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触りたくて触りたくない話
馬車馬の如く働いた1ヶ月。休みの日にも自分の客に会いに行ったり、装飾の確認したり、HPに使う写真の撮影をしたりとバタバタだった。死にそう。
そんな中迎えたバースデー。
目まぐるしく担当の女たちの席に行っては立ち、席に行っては立ちと全く休まらない。ケーキにシャンパンも用意したし、タワーも入れてもらった。中々に順調だ。
店内には圧巻するほどの胡蝶蘭がぎっしり並んでいた。あっちこっちに顔を出していると、ボーイに呼ばれた。オーナーが呼んでると。
忙しいっつーのに…何だよ。
隣に座る客に平謝りして席を立つ。するとレオがやってきて俺の代わりに接客し始めた。
それを横目に見てオーナーの元に向かった。
レオが好きだ。気づいてから、何となく近くにいれなくなって少し避けるようになった。
目に見えてレオがしょげたり心配そうにしてくるのが胸が痛い。でも近くに居ると怖くて堪らなくなる。
深い溜息を吐いて、バーテンと酒の話をしてるオーナーの側に行った。
「あぁ、梓。」
「アズ。」
「あは、悪いアズ。」
ワザとだろって言いたくなる。本名で呼んできて訂正させると笑って言い直しやがった。不機嫌な口調で話し掛ける。
「あんだよ、忙しいんだよ。」
「知ってる知ってる。ただまた倒れたら困るからちょっと休憩させたくて呼びました。」
笑顔を見せて隅の死角にある椅子に座らされた。そんな事かよ……。溜息を吐いて項垂れた。まぁ、ちょっと休みたかったし、良いけど。
「ほれ、どうぞ。」
「……ん。」
グラスに水を入れられて渡してきた。受け取って喉を潤す。ところで普通のグラスに入れて欲しかったな…ジョッキて。
「レオとなんかあった?」
不意に聞かれて動きが止まる。
何にもない。本当に何にもない。
強いて言えば俺がアイツを―…………。
渡されたジョッキを握って込み上げるものを堪えた。
「何もない。」
「あ、そ?その割には避けてない?」
「別に?気のせいだろ。最近忙しかったし。」
「ふーん…。」
なんだよ。なんか納得いってないような感じだな。何となく気まずい空気になり飲みかけのジョッキをオーナーに押し付けて立ち上がる。
「飲みきれん。トイレ行って席戻るわ。」
「おー。早いとこ仲直りしろよー。」
心無しか棒読みな励ましに聞こえた。それを背中に受け取りながらトイレに向かった。
俺の担当の客たちは俺がザルだからか酒に滅法強い女ばかりだ。その為か、トイレに行けば既にグロッキーになってる屍が多々転がってボーイがせっせと世話をしていた。随分飲まされたなぁ。そう思いながら用を足して手を洗った。
─ガタンッ
「あ、れ…あずさんだー。」
へらりと笑ってレオがトイレにやってきた。ビックリして身体が一瞬固まったけど、いつもの様子と違って眉間に皺を寄せた。珍しくホロ酔いだ。
「………また随分飲まされたなぁ。」
「あは、あずさんのお姫様方は…めぇっちゃ酒強いですね〜。」
「まぁ………そうな。」
俺がザルだからな。俺を酔わせたくて一緒に飲む人ばっかだから強いのよね。
手を拭いて出ようとしたらレオに出入り口を塞がれた。ヘラヘラしていた顔が真顔になってこっちを見てくる。ドクン、と心臓が鳴った。小さく息を飲んだ。
目が合う。レオのあの綺麗な目に捕まる。薄い唇が少し開いて動くのをただ眺めていた。
「……最近、避けてません?」
一点の曇りもない目で見つめられて問いかけられる。
言えない。
避けたくて避けてるわけじゃない。ただ近くにいると苦しい。お前が愛しくて欲しくて恋しくて苦しい。近くに居たいのに居たくない。そんな感情がずっとループしてるんだ。何か言わないと、でも何て。口から注いでたのは、しょうもない言い訳だった。
「別に。バースデーで忙しかったし…。」
「うん、でも何か…目も合わないですし。」
真っ直ぐ俺を見てそう言うレオを直視出来ずに逸らしてしまえば指摘された。怖いんだよ、見透かされそうで。俺の息をヒュッと飲む音が聞こえた。アイツには聞こえただろうか。
何か言おうとしてレオの唇が少し開いた。
「あ、いた。梓!」
「!」
俺を探していたらしいオーナーが現れた。あの野郎、散々名前呼び止めろって言ったのに…。だが今は助かった。ハッとして、レオの横を通り過ぎてオーナーに歩み寄る。
レオの視線が痛かった。刺さるような冷たい深い視線。
「ほら、主役!客が待ってんでしょ、何してんの。」
「悪い。」
「ほーら!レオも!」
「…はい、今行きます。」
ニコリと貼り付いたような笑顔でそう言うレオに胸が痛んだ。そんな顔、させたい訳じゃない。でもあの笑顔を作ったのは、俺なんだろう。
懐いてくれていた。慕ってくれたんだ。こんな俺を。
いつも傍で頑張ってんの見てたんだ。
なのに、好きになってしまったから。俺が、お前を。怖くて近寄れないとか笑えないよな。
心で自分を蔑んだ。
1ヶ月、必死こいて準備したバースデーは、途中で余り記憶がなく終わりを告げた。
「大丈夫?アズ。」
更衣室のソファーでぼんやりしてたらオーナーが目の前に現れて我に返った。近ぇな、オイ。
「……大丈夫。」
「…ん、そう。痛い。」
「近ぇ。」
顎をグイッと手で押して随分と近い距離を離そうとしたら文句を言われたから言い返した。いや、近ぇもんよ。小さく溜息を吐いて手を離してやったら、オーナーが顎を擦ってるのが見えた。
「レオと、やっぱ何かあった?」
静かに落ち着いた声で問いかけられた。何も無い。何も無いんだ。有るとしたら俺だけだ。
「………別に。」
「…あず、」
「何も!………何も…無いから。」
遮る様に言おうとして少し声を荒らげてしまった。らしくない。ハッとして直ぐ声を抑えて言い直した。
オーナーの目が見開かれてるのを見て、パッと顔を逸した。
コイツには知られたらいけない。そう思ったのに、多分コイツは勘付いてる。気まずい空気が流れて、既に着替えも済ませていた俺は耐え切れず帰ろうと思って立ち上がった。
「帰…」
「帰さない。」
え、…って聞き返そうとしたら両腕を掴まれて壁に背中を思い切りバンッと押し付けられた。痛い。
「いって、何す……」
「お前、レオが好きなの?」
低く冷たい声で凌が聞いてくる。俺の腕を握る手にギリッと力が入る。凌の目が、いつもは穏やかな垂れ目な優しい目が氷みたいに冷たかった。黒い瞳に怯えた俺の青い瞳が映る。怖いし背中が痛い。冷や汗が背中を伝うのが解った。
「………好きじゃない。」
「嘘つけ。」
「違う、好きじゃ」
「梓。俺は」
「!駄目だ、言うな!!」
言いかけた凌の口を塞ぎたくて叫んだ。手は捕まって動かない。遮るにはコレしか無かった。
冷たい表情から、悲しげな顔して凌が笑う。
俺を見る奴らの笑顔がどんどん悲しげになるのが、嫌だ。なんでどいつもこいつもそんな顔して俺を見る。
「…言わせてもくれねぇの?」
肩に凌の頭が乗った。首に柔らかい黒い綺麗な髪が掛かって擽ったい。聞こえた声は微かに震えていた。
「………しの…」
「……酷いやつだな、本当に。」
「なん、っ!」
首筋にチリッと小さな痛みが走って、凌が離れていった。下を向いていたから顔が見えない。
「…早く帰って寝ろ。明日明後日休みだろ。」
「あ、…凌……」
「じゃあな、アズ。休んでまた頑張れよ。」
顔が見えないまま、背中を押されて更衣室を出された。最後に少しだけ顔が見えたけど、泣きそうな笑顔を貼り付けている凌に俺が掛けてやれる言葉なんか無かった。
仕方なく店を出ると、雨が降っていた。
空を見上げて溜め息を吐いた。
真っ黒な空から降りしきる雨がやけに寂しく感じた。
凌の手は取れない。違うんだ。
俺より深い暖かい青い目。俺よりデカイ身体。
あずさんって呼ぶ、あの優しい声。
澪於、なぁ俺お前に
「…会いてぇ…。」
虚しく呟いた言葉は誰にも届かなくて雨音に流されて消えていった。
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