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第17話

「今年もお世話になりました」 年越しそばをみんなで啜りながら談笑していた。文崇もすっかり元気になり、中でも寛貴と真と一番打ち解けており三人で仲良くテレビゲームなんかやっていた。誰にも好かれていなく輪に入れない律は、由伊の両親に気を使われすっかりお手伝い係となった。文崇に呼ばれたりするけれど、ほかの二人に嫌がられるのが目に見えているので律から断っていた。今も食べ終わった三人は年末恒例のバラエティ番組を観て楽しそうに笑っている。律はまだ食べ終わらないので、お腹いっぱいでも口に入れ続けていた。あと人生で最後なのだから、ちゃんと完食したい。由伊は相変わらず皆の前ではニコニコ話してくれるけど、二人きりなると律に対して一気に冷たくなった。それでもいい。ずっと由伊といられるのが嬉しいんだ。由伊は食べ終わっているけど、皆の輪には入らずソファの端っこで本を読んでいた。時々兄妹に誘われているけど、にこやかに拒否していた。律も、やっと食べ終えて、「ご馳走様でした」と言えた。 「律くん最近、よく食べるようになったわねぇ。嬉しいわ」 京子にニコニコ言ってもらえて嬉しくなる。頑張るとほめてもらえる。 「美味しくて、いっぱい入っちゃいます」 笑ってそういうと、京子は「もー!かわいい!」とぎゅっと抱きしめてくれる。最近、京子には抱きしめてもらうことが増えた。孝には色々教えてもらうことが増えた。律が何でもかんでも聞くからかもしれない。せめて仲良くなりたくて、いっぱい話しかける分二人はたくさんの本物愛を与えてくれた。 「そうだ律くん、来週の土曜空いているかい?」不意に孝さんに尋ねられ、首を傾げてカレンダーを見る。来週の土曜……。もうそのころには俺はここにいない。けど律はにっこり笑った。 「空いていますよ」 嘘がうまくなったなと自分で思う。愛や優しさを与えられるたびに、どんどん自分の嘘が上手くなってゆく。それに伴って由伊の冷たさも比例していく。 「その日、律くんが行きたがっていたお店で初売りをやるんだが、どうだ?一緒に行かないか」 お店?なんのお店だろうか。正直覚えていない。けれど俺はここでも上手にこたえられる。 「嬉しいです、行きたいです」 行けないよ、そのころに自分はもう、この世にいないかもしれない。 まだ生きているかもしれないけれど、ここにはいられない。ああ、心がどんどん冷めていく。 準備が整えば整うほど、どんどん心も体も冷え切っていく。それなのに、由伊からの冷たさには一向に慣れない。由伊が隣に居てくれないことには全然慣れない。自分だけじゃ、暖かくなんかなれないよ。 「あら、いいわねぇ。律くん、私ともどこか行かない?陽貴も一緒に行きましょう」 いきなり話しかけられた由伊は、にっこり笑みを貼り付けて「お言葉に甘えて行こうかな」なんて簡単に嘘をつく。嘘つき。行きたくなんかないくせに。でもそんなこと、俺が言えることじゃない。 「よし、決まりね!明日は初詣だしそのあとにはたくさんおでかけしましょう!」 楽しそうに笑いかけてくれる京子に胸が痛くなりながら、律は「はい」と答えた。暫くお話していると、由伊が立ち上がり眠そうに自分の部屋へと行くのが見えた。律は会話もキリがよかったので一言詫びて席を立った。早くいかないと寝ちゃうかもしれない。急いで階段を上り、由伊の部屋に入った。由伊はちらりとこちらを見て、すぐに視線をそらし布団に入ろうとする。 その腕をしっかりつかみ「ま、待って!」と声をかけた。 「は?なに。もう寝るんだけど」 最近この不機嫌な顔しか見てないなぁなんて他人事のように思いながら、口を開いた。 「ゆ、由伊お願いが……あるんだけど」 震える声に、恥ずかしさを感じながらもしっかり目だけはそらさなかった。 「なに」 話を聞いてくれる由伊に嬉しさを感じてつい自然に口角が上がってしまう。 最近、幸せのハードル低くなったなぁ。 「あのね……一緒に初日の出に見に行きたい……んだけど……」 小さくなりながらそう言うと、由伊はぽかんとした顔をした後ぐわっと勢いよく目を見開いた。 「は、はぁ⁈今言う⁈」 「う、うん……」 由伊は「はぁ⁈」と大きな声を出して口を開いた。 「そういうのってせめて今日の朝とかに言うもんじゃないの」 険しい顔でもっともなことを言われ、しゅんと小さくなってしまう。本当は昨日言おうと思ってたんだよ俺だって。昨日由伊とまた小さな喧嘩をした後に、一人で立てたんだもん……やりたこと計画表。それで折角なら初日の出みたいって思って、言おうとおもったけど昨日は由伊と話せる空気じゃなかったし、今日もずっと由伊と二人になれるタイミングないし、リビングで言ってもよかったけど、みんなが居たら由伊断り辛いだろうし……そんな感じで適当に頷いてほしくなかったから、タイミング待ってたら今になっちゃたんだよ……。なんて言えるはずもなく、ただただ俯いてなんて言おう、と考えていると由伊は「はぁ」とため息をついた。 「……いいよ」 「……そう、だよね……えっ、え⁈いいの⁈」 思いもよらぬ返答に律は思わず由伊の両手を握って見上げた。 「なに、嘘なの?」 意地悪にそう聞かれ律は顔を真っ青にして「う、嘘じゃない!本当!」と慌てて言うと、由伊は少しだけ、くすりと笑った。 「……」 その優し気な笑顔を久々に見られて律は思わず目頭が熱くなる。 咄嗟に俯いて由伊の手を強く握って、「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と心の中で唱えた。 「じゃあ、それまで少し寝る」 「うん!」 嬉しすぎて俺が犬だったら、由伊の周りをくるくる走り回って尻尾もちぎれそうなくらいぶん回していたと思う。けれどしつこくすると怒られそうなので、本当はずっと手を繋いでいたかったけど、ちゃんと離した。 「二時に起きる」 「うん!」 アラームかけてくれる姿さえも愛おしくて、しつこくしない代わりに由伊にくっついて回った。 そんな律を、由伊は変なものを見るような目で見てきたけど、律は気にせずニコニコしておいた。 「……変なの」 ぽそりと呟かれ、律は微笑んで由伊を見上げた。 「おやすみ」 由伊は一瞬固まったけど「……うん」と返事してくれた。お布団に入るまでを見届け、静かに部屋を後にした。ああ、夜楽しみだなぁ。ウキウキが止まらなくて、にやけながら下へ降りた。 「あれぇ?律なんでニコニコしてるの?かわいいね!」 文崇にくしゃくしゃと頭を撫でられ恥ずかしくなる。 「ちょ、ちょっといいことあったの!」 ぷいっと顔を背けると、文崇は「はは!そっかそっか~」と抱きしめてくる。ここにはみんな居るのに!恥ずかしい!でもこんなのもあと数えるしかないと思うと、無碍になんかできなかった。 「……ねえ父さん、お願いがあるんだけど……」 「ん?どうしたあ?」 文崇はコテンと、首を傾げてニコニコ見て来てくれる。 「……あの、初詣父さんと行きたいんだけど……無理……かな……無理ならいいんだ……」 そう言うと文崇は少し驚いた顔をしたあと、パアッと顔を明るくして「本当か!」と言う。 「?本当ってどういう事?」 「実は父さんも行きたいと思ってたんだよ!」 にっこにこ嬉しそうだ。それに釣られて律も口角が上がる。 「……じゃあ!一緒に過ごせるんだね……!」 思わず飛び跳ねそうになる。 「うん!律と過ごせるぞ!初詣以外にもしたい事はあるか⁈父さん何でもするぞ!」 ワクワクの文崇は大きく腕を広げた。文崇が、最期まで居てくれる。 嬉しい……嬉しい‼ 「考えとく……!」 きっと、初詣以外に叶うことは無いんだ。年初めだと言うのに縁起が悪いよな……まったく。 まあ後は、明日橘と仲野に会う……時間は無いから電話だけでもしてみよう。何でか分からないけれど、こんなにも活力が湧いたのは八年前の『あの日』以来初めてな気がする。 ……こんなにも、何かしたいと思うのは死の間際だなんて、とんだ皮肉だよな。もっと早く、やりたい事をやっておけば良かった。なんでこんなに、後悔することが多いんだろう。……母さんにも、挨拶しておかなきゃな。憂鬱な筈なのに心の何処かでは、嬉しいような、高揚感がある。不思議だな、人生を終わるのに、俺は宮村 律を終えるのに。輪廻転生があったとしても、俺は生まれ変わりたくない。 宮村 律として、全てを終えたい。 そろりと由伊の部屋を覗く。 ……まだ寝てるな。どうしよう、もうそろそろ二時なんだけど気持ち良さそうに寝てる。 ……あ、そうだ。寝てる由伊なんてレアだし、今のうちに夢だった寝てる間にキス、やってしまおうか。ドキドキと馬鹿なことを考えて胸が鳴る。 「……ふふ」 馬鹿だなあ。出来るわけないや。やっぱりまだ、これ以上嫌われる勇気はない。これ以上の勇気が出たら、その時は対面してキスしてやろう。悪戯に笑って、消えるんだ。由伊はきっと俺の事なんかすぐ忘れる。だって、由伊は色んな子にモテるんだ。かわいい女の子と手を繋いで、キスをして、えっちして、子供が出来て、お互いの両親に挨拶して、子供が生まれて、パパになって、優しいからきっと由伊は奥さんのお手伝いをして、素敵な旦那さんになって、子供にも好かれて……それで……それ、……で……いつの間にかぽろぽろと涙がこぼれていた。 何でだろう、どうしてこんなに、俺が居ない由伊の幸せな未来がスラスラと思い浮かんでしまうのだろう。俺が出会った時、真剣に告白を受けていればこんな事にはならなかったのかもしれない。俺がもっと早く答えを見つけていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。俺が、由伊の幸せな未来に居ないのが、こんなにも辛いなんて思わなかった。 「……っ、……ぐすっ……ひっ」 声を漏らさぬように口を抑え蹲る。 ああ、いやだ。ここまで来て、抗いたくなるのなんて惨めで醜い、弱い。嫌だ。 由伊と居たい。もっとずっと一緒に居たい。由伊の優しさは俺だけのものであって欲しい。なんて傲慢なんだ、どうしてこんなにも……、 「…………律くん?……どうしたの?」 眠そうな由伊の声にハッとして、慌てて涙を拭く。 「っあ、由伊!おはよう!もう二時だよ」 パッと笑顔を作ると、由伊は無表情に起きて律の元へ歩いてくる。 ……な、なんだ? どくどくしながら見上げていると、由伊の手が優しく頬を包んだ。 「……どうしたの?なんかあった?」 ……由伊の優しい声。俺の事を好きでいてくれた時の、由伊の声だ。この声が聞けただけで、俺はもう幸せだ。 「……ううん、何でもないよ!欠伸しただけ!」 ニコッと笑うと、由伊は一瞬複雑な顔をしたけれど「そう……」と言って律から離れた。 「じゃあ、行こうか。上着きなよ」 由伊に言われて、律は「うん!」と返事をしてあったかいダウンを羽織った。由伊も軽く着替えて二人で靴を履いて玄関を出た。 「……っ」 あまりの寒さに少し立ち止まると、由伊は律を見て「……寒いの?」と聞いてくる。 「……っううん、大丈夫」 由伊が居るから、寒さなんてすぐ吹っ飛ぶ! ルンルンで由伊の隣に並んだ。今日は、俺の歩幅に合わせて歩いてくれている。 ……なんだろう、気の所為なのかもしれないけれど、こういうの嬉しいなあ。 「……ここ、秘密の特等席」 いたずらっ子のように笑った由伊に、ドキリと胸が鳴った。由伊の横に腰掛ける。 まだ朝日は出ない。でもきとっと、もうそろそろだ。二人でゆっくり歩いて、暖かいココアとコーヒーを買って二人で並んだベンチ。 「……夜景が、綺麗だね」 朝焼け少し前の、ブルーグレーのような空と街の風景が素敵すぎて、ずっと見てしまう。 ……こんな所、あったんだなあ。きっと街を探せばこんな所たくさんあるのかもしれない。俺が見ようともしなかっただけで、世界はきっと醜くも美しいのかもしれない。最も、由伊や父さんや由伊のご家族、そして母さんが居るこの世界を醜いだけの空間とは思っていない。 そっと隣に座る由伊の横顔を見つめた。 「……嫌になった時の逃げ場所だった」 遠く見つめる由伊の瞳に、何故かまた泣きたくなってしまう。いけないな、泣き虫はもう止めなきゃいけない。 「由伊も、逃げたい時、あったんだ」 詰まらぬよう、懸命に言葉を紡ぐと、由伊はふっ、と柔らかく笑った。 「あるよ。俺だって人間だから、嫌なことぐらいある」 少し暗くなった瞳に違和感を覚えつつも、聞いていいことでは無いような気がした。どうせ終わる関係なら、知らない方がいい。新しい事を知る度に、愛おしさが増してしまうのは辛い。 「……律くんはさ、」 「なに?」 由伊は律の瞳をじっと見つめて、何かを話しかけたけれどふいっと視線を景色に戻して「……何でもない」と口を噤んでしまった。 ……なんだろう、何を言いかけたんだろう。 律は、自分の掌をギュッと握り「あのさ、」と口を開いた。 最後なんだ、これで、最期。 「……色々、ごめんなさい」 「え?」 由伊の驚いた声に、パッと顔を上げた。 言いたいことを、全て伝えるんだ。 「いちばん最初のごめんは、出会った時のこと」 初めて学校の有名人に声をかけられて、告白されて、罰ゲームだと思っていたそうだ、あの時食べていた菓子パンの中身が餡子で嫌だなあ、って思ったんだ。それを由伊にあげたんだっけか。 ……でもきっと、あの時も甘いの苦手だったのに食べてくれた。嬉しそうに、食べてくれていた。 「……由伊の告白を、悪戯だと思っていて……ごめんなさい」 「……律くん?」 不思議そうな由伊を無視して、どんどん口を開く。 「次は、由伊の気持ちに甘えていてごめんなさい」 由伊が俺を好きだという事実に胡座をかいていた。甘えて、由伊の負担になっていた。 そして、嫌われた。 「……何度も変わろうと思った。でも、由伊の優しさに甘えていたよね。……負担を、かけ過ぎてしまった。……由伊が嫌になるのも当然だ……酷いことも言った……ごめんなさい……」 黙って聞いてくれている由伊。 律は俯き、涙を堪える。思い出せば思い出すほどに、由伊の優しさが身に染み過ぎていた。 「次に、……自分の気持ちに向き合わなくて……由伊を、待たせてしまって……ごめんなさい」 「……え……」 驚いた由伊の声に、顔をあげることが出来ない。由伊の顔が見たい。 けれど、今の俺には怖くて……出来ない。だから、……せめて、手を握りたい。 由伊の無防備な手に自分の手を重ね、ぎゅっと握った。 すっ、と息を吸う。 「……俺、由伊の事が好きです」 朝日が顔を出し、律と由伊の横顔を眩しく照らした。不意に目をやると、眩しくて目がチカチカする。けれど、これが新年の朝日。街が陽の光に照らされ、どんどん明るくなっていく。今、この朝日を見ている人の中で何人、死にたい、と思っているのだろう。何人の人間が、死のうと考えているのだろうか ……もしかしたら、俺だけ、かな。 ふっ、と笑って由伊を見上げた。由伊は驚き固まって、律を見下ろしている。 その顔があまりにも間抜けで少し笑ってしまった。 「由伊?」 笑いながら聞くと、瞬きをした由伊の両目からぽたぽたと雫が落ちてきた。 「え、由伊……?ごめ、なんか、嫌だった……?」 律は焦って由伊の両頬に手を当てると、由伊はぽろぽろ泣きながら首をゆるく横に振った。 「……っちが、……ちがうよ……ばか……っ」 な、ばか……⁈馬鹿ってなんだ‼馬鹿って‼ 訳が分からないまま首を傾げていると、由伊は「あはは」と笑いながら泣いている。 朝日に照らされて由伊の涙がキラキラ光る。 「……っなんで、今、気づくの……っ」 由伊はそのままボロボロ泣き出してしまった。そんな切ないセリフに、律は笑って答えた。 「……俺も、そう思っているよ。思い返せば後悔ばかり……。由伊に嫌われるのも仕方がなかった」 最後に、抱き締めて欲しかったな……なんてワガママかな。 「俺ね、由伊に嫌われて初めて気がついたんだ。由伊以外に嫌われてもきっと何とか平気なの。……でも由伊はダメだった。……何回も何回も、嫌われていると認識する度に……涙が溢れて、止まらないんだ」 由伊の冷たい瞳が、怖かった。由伊に、嫌いと言われるのが怖かった。 ……だからだろうか告白する事なんか、怖くなかった。緊張はした。けれどそれだけだった。伝えないで死ぬほうが、よっぽど怖かった。……今日、来てくれなかったら、どうしようかと思った。 「俺はね、ずっと由伊が好きだったんだ。由伊に絆されたからとか、由伊に嫌いって言われたからとかそんなんじゃなくて、……失って、初めて気がついた……凄く、大切だった事に」 「……律くん」 「由伊に、律くんって呼ばれるの大好き!それから、頭を撫でてもらうのも、抱き締めてもらうのも、ちょっとワガママな顔されるのも、いつも俺だけを見ていてくれるところも、ぜーんぶ、ぜんぶ‼だいすき‼」 言っていたら何だか嬉しくて、嬉しくて、堪らない。この想いと、思い出と共に死ねるのなら幸せだな。 「だから、由伊が将来、素敵な人と出会って幸せな人生を送ることを、俺は誰よりもいちばん、つよく、願ってるよ」 「…………え、」 由伊は驚いた顔で俺を見る。涙がピタリと止んで、慌てた顔で「ま、まって!」と騒いでいる。 「俺はね、由伊の幸せを想像した時に、自分はどこにもいなかったの。由伊が笑顔を向けているのはいつも俺以外の誰かだった。由伊は素敵な人だから、きっとその人は幸せになれる」 「……ま、待ってって!俺の話、聞いてよ!」 「……由伊が、幸せになるって約束してくれるなら、聞く」 律の、有無を言わさないセリフに由伊は絶句し、黙ってしまった。我ながら、酷く狡いセリフだと思った。由伊はキッと律を見る。 「っなんで、話聞かねぇんだよ‼俺の幸せは俺が決める‼なんで律くんに約束しなきゃなんねぇの!」 口調の荒い由伊はもう慣れた。きっとこっちが本当の由伊なんだろうなあ。 ……由伊だって、全部俺に見せてくれてたわけじゃないんだ。 「俺が嫌だからだよ。由伊が幸せになってくれないと、俺が嫌なの」 「俺の幸せは、律くんと居ることだよ‼」 由伊は怒った顔でそう叫んだ。吹き抜ける朝の冷たい風に身をふるわせる。 「……ありがとう」 「っ信じてないだろ……、そりゃそうだよな、あんな態度取ったのは俺だ。っでもあれは、本気で律くんを嫌いになったんじゃねぇんだよ!律くんが気づいてくれればいいって、その為に俺だって嫌われる覚悟で……あぁ、くそっ!」 ……そう、だったのか。嫌われて、なかったのか……。ホッとした気持ちと共に、複雑な心境になった。 「……そう、なんだ」 なんとも言えない顔で、そう答えると由伊はハッとした顔になってまた怒る。 「……っんだよ、やっぱり迷惑なんじゃねぇか」 「え?」 はぁ、……と深い溜息と共に由伊は頭を抱えた。 「……律くんはさ、俺からの好意が嫌なんだろ。だから、俺が好きって表してた時より、俺が嫌いだって演技してた時の方が楽しそうなんだ」 「……え、え、ちがうよ」 「違くねぇだろ‼じゃあなんでそんな嬉しくなさそうなわけ?律くんが俺の事好きって言ってくれたから、俺だって本当のこと言ったんだよ‼なのに、なんで、……っ」 白い息と共に吐き出される由伊の苦しそうな言葉たちに、思わず我慢していた涙が、ぽろぽろと溢れる。 「……っ好きだよ」 苦しくて、ちぎれそうな心を抑えて、必死に由伊を見た。 「……だいすき、……由伊が、だいすき……っほんとうだよ……っ」 由伊に手を伸ばすことはできない。抱きしめて欲しくても、甘えることは出来ない。 心が、いたい…… 「ひとを、すきになれないって……いったのは、……ひとが、きらいだったから……」 央祐に襲われた日から、人がダメになった。自分の父親でさえ、ダメだった。そんな人間が、赤の他人を好きになるなんて出来ないと思っていたし、父親がダメで他人が良いだなんて、そんな都合のいい話、いけないと思っていた。 「……すきになれないって、思い込みだった……。父さんのこと、平気になれないのに……他人をすきになるのは……いけないことだって……っ」 恋愛は、難しい。人間関係がダメな俺にとって、恋愛感情なんて以ての外だった。 「……おれ、……だいすきだった、父さんのお兄さん……叔父さんに、……襲われたんだよ」 「……っ」 「……薄暗い物置に連れて行かれて……、目を開けたら見知った大好きな顔があった。……その顔に、ずっとずっとずっと寝る間もなくずっと、犯され続けた。真っ暗闇の中、目が慣れて……央祐さんの顔だけ、認識しながら……泣いても、喚いても、誰も来なくて、痛くても、苦しくても、止めてもらえない……」 苦しかった。あの時は、まだほんの幼い餓鬼だったから、ろくな抵抗すら出来なかった。 「……俺が、あの日空き教室で襲われていた時も、ああ、またか、……って思っていた。絶望で心が壊れそうな時、どうせ助けは来ないって思っていた時……由伊が来てくれた」 「……」 「本当に、嬉しかった。あの後ずっとずっと一緒に居てくれて、本当に、嬉しかった。何も聞かないでいてくれて、笑いかけて優しくしてくれて、ああやって汚れた俺でも好きって言ってくれて……こんな人、……居るんだって思ってた」 涙は止まらない。ずっと、流れている。それでも、いい。この涙は、流していい涙なんだ。 「この人の優しさは何処からくるんだろうって、思ってた。……同時に、こんな素敵な人が俺を好いてくれる理由が、本気で分からなかった」 「……っそれ、は」 「……大丈夫だよ。無理に話さなくていい。俺は、そんな由伊を、好きになってったの。由伊がちゃんと、好きにさせてくれたの。沢山の思い出を一緒に作ってくれた。優しさや愛を与えてくれた。……本当にありがとう」 ……ああ嫌だ心の中、嫌だ、という気持ちで埋まっていく。死にたくない……本当は死にたくなんかないんだ。でも、皆を守るためにはこうするしかない。 父さんや、由伊たち、橘たちを巻き込まないためには、こうするしかない。 ……死ぬしか、ない。 「……っ、……ゆい、……ゆい……っ」 いまだけ、いまだけでいいだきしめて、おねがい、こわれる、そのまえに、だいすきなてで、……っだきしめて─…… 「……っりつくん!」 ふわり、と柔らかく甘い匂いがひろがった。それと共に暖かさが俺を包む。 「ありがとう、俺も大好きだよ」 耳元で大好きな声が、俺の望む言葉をくれる。 「今でも律くんが好き。これは、運命なんだよ」 「……うん、めい?」 ぎゅうっと強く、強く、抱き締められる。 「そう、運命。俺たちは、運命の赤い糸でちゃんと繋がっていたんだよ」 運命の、赤い糸…………それは、俺と繋がっていて良いのだろうか。終わる俺と、始まる由伊は繋がっていていい訳ない。 「律くんはこれから、俺と幸せになるの」 由伊の穏やかで優しい声が、冷えきった体にじんわりと染み込む。これ以上言わせたくない、聞きたくない。明日には俺は死ぬんだよ。なんでこんな言葉言わせているんだ俺。 ダメだ、由伊は俺の居ない世界を生きるんだよ期待させちゃ、ダメじゃないか。 ……それでも、優しい言葉が欲しかったのは、俺だ。 「ね?律くん。……俺と、一緒に居よう」 大好きな人からこんな言葉を貰えて、これ以上望むものなんて無い。 ……もう少し状況が違えば、満面の笑みで頷けた。 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、しにたくない、 しにたくない、 このまま由伊と生きていたい、たくさん、愛して欲しい……由伊の笑顔が見たい、好きって言ってもらいたい…………ゆい、……ゆい……、 「…………ゆい、俺の、……さいごの、ごめんと、わがまま、聞いて」 「……え……?」 ぎゅう、と強く抱き締め返して、律はしっかりと言葉を吐き出した。 「…………おれは、っ……ゆいと、……いっしょには、……っいられない……ごめ、ん……っ」

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