娘、Ωだよな。レリックとの間に子供はできなかったのか?」 「王は彼女を一度も抱きはしなかったからな」 「え?」  その言葉にグノーは驚いた。彼女のあのレリックに対する愛情は本物だと思えた、だが二人の間にはそんな愛の交歓すらなかったのかと驚いたのだ。 「王は彼女が女性である事にも気付いていないのではないかな。私が彼女にあなたの真似を義務付け、彼女はそれを忠実に守ってくれた。王も王であなたへ与えていた愛情をそのまま彼女に与え続けた。そこに性交渉は一切なかったが、彼女が王に惹かれていくのは必然だったよ、可哀相なことをした」  レリックはずっと飽く事もなくグノーを抱き続けていたのに、彼女にはそれをしなかった事が何故だかどうにも腑に落ちなかった。  彼女が偽者だと分かっていたから? でも、だとしたら何故彼は彼女に対して彼女が彼に傾倒してしまうほどの愛情を注ぎ続けたのだろう。慰めに彼女に愛を注ぐのなら、そういう行為があるのも当然で、どうにもグノーの心にはもやもやとした違和感が残る。 「そういえば父に聞いたよ、君達は鍵を探しているのだってね?」 「え? あぁ、このチョーカーの鍵なんだけど……」 「その鍵なのかどうかは分からないのだが、王は鍵をひとつ肌身離さず持っているよ。その鍵がなんの鍵なのか誰も知らなかったのだが、話を聞いてもしやと思ってね」 「レリックが鍵を……」  本当にそれが自分のこの見えない鎖に繋がれた首輪の鍵であるのかどうかは分からない。だが自分に対して執着を見せる彼が肌身離さず持っている鍵なのだったら、その可能性はとても高いと思われた。  そもそも彼が王家を簒奪したのは、その鍵を父親から奪う為でもあったのだから尚更だ。 「私はね、王が決して嫌いではないのだよ」  リーフは少し寂しげにそう言った。 「私は幼い頃から王宮に出入りしていた。父と違って政などには興味がないのだけど、雑用係としては割と優秀で古株なんだ。出世にも興味はないし、気に入られて出世をしようという人間の腹の探りあいにもうんざりしている」  リーフが何を話そうとしているのか分からずグノーは首を傾げる。 「王自身もね、たぶんそれは同じなんだ。何を誰を信じていいのか分からない、だが長子に生まれてしまったが為に責任や重圧だけは圧し掛かって、父親の期待は重く、母親は自分を省みない。愛情に飢えていたのはあの人も同じなのだよ」 「あんたも俺にあいつの元に帰ればいいとそう言いたいのか?」 「別にそんな事は思っていないが、人の想いとはままならないものだな……とは思っている。二十年前自分はまだ少年だったが、叔父と王妃様が仲睦まじく君と戯れているのを何度か見かけた、とても幸せそうに見えたものだ。王はそれを遠くから羨ましそうに眺めていたよ」  そんな話は知らないし、聞きたくもない。耳を塞いでしまいたいのをぐっと堪える。 「俺があいつの言う事を聞いてさえいれば良かったって、そう言ってるようにしか聞こえない」  彼は悲しげな瞳をこちらに向けた。 「想っても報われないというのは哀しいものだ。それは不幸の連鎖を生み出す。私はその連鎖を断ち切るという意味ではあなたに期待しているのだよ。あなた自身はご自分の為かもしれないが、この連鎖を断ち切る事で幸せになれる人間が少なくとも何人かは居るはずだ。私自身、彼女に報われない想いを抱いてしまった一人でね、今回の事、彼女には不幸な出来事だが実は少し喜んでもいるのだ。嫌な男だと罵ってくれても構わないよ」  自嘲気味に彼は微笑む。罵れと言われても、彼女のあんな姿を見てしまえば、そんな事はできるはずもなくグノーは唇を噛んだ。  もし彼女が報われない想いに苦しんで、この男がその心を救う事ができるのなら、それはそれで僥倖としか言いようがない。 ただ、彼女が報われない想いに苦しみ続けるのなら、それもまた不幸の連鎖でしかないのだが。 「あの人、本当の名前何ていうの?」 「あなた達と同じで彼女にも名前は無かったのだよ。色街で生まれ、母親は早くに亡くなり彼女を名で呼ぶような人間はいなかった。だからこそ安く売られていたのだが、その時私は彼女に名を与える事すらせず、そのままあなたとしての人生を与えてしまった本当に酷い男なのだよ。だがそれもすべて自分の行いだ、私はこの先一生彼女の面倒をみる覚悟は出来ている」 「だったら、彼女に新しい名前をあげてくれ。俺としての人生なんて碌なもんじゃない」 「彼女がそれを望んでくれればいいのだが……」  不幸の連鎖、それはまさに自分の人生そのものだ。自分のせいで父が死に、母が壊れ、兄も壊れてまた一人の人間を不幸にしている。  あぁ、ナダールに会いたい。会って抱きしめられて「あなたは何も心配する必要はない」と頭を撫でてもらいたい。 「外で君の連れ二人が心配そうにしていたよ、どっちが君の伴侶?」 「大きい方。俺もう行くから、彼女の事ちゃんと見ててあげて。Ωはストレスに弱いんだ、早死にさせたくなかったら優しくしてやって」 「分かっている」  リーフは静かに頷いた。それを確認して家を飛び出すと、彼の言葉通り家の外ではナダールとエディが心配そうに壁にもたれるようにして待っていた。  黙ってナダールに飛び付くと、彼は少し驚いたような表情を見せたが、やはりいつものように穏やかな笑みで「何かありましたか?」と頭を撫でてくれた。それに何でもないと首を振って、ぐりぐりと頭を胸に押し付けると、彼の匂いが自分を包んでとても安心できるのだ。 「ルイに会いたい、一度村に帰ろう」 「あぁ、それはいいですね。そろそろクロードさんも村に戻っている頃だと思いますし、一度村に戻りましょう。エディ君はどうしますか?」 「俺はいい。アジェの側を離れるのは嫌だ」  ぶっきら棒にエディは言った。  メリア王国に出張るようになってから、エディはたびたび首都サッカスに赴いている。ムソンの民がメリア王の城の詳細な見取り図を準備してくれたおかげで忍び込むのも容易く、何度か彼はアジェに会いに行っていた。  会いに行けるくらいなのだから連れ去る事もさほど難しくないのだが、アジェはそれを頑なに拒否している。自分がここから姿を消したら迷惑する人がたくさんいる、それは駄目だ、と言うのがアジェの言い分で、エディはそれに逆らえない。 「見付かったら元も子もないんだから、会いに行くなら気を付けろよ」 「分かっている!」  血は繋がらないとはいえ妹もメリア城に捕らわれているエディは心配で仕方ないのだろう。娘が心配でたびたび村に戻る自分達とは対照的に彼はメリアを離れようとしなかった。  エディと別れ、村への家路を急ぐ、なんだか無性に帰りたくて仕方がない。ナダールとルイと三人で丸くなって寝るのはこの上ない幸せなのだ。あんな打ちひしがれた女の姿など見てしまえば余計に、今のこの幸せを手離したくないなとグノーは思った。

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