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第1話

 結婚などというものに、たいした期待も希望も抱いたことはない。  だから、申し訳なさそうに両親がそれを切り出してきた時、 「あぁ、俺はかまわない。いいよ」  と、軽く高松(たかまつ)は答えた。 「で、いつ頃に?」 「いつ頃に、って…」 「結婚式。早いほうがいいでしょう?」 「おまえの縁談なんだぞ!もう少し考えてみたらどうなんだ!!」  言い出したのは自分たちなのに、あまりにあっさりした高松の返答に、両親は逆に戸惑った様子を見せた。  これは単なる婚姻とは意味が違う。所謂、政略結婚というのか、とにかくわけあって持ってこられた話なのだと最初に前置きしたのは両親だ。  そしてそのさらに前、 「決して悪いお話じゃないのよ」  そう母が口火を切ったのだ。  いい話であるのなら、高松に否やはない。  僅かに顔を伏せ、数秒考え込む素振りを見せ、それからおもむろに高松は口を開いた。 「はい!考えました。で、いつに?」  あっけらかんとした息子に、両親は揃って溜息を吐いた。    正直に言うと、高松はさんざんこなしてきた女遊びにこのところ飽きが来ていたところだったのだ。  そこにきて、最後に付き合った女が随分とくどくしつこく結婚を迫ってきて、口からでまかせで「婚約者がいる」と言ってしまったばかりなのだ。  恋愛と結婚は別物。  どうせ結婚なんて人生の墓場。  相手なんて誰だってかまわない。  但し墓場に片足突っ込むからには、なにかしらメリットがなくてはやっていられない。  些か真っ当とはいえない結婚観を持つ高松にとって、政略結婚はバンバンザイ。  実家はこの地域ではそれなり聞こえた名家だから、持ち込まれる縁談だってそれ相応の相手であるのは疑う余地がない。『たかが結婚』で親族に恩を売ることができ、生活も安泰するのなら願ったり叶ったりというわけだ。  あとは真面目な夫を演じていくかわりに舞台裏では少々、美味しい目を見させてもらい、面白おかしく適当に人生を楽しんでいけばいい。 「全部任せるよ、父さん、母さん」  こうして、不安げに眉を顰める両親を尻目に、能天気な独身男は結婚への階段を上り始めたのだ。  高松家はそこそこの金持ちである。  本家に較べると格は随分と下がるが、食い潰すのに時間が必要なくらいの資産はあるし、とりあえず同族会社の役員かなんかに名を連ねておけば、それだけでも十分小遣い銭以上のものが転がり込んでくる。  だからといって、いい齢の男がぶらぶらしているのでは格好がつかない。なので一応きっちり会社勤めはしている。  頭も悪くはない。競争心も人並み以上にあるので、業務成績は決して悪くはない。結果だけを求めてあくせく働かぬ分、余裕があるように見えるのか『できる男』として対外的な評価も高い。  ゆえに仕事は面白い。  そして、仕事のできる男は女にもモテる。女遊びの息抜きとでもいうか、会社は適度な気分転換の場所になる。  かくして、人生順調になにひとつ不満なく生きてきたのが――高松明雅(たかまつあきまさ)という男である。  分家筋である実家でさえ金に不自由はないのだから、本家である神崎(かんざき)家に行けばそれはもう凄い。  ある程度目利きできる高松が見ても、アンティークなんだかただの古道具なんだかわからないような、古色蒼然たる調度の並んだ神崎の屋敷は純和風。通される客間はいつ来ても青畳の匂いがしている。  窓の外に望めるのは清々とした芝庭で、手の込んだ庭園は家相だかなんだかの関係で違う場所に拵えてあるという話だったが、よほどの賓客にしか見せないというもっぱらの噂であった。  誰それの子供が屋敷の中で迷子になっただの、どこそこに隠し部屋があるだの。嘘か本当かわからないが、来る度にひとつふたつ驚くようなエピソードが耳に入ってくる。いちいちリアクションするのも面倒くさくて、ここ数年で本家に足を踏み入れたことは殆どなかった。     家を継ぐのは長兄であるし、三男坊の自分など箸にも棒にもかかるまい。が、今回の結婚について、神崎の当主から話をしていただくのだと、高松は両親に伴われて久々に神崎の家を訪れた。    神崎の家長は確か、高松が幼い頃から今と変わらず老人だったような気がする。  かくしゃくとした足取りで客間に入り、へへーっと平伏する高松とその両親をうんうんと見回し、 「おまえも今日から神崎だ」  厳しく構え端座していた高松だったが、一族を束ねる家長からそう言い渡されて思わず座布団の上で尻が浮き上がった。 「俺、…いえ、私が…神崎、を名乗るのですか?」 「そうだ」  何も説明していないのか、と視線で責められた両親は、ははっと頭を下げた。 「おまえには神崎の籍に入ってもらい、そのうえで結婚してもらう。相手方が欲しがっているのは結局のところ神崎の名前と後ろ盾だ」 「…なるほど」  納得して頷く。  つまりは『神崎』の一族として加わりたいどこぞの誰かが、娘と引き換えにその名を得ようということだ。  そういった話は旧家では実際によくあることで、引きもきらない。  だが、だいたいは門前払いを食らう。  そもそも『神崎』側だって、そうそう適齢期の独身男性が用意できるわけもない。というより払底しているはずだった。  それを分家の末っ子とはいえ、わざわざ高松をいったん養子に迎えてから娶わせようというのだから、さぞやこちらにとってもメリットのある相手なのだろう。 「で、私のお相手は?」 「それも知らんのか…」  そう尋ねると、家長はやれやれと肩を竦めて見せた。  政財界でも一目置かれている人物ではあるが、そう悪い爺さんではない。 「雨宮(あめみや)、といえばいくらなんでも聞いたことはあるだろう」  聞いたことはある。  だからこそ、首を捻った。 「神崎と雨宮といえば、犬猿どころか血で血を洗う仲ではないですか」 「昔風に言えばそうなるな。もう数代にわたり公然と敵対してきている」  元々、神崎も雨宮も同じ血筋の出で、助け合いつつともに繁栄を託っていた。だがある時、些細なことで仲違いすると、長い因縁があるだけに積もり積もった鬱屈が噴き出した。  どちらが正か。  どちらが上か。  意地に凝り固まった両家の関係はそう簡単に改善されることはなく、むしろ時とともに溝を深めた。しかしその溝はここ数年、あからさまに神崎が隆盛を極め、雨宮が地盤沈下に陥って一層深まっているはずだった。 「現在、雨宮の家は随分と苦しいところにあるらしい。さぞ悔しいことだろうが、頭を下げてきた」  家長は目を眇めて高松を見つめた。 「会社は左前どころか、かなりのテコ入れをしなければもういくらも保たない状況だ。だが今ならまだ再建がきく。それにはどうしても神崎の力添えが必要なのだという…そう言われれば、私人として恨みがあるわけでもなし、断るのもなんとも切ないものがあってな」 「はあ」  高松の生返事に、老人はぶつぶつとなにか呟いた。両親が自分にゲタを預けてなんの説明もしていなかったのを嘆いているらしい。 「取引先にしろ銀行にしろ、欲しいのは保証だ。神崎の名が後ろにつけばそれだけで対応はまるで違ってくる。もちろんこちらからも資金援助やらなにやら手間は惜しまないが、雨宮を乗っ取ろうというわけではない。あまり出張らぬ程度に助けることができればそれが一番だろう」 「はぁ、なかなか大変そうですね…」  他人事のように言う高松に、家長はいささか困ったように眉根を寄せて見せた。 「――おまえの結婚話だぞ」 「ええ、そうですね」 「わかっておるのか」 「あまりよくは…」  なるようにしかならない。  どうせ断るという選択肢など、分家という立場上ないのだ。だったら素直に受けるしかないじゃないか、と高松は思う。  上手いこと立ち回って『高松の三男坊』から『神崎』へと華麗にランクアップするほうが、結果としてはずっとよい。  そんな高松の思惑を知ってか知らずか、老人は嘆息する。 「ならば、これもわかってはいないのだろうな――おまえには雨宮の会社に入ってもらうことになる。こちらで介入する以上、お目付け役もかねて人員の投入も必要だろう」  それは敵陣に乗り入れるような感じの、あまりいい役どころではない。しかしまあ、それも仕方あるまい。 「苦労することもあるかと思うが、万全のバックアップを約束する。すまないがひとつよろしく頼む」    おもむろに頭を下げてくる老人に、高松は驚き慌てて自分も畳に額を擦り付けた。  繰り返すが、悪い爺さんではない。だが、政財界では重鎮なのだ。 「で、これがおまえのお相手――雨宮楓(あめみやかえで)さんだ」 「はい」  コレが主眼だろうに最後になってようやく家長が差し出したのは、とても縁談用とは思えない、ただ引き伸ばしただけのスナップ写真だった。  やんわりと微笑んだ女性が収まっていた。胸下まで伸びた真っ直ぐな栗色の髪、涼しげな目元にシャープなフェイスラインはクールな印象を抱かせる。  若干あどけなく感じるのは、服装のせいだろう。  なにせ彼女が身に纏っているのは… 「なぜ、セーラー服…?」 「今年、高校を卒業したばかりだからな。今は18歳だ」 「じっ――!?」  思わず絶句して写真に見入る己の頭上を、「なかなか可愛らしい娘だろう」「えぇ、本当に」などと、家長と両親の言葉が行き交う。それを聞きながら、高松はただ唖然と写真を見つめ続けるしかできなかった。

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