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気になるお客 第1話

   彼は雨の日にだけやってくる。  チリンチリンとドアベルを鳴らして彼が入って来る。  雨に濡れた傘を傘立てに放り込むと、肩の雫を手で払って顔を上げた。 「いらっしゃいませ」 「いつもの」 「はい」  店オリジナルのコーヒーにはちみつを少し垂らしたのが彼のお気に入り。 「おまたせしました」 「ありがとう」  特別なことなんて、何もない。  会話も形式的なこのやり取りだけ。  彼はいつも一番奥の窓際の席に座ると、コーヒーを飲みながら雨つぶが流れる窓をじっと眺めている。  ゆっくりとコーヒーを飲み、その一杯を飲み終えるとため息と共に立ち上がる。 「ごちそうさまでした」 「ありがとうございました」  傘立てから自分の傘を抜き取ると、雨の降る町に溶けていく。  彼が来るのは雨の日だけ。  憂いを帯びた瞳で淋しそうに窓を見つめるその儚げな横顔に目を奪われた。  ただそれだけのこと。 ***  大好きだった祖父が亡くなり、この店を継いだのは4年前。  子どもの頃からこの店が好きで、よく手伝っていた。  祖父の入れるコーヒーの匂い、少し古臭い店内の雰囲気、温かい常連客……  早くに両親を亡くした春海にとって、この店はまさに家そのものだった。  高校生になった頃から本格的に祖父にコーヒーのことをいろいろと教えてもらい、祖父の具合が悪くなってからは店をまかされていたので、祖父が亡くなった後に春海がこの店を継ぐのは自然の成り行きだった。  店内は少し今風に改装したけれど、昭和風のデザインガラスを使った窓はお気に入りだったのでそのまま残した。  一番奥の席の窓は、結晶柄のデザインガラスを使っている。  遠くから見ると白く霧がかかっているように見えるが、近づくと結晶模様が浮かび上がってくる。  繊細な模様はもちろん、その模様を通してみる外の景色がまた美しい。  子どもの頃はいつもその窓ガラスに張り付いていたので、祖父や常連客から「その席はおまえの指定席だな」とよく笑われたものだ。    彼が座るのはいつも決まって一番奥の窓際の席。  自分がお気に入りだった窓ガラスの席に座っているから、余計に気になったのかもしれない。 ***

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