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第15話
「あー、良かった‼︎」
「楓くん…。」
エレベーターホールで、殿村は碧に抱きつかれていた。ついに殿村から電話がかかってきたのだった。
「ごめんね、やっぱり仕事中だったんだ…。全然連絡取れないから、事故とか拉致とか、心配でいても立ってもいられなくて…!」
拉致とか…。お前以外にされた事ないし、されるはずない。
窮地なのに、碧は殿村の物言いに内心少し笑ってしまった。
しかし殿村は本当に心配している様子だった。会社から一度家に帰っていたのに、再びここまでまた戻って来たのだろう。セットされていない髪が心持ちもっさりとしており、服もラフで私用の使い古した黒縁眼鏡をしている。
「本当、仕事中にごめんね!邪魔になるだろうから、俺は上の海南物産で待ってるね。終わったら連絡してね!この時間は危ないから、一人で帰るのはダメだよ!一緒にタクシーで帰ろう。」
「…あ、楓」
「?」
俺を慮り去ろうとする殿村を、引き止めてしまった…。
「…何?」
「いや…ごめん、大丈夫。何でもない。」
「本当?何かあった?」
殿村は困惑の色を濃くした。心配そうに碧の肩を掴む。
「楓くん、中国語は得意?」
———
そうだと思った。
殿村は語学が出来る。英語も、中国語も。
七緒が隣を不満気にチラチラと見る。
殿村はカタカタと、凄いスピードで中国語のマニュアルを作成していた。
七緒を横目で見て、殿村がふんと鼻を鳴らした。
「七緒さん、そこ、文法変ですよ。代わりに作りましょうか?」
「…分かってます!単数形と間違っただけです。」
「いやそれ、致命的だから。」
「っ!」
…多少の小競り合いはあったが、無事にマニュアルは完成した。
——-
「楓くん、さっきはありがとう。楓くんも疲れていただろうに。」
二人で帰りのタクシーを外で待っている時、碧は何度目かの礼を殿村に述べた。
「いいよこれくらい。前にも言ったでしょ。」
「え?」
殿村は改めて碧に向き直り、その頬を撫でて微笑んだ。
「俺はいつでも碧の味方だよ。どんな事でも、どんな時でも、碧が困っていたら力になるからね。もっと頼ってね。」
「…ありがとう。」
殿村は笑いながら頷き、人目がないからと碧の手を握った。
「…。」
殿村はタクシーを探して再び前を見たが、碧はぼうっと殿村を見つめてしまった。
困っている時に駆けつけて、助けてくれた。こんな夜遅くに、きっと殿村だって疲れていたはずなのに。
街頭に照らされる、殿村の鼻筋の通った横顔。綺麗だ。大きな手が自分の手を包み込んで、それは前よりも嫌でない。
「…楓、帰ったら、する?」
「え?」
普通のトーンで投げかけられた碧の質問に、殿村は勢いよくこちらを見た。さっきまで綺麗だった顔は何処へやら、いつも涼しげな目が見開かれてまん丸になっている。
まさに、鳩が豆鉄砲を食らったって顔だな。
ちょっと笑える…。
くすりと碧は笑った。
「い、いいの?」
「うん。」
そうだ。そうあるべきだ。
じゃないと、変になりそうだ。あくまで自分は殿村に脅されているんだ。殿村は殿村で、自分への変態行為を見返りに優しくするんだ。こいつは只の変質者なんだ。
この胸中に湧く妙な感覚を否定するように、碧は頷いた。
しかしその夜は二人とも疲れていて、殿村は風呂上がりの碧の髪をまた丁寧に乾かして、その後は何もせずに寝てしまった。背中から自分を抱きしめる殿村の鼻息が、擽ったい。触れ合う箇所から伝わる心音が、心地よい。
あーあ。これではまるで、本当の恋人みたいじゃないか。
碧ばそよそよとつむじに当たる殿村の寝息を感じて、心地よい暖かさの中目を閉じた。
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