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第23話
雨上がりの土曜日。休日だというのに、俺は相変わらず会社に向かっていた。あー、足が重い。オフィスに着くと先客がいた。
「あー、なつ先輩。」
俺よりも大きい、俺の後輩。
「あれ、佐倉じゃないか。お前も出社か?」
佐倉だった。俺を見付けるといつもの如くニヤリと笑った。
「違いますよ~。なつ先輩と違って俺はしっかり休日は休む派ですし!もう帰ります。戸野先輩にサーバーチェックだけ押し付けられたんすよ。」
「…戸野グッジョブだな。」
「酷いですね!戸野先輩といい、パワハラっすか?もっと後輩を労わるべきですよ。」
俺の言葉にぶつぶついう佐倉を笑い、俺はパソコンを起動した。
「あーあ、俺も仕事押し付ける後輩欲しい。」
「…先輩の担当しているプロジェクト、マネージメントだけとはいえ一人でやる規模感じゃなないですもんね。」
俺のぼやきに珍しく佐倉が真面目に食いついてくる。
俺を茶化さず話すなんて、こいつにしては珍しいな。
「そうなんだよ。このプロジェクトを最初から一人で切り盛りしていたなんて、本当自分でも不思議なんだよな。まぁ、前回の部長会でも、俺が一人でこのプロジェクト担当しているのがおかしいって話に挙がって、近々もう一人誰か入るらしい。」
「…そうですね。なつ先輩はずっと1人で、その仕事を担当していたのですもんね?」
「ああ。そうだけど?」
佐倉は俺の返答に微妙な顔をした。
何だ?
「…。」
「…。」
あれ?終わり?
佐倉はそれ以降何も言わずに黙り込んだ。
ま、いっか?
そしてやっと仕事が終わりに差し掛かったのは夕方だった。やっとといっても、いつもに比べて早く終わったので、俺は幾分陽気な気持ちでWBSを更新していた。
ポチッ
「…?なんだこれ?」
《なつ先輩~そろそろ休憩しましょう~》
…あれ?なんだっけこれ…。
俺のパソコンに表示されたメッセージボックス。それを見ていると、頭の中がざわざわとしだし、何かが溢れ出てくる。言い表し難い感情に胸中が埋め尽くされる。ただ、それが不快ではなかった。探していたものが見つかったような。
自分の一部を、取り戻したような?
「…。」
カラカラとマウスを動かし、そのメッセージボックスを消そうとするのだが、何故かクリック出来ない。
消してしまうと、また忘れそうだ。
忘れる?何を?
『…ぱ…い。なつ…せんぱい…。』
誰だっけ?
キラキラした笑顔。子供みたいな瞳。歯を見せてニッと笑う。
誰だっけ?
俺は薄暗いオフィスフロア内で、一人どうとも動けずただ固まっていた。パソコンの画面だけがやけに明るく、暗闇に光を与える。
_______________
結局その後何をする気にもなれず、僅かに残る仕事も投げ出し帰宅した。自分で言うのも何だが几帳面な方なので、こんなこと初めてだった。
「はぁ。」
家のリビングでぐびりとビールを飲み、ベランダに面した窓を見つめた。
「…。」
ふと思い立ち、立ち上がって窓に近づきその窓を開けてベランダに出た。特に考えもなく、そうすると会える気がする。でも何に会いたいのか、自分でも分からない。
コンットットトット…
(なぁ…)
ベランダの手すりを指でコツコツと弾く。
(ほら…)
トトットット…
(こいよ。)
トットットッ
(こい。)
トッ
「俺もその曲好きです。」
「!」
突然かけられた声に振り替えると、純白の羽を生やした…ごんがいた。
「…本当に…分ってんのかよ…。」
俺が絞りだした声にごんはニコリと笑った。そして俺に近づく。
「はい。その曲は…。」
「違うだろ!」
にこにこと話しだすごんを俺は一喝し黙らせた。
…違うだろ…?
「星空見せてくれる約束もすっぽかして、どこ行っていたんだよ…。」
俺の言葉にごんは困ったような笑顔を浮かべた。
____________
「え?正式に堕天使になりましたって…、お前それ、進歩してんの?」
俺はちゃぶ台を挟んで向かいに座るごんにお茶をだしつつ、疑ってしまう。しかし対するごんは何故か得意げに俺の言葉に頷き、お茶を受け取る。
いや、本当かよ。
「普通、堕天したら悪魔直行コースですからね!このポジションで踏みとどまるに、多方面に掛け合って、話して、説得、謝罪…大変でしたよ。」
「…はぁ…。」
なんか…。天使とか悪魔とか言って、結構人間臭いよな。
そもそもそのポジションに踏みとどまる意味とは…。
「俺、今までは露骨なアンチ天使で、かと言って悪魔にも共感できず『全部壊してぐちゃぐちゃにしてやる!』って勢いだったんです。でも、自分が納得できないものに反発して否定するだけでなく、しっかり向き合い、客観的な目で改善点を提案して全体の仕組みを変えていこうって、そう決めたんです。」
「ふーん…。なんか、会社のとんがった新人が中間管理職になった時みたいな心境の変化だな。」
というか、やけにビジネスライクだな。
俺の言葉にごんは「偉い?俺偉い?」といつもの如くへらへらとする。その姿には思わず笑ってしまう。
「ま、俺、堕天使していた分、天使と悪魔双方にコネクションありますし、結構貴重な人材なんですよ!」
「はは、堕天使していた時点で偉そうにするなよ。」
「先輩はまた嫌がるかもですが、鬼頭さんにもまた色々助けてもらいましたよ。本当、あの人凄くて…。」
「おい!やっぱり、何気にそこが仲良いのが、怖いんだけど⁈」
悪い先輩に悪い道に引き込まれてないか?
俺はそう心配するが、ごんは平気だと笑った。
「へへ…。」
「…ふっ。」
「…なつ先輩、俺が身の回り整理してきたら、また付き合ってくれるって言いましたよね?」
「いや、『考える』だろ?」
ごんが待てをさせられている犬のように上目遣いで俺を見てくる。
かわい子ぶっても、話をちょろまかされては困る。俺はしっかりと訂正する。
「…俺、整理してきました。」
ごんがじりじりと俺に近づく。
「だから、なつ先輩、ご褒美頂戴。」
ごんの顔が近づく。ごんが長いまつ毛を伏せて、俺の唇にキスをしようとした。
「待て!」
「ぶっ!」
しかし俺はごんの口を手で塞ぎ、そのままごんを押し返した。
「なんでー?」
ごんが非難の声を上げる。俺はそれをふっと笑った。
「ご褒美をもらう時は、動かなくていいんだよ。ご褒美だからな。」
「!」
そして俺からキスをする。ごんが目を見開いた。
「…ふふ、なつ先輩、大好き。」
「…でも、付き合うとかどうとかは、きちんと考えさせてくれよな。」
俺は慌てて付け足す。
いかんいかん!またごんのペースにのせられ、絆されていた。
ごんはその言葉を聞きニヤリと笑った。
「分かりましたよ。それも約束でしたもんね。なつ先輩がまだ知らない俺の良いところも、」
ごんがその手をするりと俺の頬に這わす。
「夜のなつ先輩を可愛がる、俺の性癖もいっぱいお見せします。」
ツラツラと言い切り、妖艶に笑う。
いや、後半…。
「だめだ!付き合うまでそれはなし!ってか俺の感覚操作は絶対もうするなよ…!」
呆れ顔の俺に、ごんが強引にキスをする。あんまり天使の精を送られても困るとごんを殴り、俺はごんから離れた。ごんが笑って俺もつられて笑う。
きっともう、悪魔の力でごんは無理矢理俺を組み敷くことはないだろう。今のごんにはそんな安心感があった。
「ふふふ、俺は数世紀もなつ先輩を追っかけ回して来たんです。ここまで来て、もう俺から逃げられるわけありませんからね。」
「…。」
あれ?しないよな…?
俺はまたごんの笑顔が暗くなるのを見て顔をひくりとさせるが、次の瞬間ごんはまたカラカラと笑う。
…ま、まぁ、なんとかなるだろう。
「けど、先輩が思い出してくれてよかった〜。じゃないと、また会えなかったから!」
「確かになぁ…。俺ってば記憶消されているのに、良くごんの事思い出したよな〜。」
「あはっ。ですよね?流石にほかのやつらもあのマクロには気づかないと思って、予備の防衛策として残しておいて良かったぁ~。」
…こいつは本当に…。何処までもやることが黒いな。
俺の視線に気づき、ごんがこちらを見てにかりと笑った。
「俺は、運命となつ先輩は自分で手繰り寄せる派です。」
「そうかい…。」
さて。また、可愛い後輩ズラした中身は腹黒真っ黒なストーカーとの毎日が始まるようだ。
俺はごんに見えないように、隠れて小さく笑った。
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