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第八話

「貴様、よくも!!」  豊成の怒声が辺りを震わす。  女は振り向きざま、ぎりぎりで豊成の一撃をかわしていた。  怒りに顔を染め容赦なく斬り結んで行く豊成であったが、紅や父から女を遠避ける事は忘れてはいない。  紅は忠臣の働きに感謝しつつ、藤野が気になり駆け寄った。 「藤野は?」  父に抱き止められた藤野の様子を確認する。  若葉色の打ち掛けの背はもちろん、その下の桜色の着物の一部も切り裂かれてはいたが、膨らませて固く結んだ帯が、刃を受け止め藤野自身には傷一つついていなかった。 「大丈夫か?」  身を起こす藤野に父が、心配そうに声を掛ける。 「はい、大丈夫です」と微笑む藤野に安堵したものの、藤野の背中を擦る父の手を見ると振り払いたい衝動に駆られる。  この気持ちは何だ?  自問自答してみるが、考えるとやっかいな状況になりそうで、紅は考えるのをやめた。  しかし紅の気持ちだけでなく、この場の状況も益々厄介な事になりつつあった。  相対する敵が、いつの間にか五人となっていたのだ。  明るい日差しの中に不似合いな夜の者達が、殺気を隠すことなく向かってくる。 「上様、しばしお堪え下さい」  そう言うや、豊成は懐から取り出した笛を吹き鳴らす。  ぴぃっ、という甲高い音が響く。    異変を知らせる笛の音に、一帯を警護する者達がすぐに駆けつけるだろう。  彼らが到着するまでの僅かの間、それを堪える事ができれば良いのだ。 「ちっ、殺るぞ」  舌打ちした男が、豊成に迫る。  幾ら豊成の腕がたつと言っても、三人を庇いつつ五人を相手にするのは困難だ。 「父上、藤野も下がっていて下さい」  刀を抜いた紅は豊成と並び、古木を背にする形で、二人を後ろに庇う。  暗殺を生業とする忍びと言えば、腕がたつと思われがちだが、個々の剣の力量と言えば、そうでもない。  そもそも暗殺は正々堂々行われるものではないから、通常は向かい合って斬り結ぶ等とゆう作戦は選ばない。  こっそりと毒を仕込んでみたり、夜陰に乗じて多勢で攻めるといった事をしている。  故に幼い頃から剣を習い、日々鍛練している侍にとっては、剣と剣での勝負であればそれほど分が悪いとい言うことにはならないのであった。  とはいえ、紅らが対峙している男たちについては、かなりの手練れであろうと思われた。  何せ将軍の居城に乗り込み、将軍その人に刃を向けているのだから……。  黒幕が誰かは知らぬが、生半可な人物を差し向けてくる事はないだろう。  忍刀(しのびがたな)苦無(くない)で打ち掛かって来る敵を、刀の長さを活かし間合いを詰められないよう退ける。  紅ら全員が生き延びる為に大事なのは、相手を倒すことではなく、時間を稼ぎ助けが来るのを待つ事だ。  それは相手からすればその助けが来る前、数が有利な今のうちに事を終わらせたいとおもうわけで、気迫の篭った攻撃がこれでもかと仕掛けられる。  仕掛けられる攻撃を二合三合と受け止める間に、別の一人が隙を突き斬りかかってくる。  豊成と息を合わせ防いでも、後ろに庇う二人に迫る者を牽制する必要もあり、僅かな間に二人の息は上がっていた。そんな二人の隙をついて、女が後ろに回り込んだ。 「兄上、刀を!」  聞こえた声に豊成は己の脇差しを抜き、藤野に投げ渡す。  がきっ!と、刃同士がぶつかる音が、紅の背後から聞こえ始めた。  忍びが振り下ろして来た手甲鉤(てっこうかぎ)を、紅は刀の峰で受け止める。  力を頼みに紅の顔に鉤爪を突き立てようとする男に、紅は受け止めていた力量を刀を滑らせ拮抗を崩す。  思わず前のめりの姿勢になった男の脇腹に、体重を込めて蹴りを放つ。   男が側にいた仲間も巻き込んで倒れたのを確認した紅は、背後を振り返った。  そこには、女忍びと斬り合う藤野の姿があった。  切られた打掛けも着物も脱ぎ捨て、真っ白な襦袢姿になっている。  細く華奢な体だが、女人のわりに刀を操る様は危なげ無く見えた。  彼女は、豊成を兄と呼んではいなかったか?  確かに豊成に妹はいるが、確かまだ十に成るやならずであったはずだ。  どういう事だ?  つい考え込んだ紅の隙を見逃さず、豊成と紅の間を風のように走り抜けた男が、藤野へと迫った。  紅があっと思った時には、遅かった。  女の懐剣を受け止める藤野の視界から、男は身を沈め一瞬逃れる。  そうして逆手で持った短刀を飛び上がりざま、藤野の首目指して引き切った。  はらり  黒髪が宙を舞う。  男の攻撃を避け、後ろに倒れるようにして身を交わした藤野であったが、結い上げず部分的に垂らしてあった髪が、刃に持って行かれた。 「藤也っ」  叫んだ豊成が、二人の間に割り入り彼女を背に庇う。 「大丈夫か、何処も切られていないか?」  しかし、問い掛けに答える声はなく、豊成を押し退けるようにして藤野は立ち上がった。  その白く滑らかな頬を、一筋の血潮が彩っていた。  細く白い指で己の頬を掬った藤野は、その指に口づける。 「面白い事になっているな」  血に染まった唇から洩れた呟きは冷たく硬質で、少し低いが暖かみのある声で養い子の話をしていた藤野の声とは異なって聞こえた。  違和感を感じ眉を寄せた紅の表情に気づき、豊成が気まずそうな顔をしたが、藤野本人は嬉々とした様子で相対する忍に告げたのであった。 「死にたいのは、誰だ?」

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