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第18話

「……え、……なん、で……?」 絶望に染まる由伊の声に、一層涙が止まらない。 「っそんなに泣いて、震えて、好きって言ってくれて、俺だって、好きなのに、なんで?どうして?俺が嫌いって言ったから?怖くなっちゃった?俺の、せい?ごめん、ごめん……っ」 慌てて顔が真っ青になってしまった由伊を見て、律はずびっと鼻をすする。 「……ううん。由伊のせいじゃない。俺のせい……ごめんね」 「律くんは、人を好きになれたじゃん‼変わろうと思って沢山頑張ってたじゃん‼親父とも母さんとも、ちゃんと話してくれてた‼それの何がダメなの?まだダメなの?じゃあ何をすれば律くんは赦されるの?何に赦されていないの⁈」 焦る由伊が律の肩を掴み、問い詰めてくる。 「……っゆい、ごめん、ごめんね……」 もう、謝るしか出来ない律は困った顔でひたすら謝罪するしかない。 「ごめんじゃ分かんねぇだろ‼ちゃんと言えよ‼なんでだよ‼なんで好きなのに一緒に居れねぇんだよ‼まだ何か抱えてんの⁈にも言えない⁈俺はそんなに頼りねぇかよ‼」 「ちがう‼頼りなくなんかない‼」 「……っ、じゃあ、なんでだよ‼」 「……頼れるから、頼りたくないの。俺はもう何も抱えていないよ。大丈夫。だから、由伊も幸せになって欲しいの」 「俺の幸せは律くんといる事だって言ってんだろうが‼なんで分かんねぇの⁈俺の何が足りない⁈あと何をすればいい⁈」 「ゆ、ゆい……」 「俺は……、 律くんの恋人に、なりたいんだよ……っ‼」 ドクン、と心臓が大きく脈打った。 真っ直ぐに、素直な言葉で伝えられて必要とされている。俺の恋人になりたいと、俺の想い人は泣きながら叫んだ。陽の光の反射で、宝石を散りばめたような煌めきを纏う涙を流しながら、由伊は、泣いた。同時に、俺はなんで死ななきゃいけないのだろう と思った。由伊はぎゅっと震える手で俺の手を握り、そのまま言葉を続けた。 「……俺は律くんと釣り合う男になる為に悪い事全部やめた。勉強も頑張って律くんと同じ学校に入った、律くんに見てもらいたくて生徒会もやった、皆に優しくした、律くんのために、口調も改めた、甘い物も、まだ嫌いだけど食べられるようにした!」 ……勉強とか、だけじゃ無かったんだ。今知った新事実に、律は目をぱちくりとさせる。 「……っ俺は、元々素行がクソ悪かったんだ……。っけど‼そんな俺を救ったのも律くんなんだよ‼」 「え、……俺?」 思わぬ自分の登場に首を傾げた。俺、なんかしたっけ? 「……八年前……小学三年生の頃、俺は家族旅行で律くんの実家の方へ遊びに行ったことがある。……そこで、親と喧嘩した俺は一人で、公園で不貞腐れていたんだ」 ……八年前って……俺が事件にあった年? 「……公園で一人ブランコ乗っていたら、……律くんが来た」 えっ、俺?待って、全然思い出せない…… 「……あの日、むしゃくしゃしていた俺は『一緒に遊ぼう』って声をかけてくれた律くんさえも邪険に扱ったんだ。突き飛ばして、怪我させた」 ……そんなこと、あったっけ。 「泣くかと思って身構えていたのに、律くんはなんて言ったと思う?」 ……えっ、俺なんて言ったんだ? 「『なんでなかないの?』って俺に、言ったんだよ」 ……なんで、泣かないの。……思い出した。 「……あの時、ひとりで、ブランコで寂しそうに乗ってて……ずっと、我慢してたから……不思議で……声、かけた……」 由伊は、にっこり嬉しそうに、笑った。 「そうだよ。……律くんは、自分の手から血が出てるのに、赤の他人の俺に怪我させられたのに、君は俺の心配をしたの。おかしいだろ?」 「お、おかしいって……!」 ムッとして頬を膨らますと、由伊は慈愛に満ちた微笑みを俺に向けた。 ……ああ、陽だまりのように優しい 「律くんが言った、俺の優しさの源は、律くんが与えてくれたものなんだよ」 ……由伊が優しくしてくれていたのは、俺が、優しくしたから? そんな、今思い出したようなことを由伊はずっと覚えていて……? 「俺の全ては、律くんで出来てんの。途中、律くんに会えなくてグレたけれど、結局こっちで律くんをたまたま街で見かけて、必死に追いかけた。律くんのためにもっかい生きようって思えた」 ……俺のために、生きている大好きな人由伊が俺のために生きてくれているのに……、俺は由伊のために、死ぬのか 「……いちばん最初に告白した日、いっこ嘘ついちゃったね。……本当は律くんのこと好きになったのは、八年前だよ。でも覚えてないだろうし、引かれたら嫌だから、嘘ついた。あの日話した内容は、俺が見惚れた時の話」 世界は、残酷だと知った。俺のために生きてくれている人がいると知っても、おれには、何も返せない。 「……ねえ俺はね、死んでも律くんを嫌いになんかなれないの。本当に嘘さえ辛かった。律くんはどんどん俺が居ない方がしっかりしてくし、寂しかった」 俺を愛おしそうに見つめてくれるこの人は、……俺のために生きてくれているこの人は、俺が死んだらどうするのだろうか。 「酷いこといっぱいして、ごめんね。俺は、これまでもこれからも、律くんだけを好きなんだよ。律くんの居ない世界で息なんて、したくない」 「……ゆいは、俺が居なくなったら……どうするの?」 悟られぬように、そっと聞いてみた。由伊は、満面の笑みで言った。 「死ぬよ」 俺が死んだら、由伊も死ぬ。……それは、俺の望んだ結末じゃないよ。……それは、凄く困る。死んで欲しくない。 「……俺が、死んで欲しくないって……言ったら?」 恐る恐る見上げると、由伊は怪訝な顔をしつつも「ううん」と悩んだ。 「……律くんの望む事は何でもしてあげたいけれど、……それは律くんの居ない世界じゃ意味ないからなあ。……言う事は聞きたいけど……言わばそれは俺にとって呪いかな」 ……呪い。爽やかな笑顔でさらりと言われ、ちょっと不安になる。 この人は、俺のために死を選べる人なんだ。……そう思ったら、何だかおかしくなって来てしまった。 「……くっ、……ふふっ」 「えっなあに?どうしたの?」 なあんだ、俺たち、本当に運命の赤い糸で繋がっているのかもしれない。 お互いが、お互いのために死を選ぶ、そんなの赤の他人としようなんて考えられないよ。俺は由伊のために、由伊は俺のために、自分の人生に終止符を打つ。この人と死ねたら、幸せだなあ。 「……やっぱり、由伊が大好きだよ」 「っじゃあ……!」 キラキラと表情を明るくした由伊に顔を近づけ俺は、ふにっと自分の唇を重ねた。 「……り、つ……くん」 「……でも、ダメ。……生きて幸せになってね、由伊」 最後の、キス。最初で最後の、愛の告白。 いちばん大切で愛おしいアナタに、出来て良かった。 呪いは、老いて死ぬまで有効なんだからね、由伊。 「律〜、おみくじ大凶だったぁ」 メソメソと泣きついてくる文崇に、律は苦笑しつつ俺のと交換しようか?と返した。 「えっ⁈律、大吉⁈すごいね⁈さすが僕の息子だ‼」 ぱあっと抱き着いてくる文崇を宥めながら、甘酒を飲みに行こうと誘導する。 あれから、律は泣いて何も言えなくなってしまった由伊を宥めて、二人、無言で家に帰ってきた。家族は既に起きていたけれど、由伊はろくに挨拶もせず自室へ篭ってしまった。京子たちに訳を聞かれたけれど、「喧嘩しました」と誤魔化した。 「わあ!律くん大吉引いたの⁈縁起がいいわねぇ〜!」 由伊の、ご両親も一緒に来ていたので律のおみくじを見て喜んでくれる。寛貴や真も一緒に来たけれど、早々にお参りをして先に二人で帰ってしまった。四人で色々回っていると、いつの間にか居なくなっていた父さんが嬉しそうに駆け寄ってくる。甘酒を飲みつつ目をやると、目の前にチロリン、と鈴の音が聞こえるお守りを差し出してきた。 「どうしたの?買ったの?」 「うん!律にだよ!何処へいっても、このお守りが守ってくれる!はず!」 ふふ、はず、って。 「……ありがとう、大事にするね」 素直に律を言うと、文崇は満足そうに「うん!」と頷いていた。 「さあそろそろ帰る?お家でお汁粉でも食べましょうか」 京子の声に、そろそろか、と律は息を吐いた。 「あ、皆さん先に帰っていてください。俺、少し寄っていきたい所あるので……」 そう言うと、皆は「着いていくよ」と言ってくれた。そういう人達なのを分かっていたから、律は首を横に振ってわらう。 「良いんです、俺、一人で行きたいので。……なので皆さん、ここまでで大丈夫です。色々、ありがとうございました」 ぺこりと、頭を下げると文崇も含め、京子たちも不思議そうな顔をする。 「あらなあに?どうしたの?お家に帰ってきてね?お汁粉あるんだから」 京子は、困ったように笑う。律も、しっかりと、本物の笑顔を作る。ここでもう、一生、皆とお別れだ。 「……はい、楽しみです」 最後の、嘘。 「……律?」 怪訝な顔をする文崇に焦り、律は慌てて言う。 「ちゃんと帰るよ!お汁粉食べたいから!だから、ごめんね」 「……そう。なるべく、早く帰ってくるんだぞ?何かあったら連絡しなさい」 文崇は、厳しめの声でそう言った。律は、それに「うん」と笑って返した。 「じゃあ、またね」 京子と孝は優しい顔で手を振った。文崇も、「待ってるぞー!」と大きく手を振っていた。 皆に嘘をついた罪悪感もあるし、みんなの元へ帰れない寂しさもあるし、なんだろうな……。 整理したつもりなんだ、自分の中で。死ぬ事への葛藤は、必要ないはずだった。 だってそれ以外の選択肢は俺に残されていないのに、足掻いたって無駄じゃないか。 悲劇のヒロインを気取りたいわけじゃない。 被害妄想をしたいわけでもない。単なる事実なんだ。三人の後ろ姿を見て、律はぽたりぽたり、と滴を落とした。 「さようなら、みんな」 最後に、さっきまで由伊と居た高台に行き、人生最初で最後の愛の告白をかましたベンチに座り景色を眺める。橘と仲野に感謝を伝えるためだ。お世話になった人にはしっかりとお礼を言いなさい、って、言わずに死んだら天国で母さん怒られそうだ。母さん怒ると怖いからなぁ……。父さんが激甘な分、母さんは怒った時とても怖かった記憶がある。でも、母さんは理不尽な事では怒らない人だ。筋の通った理由があれば、ちゃんと受け入れて納得してくれる。 ……だから、大丈夫かな そういえば、死んだら俺はどっちにいくのだろう。天国?地獄?……由伊を沢山傷つけたから、地獄かな……。ふふっ、と笑って律はまず、仲野に電話をかけた。プルルル、とコール音が鳴る。ツッと途切れると、「はーい!」と元気な声が聞こえてきた。 「もしもし?仲野さん、おはよう。今平気?」 『宮村くん!久しぶりー!なになに、どったの? 元気な仲野の声に安心する。 「ううん、新年の挨拶したいなと思って。あけましておめでとうございます」 『えー!なに律儀ー!でも嬉しい、あけましておめでとうー!』 「ふふ、仲野さん元気だね」 『宮村くんも、なんだか楽しそう!どうかしたあ?』 「どうもしないよ。ただ、楽しそうで嬉しくなった」 『何それ素直だね!可愛いこというー!』 ケラケラ笑われ、何だか恥ずかしくなった。 「仲野さんは今、恋してる?」 『えっ⁈恋⁈してないしてない!どうした?』 「ううん、仲野さん恋多き乙女そうだから居るかなあって思っただけ」 『はは!なにそれぇー!居ないよぉ、居たら紹介して欲しいくらい!』 「紹介かぁ……橘とかは?どう?」 『宮村くん、それ、橘くんしか友達居ないからでしょお』 「ふへ、バレた?」 『ばればれ!橘くんは、多分なんか違うよぉ。こっち側じゃないと思う』 「こっち側?」 『……ううん、なんでもない!それより宮村くんは?由伊くんとどんな感じ?』 「……ふふ、両想いになっちゃった」 『えっ……えーっ⁈うそー⁈おめでとう‼おめでとう‼やだあ‼早く言ってよ‼』 「ごめんね、恥ずかしくて」 『何よ可愛いなあー!えっいつから付き合ってるの⁈』 「付き合っては……いないんだあ」 『え、なんで?両想いなんでしょ?』 「うん。でも付き合ってはないんだ」 『そう、なの?……そっかあ、まあ色んな愛の形があるもんね』 「うん、仲野さん、良い人見つけて幸せになってね」 『……なあに?急にー』 「ううん。仲野さんの子供可愛い絶対!俺が保証する!」 『なぁんで宮村くんが保証してんのよ!でもありがとうね、嬉しい』 「俺も、仲野さんが幸せだと、嬉しい! 『ふふ、今日どうしちゃったの?可愛いね』 「可愛くないよ、ただ感謝したくなっただけだから!じゃあ、そろそろ切るね」 『うん、分かったよ』 「朝から電話出てくれてありがとう」 『とんでもない。また学校で会おうね』 「うん、またね」 ツーツー、と切なく電子音が聞こえ、仲野の声がなくなった。 色んな事があったけれど、こうして仲良くなれたのは本当に奇跡だと思う。 最後に、橘の連絡先をタップした。 コール音が長く流れ、出てくれないかも、とちょっと焦ったけれどツッと途切れ、眠そうな声で『はい……』と聞こえてきた。 久しぶりの橘の声が、嬉しい。 「……もしもし、橘?寝てた?起こしてごめん」 『んー?……おー⁈りっちゃんかあ⁈珍しなあ!どないしたん?なんかあったん?』 秒速で心配してくれる橘に、相変わらずだなあと微笑みながら街に目をやる。 「何も無いよ。ただ、新年のご挨拶はしとかなきゃなあと思って」 『そら嬉しいなあ。あけましておめでとぉ』 「ふふ、おめでとう」 『なんやりっちゃん嬉しそうやなあ?なんかええ事あったん?』 「ううん。久しぶりに橘の声が聞けて嬉しいだけ」 『……なんやそれー!可愛ええこと言うやん!由伊とは上手くやっとるんか?』 「うん、……両想いになれたよ」 『えっ⁈えっそうなん⁈そら良かったやん‼ってか、新年の挨拶よりそっちのが早く聞きたかったわー!』 「ふふ、今さっき告白したところだよ」 『そぉかあそぉかあ、良かったなあ。ほなこれから、沢山楽しみが待っとるな』 「……うん、そうだね」 『ん?どないしたん?』 「……たちばなぁ、……俺ね、こっちに引っ越してきてから橘が、初めての友達なんだ」 『……りっちゃん友達居らんもんな!それが俺は嬉しいんやけど‼』 「……初めての友達が、橘で本当に良かった」 『……りっちゃん?なんかあったん?どないしたん、急に』 「何にも無いよ。なんかいい景色見てたら、感傷的になっちゃった!」 『……りっちゃん、泣きたいんやったら泣き?そこ誰も居らんのやろ?泣いたってええんよ』 「……泣かないよ。大丈夫!」 『なぁ、りっちゃん。俺はいつでもりっちゃんの味方やで?なんかあったなら言うてくれ』 「本当に何も無いんだよ、これから由伊のお家に行ってお汁粉食べる予定なんだから!」 『りっちゃん』 ……言ってしまいたい、助けて、と。言えたらどんなにラクだろう。 誰かがどうにかしてくれるのはどれだけラクだろうか。 「橘、本当に本当に大丈夫!冬休み明け、会おうね。会って、……えっとねぇ、カラオケとかゲーセンとかいってみたい!」 言えるわけない。大切な人を、巻き込むわけにはいかない。 『……そうか。せやなあ、カラオケ、ゲーセン行こかあ。プリクラなんかも撮る?』 くしし、と笑う橘に安堵して、律も笑う。 「うん!やりたいこといっぱいある!卒業しちゃう前に、ちゃんと、遊ぼうね」 卒業も、出来ないんだけど。……いや、この場合出来たことになるのか? 『せやな!悔いなく遊んどこうや!俺も学校行くようにするしな』 「へへ、待ってるからなあ〜?」 『りっちゃん友達居らんもんな!俺が行かなぼっちになってまう!』 「あー!それ言わない約束ー!」 『しとらんもーん!』 「ふふ。じゃあ、そろそろ切るね。朝から出てくれてありがとう」 『おう、電話ありがとな。気ぃつけて帰れや』 「うん、本当にありがとう」 『……学校で、絶対会おうな』 「うん!またね!」 『おう』 終了のボタンをタッチして、橘の声が、消えた。 あれ?俺二人に由伊との事話してたっけ?二人ともどうして知っていたんだろう……。まあもういいか。 すべて、終わった。 最後の最後は、母さんに挨拶をしよう。 立ち上がり、ボーッと道を歩く。ポケットの中で、文崇に貰った御守りの鈴が歩く度に音を立てる。あそこの公園は、子供たちがよくはしいで駆け回っている公園。ここはサラリーマンがよく通っていた。あそこのカフェは、由伊が一回だけ連れてってくれた。あのコンビニはよく行く御用達のコンビニで、優しいおじいちゃん店員さんが居た。 ……あ、あの花屋さんは……。 「あれ?キミ、この間の子じゃん」 見た事のある店員が、パッと笑顔になって声をかけてくれた。律は駆け寄ってニコリと笑う。 「この間は素敵なお花ありがとうございました!父がとっても喜んでくれました……!」 「そっかあー!お父さんのためのお花だったのかあ〜、良かった良かった!今日は?初詣の帰りかなんか?」 綺麗なお兄さんはにっこり笑ってくれる。優しい笑顔の人だなあ。 「はい、さっき行ってきて今帰るところです」 「そうなのか。あ、じゃあこれあげるよ」 お兄さんは仕舞おうとしていた花を適当に見繕ってくるくるっと簡単に包んで花束を作ってくれる。 「今は営業してないんだけど、こいつらを見に来たんだ。ちょうど片付けをしてた所だからあげるよ。お花好きなお父さんにあげてみて。もしくは好きな人でも可」 「好きな人?ですか?」 「うん、君は何となく居そうだから」 ドキリと胸が鳴った。 なんで分かったんだ? 「俺はねぇ、そういう勘が人一倍鋭い!因みにキミは、今日は真っ直ぐおうちに帰りなさい。フラフラしていて危なっかしいよ」 ビシッと言われ、ビクッとする。……な、なんなんだこの人……なんか、怖いな。怖いというか、見透かされていて不安になるというか……。 「……ありがとうございます、これ、大切にします」 「ふふ、可愛いね。切り花だから長くはもたないけど、大切にしてやって」 「はい!」 「また来てね」 「はい!また……!」 切り花でも手入れをこまめにやれば、それなりにもつ。これは、母さんにあげよう。 あ、そのまえにこの花の写真を由伊と父さんに送ろう。父さんと、好きな人にって言ってたしな。この花、なんて名前なのだろう。まあいっか。律は心做しかルンルンで、母の待つ家へと帰った。ガチャリと、合鍵で鍵を開けてまだ央祐が居ないことを確認して、ホッと息を吐く。靴を脱いで、花を持ち仏壇の前に座り、線香を焚いて手を合わせ、目を瞑った。 助けて欲しかった。 誰かに引っ張ってもらいたかった。 そばに居て欲しかった。 いい子にするから、悪いことしないから、 だから、幸せになりたかった。いや、幸せだった。 母さんと父さんの子供に生まれたこと、 二人に愛されたこと、素敵な友人に出会って、恋をしたこと。 人を愛する大切さと、嬉しさ、あたたかさ、優しさ、色んなことを知って死ねるのは、幸せな事だと思う。 ねえ、母さん。 俺は母さんの息子で凄く幸せだよ。母さんが亡くなっても、それは永遠に変わらない 母さんの本読んでいた時のあの横顔がすごく好きで、父さんとよく眺めていた 母さんが亡くなって絶望して、それでも父さんと何とかやってきた。 途中、辛いことが沢山あったけど、素敵な人と出会えたんだ 母さんが出会わせてくれたのかなあ? あとね、父さんにはいっぱい迷惑かけちゃった。だから、守りたいと思った。 そう!守りたい人が出来たんだよ!友人や、友人の家族…… まさか俺にそんな人が出来るなんてね!びっくりでしょ? 母さんだったら、なんて言う? 俺が男の人好きになったよ、なんて言ったら、笑ってくれるかな? 母さんも父さんも、きっと笑うんだろうね。 「良かったね」って言ってくれる? 言って欲しいなあ。 俺ね、母さんに毎日会いたくなるよ。 なんで居なくなってしまったのって毎日思ってた。 母さんと一緒に行きたいところいっぱいあったんだ。 もし母さんが行けなくても、俺がいって写真なりなんなりして見せてあげたかった 母さん、なんで居なくなっちゃったのかな。何度俺が代わりに死んでればって思った。 でもね母さん、俺もうすぐそっちに行けるんだ。 母さんとまた会えるんだよ会ったら抱き締めてくれる?頭撫でてくれる?頑張ったねって言ってくれる? ……怒らないで欲しいな。怒られるのは、いやだ 母さんと笑って過ごすんだ。 だから、死ぬの、怖くないよ……でも母さんは、怖かったのかな。 俺は母さんが居ると思えるから安心出来たけど、母さんは先に誰も居なくて、怖かったのかな。 俺、生まれ変わっても母さんの子供に生まれたい。今度はお互い、元気で健康に生きたいよね。 俺もし、央祐さんと何も無かったらどんな人間になっていたのかな。いっぱい笑って、怒って、泣いて、やっぱり恋したりしたのかな。今更何考えても無駄だよね。未来を捨てると決めたのは、 俺だ。 ゆっくりと目を開け、写真の中の母さんと目が合った。微笑めば、どことなく微笑んでくれた気がした。父さんが、引っ越した先でもわざわざ一軒家にしてくれたのは、俺が他人と関わるのを避けられるため。他人の生活音にさえ怯えた俺は、父さんにそこまで迷惑をかけていた。 それでも、父さんとの思い出が詰まるこの家は宝物だ。 「そういえば、由伊も看病するのに、来てくれたっけ」 あの時は本当に死ぬかと思ったなあ。喘息が出ちゃって……本当。由伊家のみんなにも迷惑しかかけてなかったなあ。俺、ほんとダメダメだな。このまま生きていたらどんな人生を歩んでいたんだろう?サラリーマンかな?俺、働けるのかあ?畳にごろんと横になり、自嘲気味に笑った。 「……ふしぎだ、……本当にこわくない」 これから死ぬというのに、全く怖くない。笑ってしまうね。 「律、本当に来てくれたんだあ」 視界にバッと顔が映り、少しビックリした。 「嬉しいなあ、居ないと思ってたもん」 央祐さんはニコニコで律を見下ろしていた。律はにっこり笑う。 「約束したし、待っていてくれたから」 そう伝えると、少し驚いた顔をされる。央祐は、はにかみながら律を見た。 「……律、俺と死ぬの?」 「……えっ、なんで?」 まさかバレてるとは思わなくて、ビックリしてしまう。 「怯えてないから。律、全部諦めてきたんだ」 ……諦め……?俺は何も諦めてない、終わらせてきたんだ。 「……そっかあ、俺も死ぬのかあ」 ……何を言ってるんだ相変わらずこの人は。殺されるってわかっていて呑気な。 「死ぬなら、文崇に殺されたかったなあ」 「……」 それ、俺も同じこと思っていた。俺は、由伊に殺されたかった 「……でも、こういう結末もアリかもね」 にっこり、笑う央祐は相変わらず何を考えているのか分からない。大体俺は、なんでこの人を殺そうとしたんだっけ……。 「……俺、央祐さんのこと大好きだったんだ。……今でも央祐さんは、俺が言う事聞かなかったら、父さんに酷いこと、するの?」 最後の、望みだった。央祐は、切なく、笑った。 ……そう、この人は昔から悲しくても怒っていても、ずっと笑っていた。 そんなあなたを、慕っていた。 「……それが俺の、アイノカタチだからね」 あいの、かたち。 「……なら、……仕方ないよね」 律は、仏壇に置いてあるマッチを手に取った。シュッと火をつける。初めは怖かったマッチも、いつの間にか母のためだと思って練習したら、つくようになった。この日のためにじゃ、無いんだけどな。ポイッと畳に放れば一瞬で火が回る。手を動かした瞬間に、御守りの鈴の音が鳴った。 「……律は、これでいいんだ?」 律の頬に手を伸ばす央祐は、微笑む。 「……うん。全部、終わらしてきたから」 「……そう。切ないね。お前は……誰よりも、……」 煙を吸って、肺が苦しくなる。ひゅう、ひゅう、と呼吸が荒くなり、律は胸を抑えて蹲る。央祐はそんな律を何故か、抱き締めていた。最後に、抱き締められるのがこの人にだなんて、ああ、由伊はもし俺が生きていたらどんな愛をくれたのかな。今までみたいに、大好きー!って言ってくれたかな?結婚しよう、だなんて言われたりして。馬鹿だなあ、俺は男だから結婚も、子供も産めない。 当たり前の幸せは、由伊とは迎えられない。 胸に抱いた母さんの遺影にも笑われている気がした。 「……ふふ、馬鹿なんだあ……俺は……」 一人呟いた声は、轟々と燃え盛る炎が家を焼き尽くす音に消えていった。 ああ、これで終わり。 知りたかったなぁ最後に、未来で笑う俺の大切な…… 愛おしいアナタの『アイ』の形を。 さようなら

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