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 序章~暗闇の世界(とき)の中で~ 

   カーテンが壁に接着剤で頑丈に貼り付けられて、一筋の光の侵入も許さない暗闇が広がっている。 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。お母さん、ゆるしてください」  足音が扉の向こうに消えるのを待って、聖夜(せいや)は体を震わせたまま、両手で抱えていた頭をそっと持ち上げた。  目の前にある、木枠にコデマリが彫られて装飾が美しい大きな姿見の向こうに、白銀色の前髪をかき上げて、両手でおでこを辛そうに押さえている青年が見えた。  ――また架也(かや)兄さんが僕をかばってくれたんだ。  ――僕は、また震えたまま何もできなかった。 「だ、大丈夫? ち、血が落ちてきているよ」  聖夜は、ポケットからハンカチを取り出して、双子の兄へ差し出した。 「ありがとう。今日も聖夜に何もなくて良かったよ」 「いつも、痛い思いをさせてごめん。僕がもう少し強ければ良いのに......」 「良いんだよ、聖夜はそのままで。(わたくし)がどんな時もお前を守るから。さあ、血を拭っておくれ」 「兄さん......」  垂れてくる血をやさしくそっと拭うと、ひどく腫れたおでこが露わになった。 「ああ、なんてひどいケガなんだ! ゆるせないっ。いつかあいつにも兄さんと同じケガをさせてやる」  聖夜は唇をひどく嚙んだので、血が滲み出てきた。 「これ、おやめよ。その綺麗な口からそんな汚い言葉を発してはいけないよ。そんなことをしたら、お母さんと同じになってしまう。私はもう何ともないから、いつものように元気が出るおまじないを」 「ごめんなさい。お母さんと同じはいやだけど、架也兄さんがこれ以上苦しむ姿も見たくないんだ」 「ありがとう、聖夜。どうかそのままやさしい聖夜のままでいておくれ......」  聖夜と架也は、鏡越しに指を添え合って、唇と唇を何度も離しては近づけてしばらく接吻をした。  なぜか、鏡の向こう側の兄に直に触れることは叶わないものの、こうして鏡越しでも触れ合っていると、心が落ち着くような何ともおだやかな気持ちになれるのだった。  そして、少し膨らみ出した局部と局部をこすり合わせる行為が二人にとって至福の時間だった。  ここに僕たちは存在しているんだと確かめられるような気がして、果てを目指すことなく、ゆっくりと時間をかけてこすり合わせ続けるだけの、どこまでもやさしい時間なのである。  ズボンがはち切れそうなくらい大きくなった大切な場所は、取り出さずに布越しに大事に撫で合い、元の大きさに落ち着くまでそうして見つめ合う......。  そうして、母親にそこを大きくしたことを内緒にしておくのだ。  以前、こすり合わせて大きくなった直後に、普段なら一度気が済んで部屋を出た後はすぐには戻ってこないはずの母親が急に戻ってきて、それを見られてしまい、 「破廉恥な! どこでそんなことを覚えたんだ!」と、足でひどく踏みつけられたことがあった。  踏まれている間に足の裏で強くこすりあげられたことで、ズボン越しに思わず射精してしまい、生温かさから気付かれて、さらにお仕置きをされたのだ。  今でも、その時垂らされたローソクの熱いろうの恐怖と火傷の痕が残っている。  その日が訪れるまでは、体の温かさからくる、血が通っている実感も得たくて、時々ズボンも下着も下げてこすり合わせることもあったが、それ以来、ズボン越しのみで行うようになったのだ。                      ★  ――聖夜たちが暗い部屋に閉じ込められて、母親から虐待を毎日受けるようになったのは、六歳頃からだった。  五歳までも、近所の友だちのように保育園や幼稚園に行かせてもらうこともなく、母親に言葉や数字を教えられて育った。  だが、その時まではまだリビングやトイレ、浴室など家の中は全て自由に行き来ができ、二日に一度の頻度で公園に散歩にも連れて行ってもらえた。週に一度だが、父親にも会えた。  ある日、突然、暗い物置部屋に押し込められ、日中は鍵をかけられ、外に出られないようになったのは、父親が姿を見せなくなってからだった。  それ以来、友だちに合うことも許されず、小学校にも、中学校にも、高校にも通わせてもらうことなく、今日に至る。  だから、頼れる相手も信用できる相手も自分たちだけだった。 「ねえ、兄さん。お父さんはどうして帰ってこなくなったんだろうね」 「おやおや。私たちは、お父さんの悲鳴を聞いたでしょう」 「おれがわるかった、おねがいだからそれをしまってくれ、だっけ?」 「シンユウニテヲダスダナンテサイテー、ユルサナイユルサナイ――。その後、お風呂場が真っ赤になったでしょう? それ以来お父さんは見ていません」 「お父さんもお母さんに痛いことされたのかな......」 「その時は、お父さんが悪いことをしたからお仕置きをされたのでしょう。仕方ありませんよ」 「そうだとしても、僕たち、お父さんを助けてあげられていたら、こんなことにはならなかったのかな?」 「その日を境にお母さんがおかしくなっていきましたものね。でもこれ以上は私たちには情報がありません」 「そうだね。僕たちはお父さんのさけび声を聞いてしまったから、お母さんはおまわりさんに言われるのが怖くてこうしてとじこめて、クチフウジをしようとしてるのかな?」 「どうでしょう。いつも、『オマエナンカシンデシマエバイイノニ』と、『モウアタシハ、アナタシカイナイノ、アナタマデウラギラナイデ』のどちらかを叫んでいますからね。私たちには想像もできないような大人の秘密や考え方があるのでしょう」 「僕、兄さんがいなければ、お母さんがおばあさんになってポックリいくまでだなんて、たえられそうにないよ」 「大丈夫ですよ。私がずっとそばにいますから」 「一体いつまでつづくんだろう。いつか、前のようにやさしいお母さんにもどるかな?」 「どうでしょう。ひどい心の病気は治りが遅いと言いますから......」 「僕、お母さんがまたやさしく戻ったら、架也兄さんと小学校から通いたいんだ」  姿見越しに、兄と語り合ったり、過去を振り返る時も、聖夜にとっては大切な時間だった。兄の温もりをたくさん感じていたくて、本当は何時間でも話していたかった。  ――そろそろ、来る。  廊下の向こうから、スタスタとスリッパの音が聞こえたら、虐待が始まる合図のようなものだった。  南京錠が開く音がした後、バン! と、扉が開けられ、むしゃくしゃした顔の母親がずかずかと入ってくる。これを見ると反射的に聖夜は頭を抱えて、体をかがめて丸くなってしまう。  「年々、父親似の顔になってきやがって!」 「聖夜!」  架也は、聖夜をサッとかばうと、代わりに、思い切り髪をつかまれて床に倒されてしまった。  ――兄さん!   本当はかけよりたいのに、体は震えたまま動いてくれない。 「奥さんと別れた後、あたしと結婚してくれるはずだったのに......。それなのに、ユミコを選ぶだなんて許せない......! あたしは、五年も待ったっていうのに! きいいいっ」  頭をかきむしって髪を振り乱す母親の姿は「末恐ろしい」という言葉そのものだった。子どもの頃に見たやさしい印象はどこにもなく、聖夜はただただ震えることしかできなかった。 「お前も、お父さんのように女ったらしにならないようにしなきゃねえ!」 「ううっ」  股間を何度も蹴り上げられて、兄が苦しそうに悶える姿はもう見てはいられず、気付いた時には、聖夜は、母親に突進して押し倒していた。 「やめてよ、やめてよ、兄さんが死んじゃう。おちんちんは大事なところだから大切にしなさいって、お母さんも昔言っていたじゃないか。もうやさしかった頃のお母さんに戻ってよう。痛いのは嫌だよっ」 「聖夜、ごめんね。おちんちん、痛かった? 痛いの痛いの飛んでいけ~、しようねえ」  床に倒れている母親は、先ほどと打って変わって、やわらかな表情をしていた。 「うん、兄さんに痛いの痛いの飛んでいけ~ってしてあげて」  すると、母親がきょとんとした顔になり、 「兄さんって誰のこと? 聖夜は一人っ子じゃない」  と、にっこり笑って言った。  ――え? 一人っ子? 「うそだ、うそだ、うそだ! 兄さんはここにいるよ、ずっと僕をお母さんから守ってくれたのに。いないかのように、ひどいこと言わないで!」  聖夜は、母親の首を持って頭をがくがく揺らし、床に打ち付けて叫び続けた。  そして、彼女は次第に動かなくなった。 「お母さん、寝たの? 寝る前に兄さんはちゃんといるってあやまってよ、ねえってば!」 「聖夜、そこまでにしましょう。私がちゃんといることは聖夜だけが知ってくれていたらそれで良いのです。さあ、お母さんが気絶している間に、この部屋からも、この家からも逃げるのです。こんな機会またとないですよ」  架也は、聖夜をうながしたものの、姿見の向こうで手を振っている。 「ダメだよ、兄さんも一緒に逃げるんだ」 「私は、ここまでです。もう『発狂したお母さん』から聖夜がいじめられることもないでしょうから」 「いつでも一緒にいて守ってくれるんでしょう? 兄さんがいないと、僕は不安で一人でだなんて生きていけそうにないよ」 「でも、聖夜ももう気付いているはずです。私が虐待の恐怖から生まれたあなたの二重人格であり、鏡越しに客観的に見た自分であり、実際に触れることは叶わない存在であるということも。ですから、元凶である『お母さん』がいない世界では私はもう役目など......あん」  聖夜は鏡越しに、架也の唇を、自分の唇を重ねてふさいだ。 「そんなの知らないよ。僕にはまだまだ兄さんが必要なんだ! だからずっとどこまでもっ、一緒にいて、よ」  局所もこすり合わせて、腰を振り出した後、久しぶりにチャックに手をかけていた。  下着からこぼれ落ちた素肌のままこすり合わせていく。 「聖夜......っ」 「架也兄さん......っ」  いつもより長いキスと触れ合いに、大事なところはお腹に付くぐらいまでになり、硬く育っていた。 「見て、兄さん。おちんちん、こんなに大きくなるんだねえ。ここまですごいの、初めて見たよ」  「ふふふ、そうですね。では、射精するまでこすり合わせてみましょうか」 「うん!」  これまでは、声に出しては気づかれると思い、この先を自分たちでしたことはなかった。  辛くはあったものの、あの日の、射精の瞬間を思い出して、思い切りこすり合わせて腰を振った。  聖夜も、母親が気絶ではないことを悟っていた。だから、あふれ出た言葉一つ一つも甘い吐息もそのまま口に出して、放った。今ここで生きている証として――。 「はっ。はっ。あふ、いく、いきそう。もう出ちゃう、兄さああああんっ!! ああん!」  射精後も、脱力感に耐えながらもこすり合わせ続けていると、自分の意識とは別に、じょばじょばと精液が飛び出してきた。 「何これ、とまらない、はずかしい」  聖夜は、全ての精液を母親の顔にかけまくった。  ――ねえ、お母さん。大人になるってどういうこと?  ――どうして、お父さんと僕のおちんちんは見た目がちがうの?  精液をかけながら脳裏には、小さな頃に、母親に質問したことや、その答えが走馬灯のようにかけめぐっていく。  ――そうね、お父さんのように毛がふさふさに生えて、子どもを作るための精液も作れるような大人のおちんちんになる頃には、聖夜もすっかり大人のお兄さんになって、自立して、自分のお給料で暮らせるようになったら、誰かと結婚したり、子どもを作ったりして、お母さんをしあわせにできるようになったら......ちゃんと大人って胸を張って言えるのかもしれないわね。お母さんは途中でちゃんとした大人にはなれなかったけれど......。  ――じゃあ、おちんちん、大切にしなきゃだね。  ――そうね。痛いことしたり、汚い手で触らないように、大人になっても大切にしてね。  ――はあい。  あの頃のお母さんには、もうあえないんだね。  だから、今、僕にできるハンイのことをするね。 「ふふふ。お母さん、ちゃんと見てくれた? 僕、お母さんが昔教えてくれたように、おちんちんから精液をたくさん作れる大人になったよ。毛もまだまだお父さんよりかは少ないけど、ちゃんと生えているでしょう? 大人になったらジリツして、お母さんをしあわせにしてねって昔言っていたよね。僕、大人になったから、ジリツしてみるね。僕がここからいなくなったらお母さんもしあわせでしょう? いらないって死んじゃえって言っていた時の方が多かったものね。じゃあね、元気でね......」  聖夜は、ズボンをはき直すと、無邪気な笑顔を見せて、カーテンが壁に接着剤で頑丈に貼り付けられて、一筋の光の侵入も許さなかった暗闇から抜け出した。  コデマリの姿見を担いで――。  

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