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第2話

 話はとんとん拍子に進んだ。  雨宮家側に一刻も早くという焦りがあるからだろう。高松の了承の意思が確認されるや、高松は神崎の籍に入り――神崎明雅(かんざきあきまさ)となった。  神崎姓になったことを噛み締める余裕もなく、足早に婚姻届が提出・受理された。  実物の花嫁にまみえるとこなく、高松改め神崎は、戸籍上だけ人夫となった。  実感もなにもない。  もとより愛情云々での結婚ではないのだから、こんなものだろうか。  そんなことよりも、『神崎』の名の下彼方此方に引き回され、顔見せと同時に義を引き出し恩を売る。今後の自分の為にも蔑ろにはできない『業務』だ。  業務上、花嫁の父である雨宮氏とは初対面の挨拶を交わしたものの、あまりの慌しさに肝心の花嫁の元へ訪う暇もない。    そうこうしているうちに近隣の議員、顔役だなどの有力者を集めての結婚披露宴の手配がいつの間にか済まされ、気が付けば式当日である。  もはや当人は必要無いとしか思えない。いや実際のところ、披露宴の高砂にマネキンが座っていたとしても誰も気にしないだろう。  それほどまでこの結婚は意義のあるものであり、かつ内実のないものであった。 「参ったというかなんというか…」  新郎控え室で、神崎は深い溜息を吐き出した。 「さすがに疲れたな…」  まさしく駆け足で突入した結婚式当日。前日の夜まで目一杯スケジュールが組まれていて、式の準備などは家任せという情けない事態になっていた。  もっとも、それを憂う暇もなかったのだが。  正式に雨宮の会社で勤務するのは式が終わった後。もう少し手を抜いてもよかったのかもしれないが、やはり一家を構える以上、多少は義父にいいところも見せておきたいなどと思ったのは自分でも不思議だった。 「でもまあ、これであなたも少しは落ち着くわね」  足を投げ出してだらしなく椅子に座るタキシード姿の神崎を見ながら、母はあっけらかんと言い放った。  神崎の上にはすでに所帯持ちの姉と兄が計三人いて、可愛い孫にも恵まれている。  気にかかっていたのは、いつまでもふらふらしている末息子の行く末だけだったのだ。肩の荷が下りたとでも言いたいのだろう。 「落ち着いたら遊びに来るといい。若い嫁さんを連れてな」  父の声には些かに羨む色が見えないでもない。だが、遊びなれた女とお付き合いを重ねてきた神崎にとっては、高校を出たての『女の子』だなんて、若すぎてめんどくさい代物にしか思えなかった。  なにを話していいのかもわからないが、家同士の結婚なんてそんなものだろう。  話題がなければ会話をしなければいいだけで、それは相手だっておそらく同じような思いでいるだろう。神崎明雅という個人に対して、なにか期待をして妻の座につこうというわけではないのだから。  そうこうしていると、式場の介添え係に呼び立てられ花婿の待機場所へ案内され、そのまま媒酌人に引き連れられ会場入りとなった。  挙式自体は列席者の信教の関係もあり、『人前式』ということになった。  花嫁は既に白布をかけたテーブルの前に佇んでいる。  純白のドレス。ミカドシルクの張り感のあるAラインのシンプルなドレス。ベールを縁取る繊細なレースが際立って美しい。  残念なのは、俯き加減の花嫁の表情がベールに覆われてしまって窺えないことぐらいか。 「……?」  ベール越しでもよく分かるヘアスタイルを見て、神崎は少しだけ首を傾げた。  以前、写真で彼女を見た際には栗色のロングヘアだったように記憶している。長い髪を結い上げているのかとも思ったが、目の前の花嫁はどうやらショートヘアだ。  全体的にふわりとセットされ、左耳下にブーケと揃いの白薔薇があしらわれている。  女性は長く伸ばした髪をバッサリと切るにはそれなりの覚悟や勇気がいるらしいが、彼女のそれは一族を担う政略結婚への覚悟の表れか。  俯きひっそりと立つその姿に、凛々しさと神聖さを強く感じる。神崎は初めて、自分の結婚を届出提出以上の物として実感していた。  促されるままに花嫁の隣に立つ。  女性にしては長身だ。神崎の身長はけして低くない、むしろ上背がありすぎる程だ。その神崎と20センチ程の差しかないのだ。170センチ近いだろう。  そして、全体的に細い。というよりも薄い。ふと、胸元に視線を走らせてしまい慌てて目を背けた。  列席の親族友人に視線を流す。  証人を前に夫婦の誓いを立てる。  超多忙な人々を集めているのだ。余計な事は抜きにして怒涛のように挙式は進み、そのまま披露宴へとなだれ込んだ。 「結婚て、こんなに慌ただしいものだったんですね」  乾杯が済めば帰りかける人もいる。  緊張しているのか俯いたまま隣で硬くなっている花嫁を、力づけるつもりでそっと話しかけた。花嫁はほんの僅かに首を頷かせるだけで、こちらを向かないから顔はいまだに拝めていない。  そういえば声すらまともに聞いていない。  誓いの言葉に唱和した「はい」という細い声だけ。初々しいというべきか、幼いというべきなのか。 「楓さん、」  神崎はこそりと呼びかけてちらりと花嫁を伺った。が、花嫁は一層深く顔を伏せてしまった。  それ以上かける言葉も見つからず、ほとんどお飾り状態のままで来賓の挨拶を聞き流す。  やがて宴席が盛り上がり、辺り紛糾して訳がわからなくなりはじめた頃、花嫁は神崎になにも告げず密やかに退席した。  側にやってきた介添係から「緊張で具合が悪くなったようだ」と耳打ちされ、どことなくほっとした。  ようよう宴会時間が満了し、来客を送り出す。  披露宴の目的はまさしく『世間への両家結びつきお披露目』なわけで、見送りの場に花嫁がいないことに気がつくものもほとんどいない。  新郎新婦の友人なんぞなら心配するかも知れないが、家の付き合い優先で招待客を集めたため、友人などはほんの一握りしか呼んではいない。おそらくは場違いで居た堪れなかっただろう彼らは、そそくさと帰ってしまっていた。    集まった神崎の親族はこの機会にと、このあとは場所を移して再びどんちゃん騒ぎをやるらしい。  もとが田舎出の一族だけに、いくら金持ちといっても、そういう泥臭い宴会が大好きなのだ。  己はどうするべきかわからず、その傍らにぼんやり立ち尽くしていると、 「あなたは先に帰っていいのよ」  母にそう言われる。  言われて、はたと考えた。  帰る。  どこへ…あぁ、あの家か。  頭を過ぎったのは、新居となるマンション。雨宮家の近くに先方が用意してくれたもので、式後はそこで夫婦仲良く住まうこととなっている。  荷物は先日運び込まれているはずだ。  神崎は場所確認の為に1度だけ立ち寄ったことがある程度だ。そこへひとりで行くということか、なんだかひどく行き辛い。いや帰り辛い、と言うべきか。  むっ、と考え込んだ神崎の尻を親戚のオヤジ連中が引っぱたく。 「今晩はお楽しみだな!」 「腰痛めん程度に頑張れよ」 「さっさと帰らんと、嫁さん待ってるだろうが!」  昨今では耳にしないつまらない掛け声とともに、もうおまえは邪魔だとばかりにその場を追い立てられてしまい、神崎はひとり溜息をつくと控え室に足を向けた。  堅苦しいタキシードから普段着に着替えを済ませて、しかたなく雨宮家の控え室へと足を運んでみた。もしかしたら花嫁を待たせていたのかもしれない。  しばらくドアの前で様子を窺ってみたが、こちらは現在の家の事情を反映してか、神崎側と違ってひっそり静まり返っている。  待っていても埒が明かないかと思い、ノックをした。 「あの、神崎ですが」 「どうぞ」  と小さな声で答えがあった。 「失礼します」  恐る恐るドアを開ける。  部屋の中にいたのは、小柄でずいぶんと整った顔立ちの青年がひとり。  栗色の髪、無駄な肉はないがまろやかな輪郭、通った鼻筋と肉厚の唇。長い睫毛に縁取られた瞳は美しいアーモンド型で、強い意志を感じさせるような光が灯って見えた。  どこか花嫁と似た雰囲気の顔立ちだ。だが、彼女よりも美しく気高い。  そんなことを考えてしまう己を心の内で叱責しながら、神崎は部屋の中に視線を巡らした。    しかし、花嫁の姿は見当たらなかった。  とりあえず声をかける相手は、立ち姿も美しい青年しかいないようだ。 「ええと…楓さんかお父様はどちらにおいでかおわかりになりますか?」  問いかけると、彼はまっすぐに神崎を見据えて答えた。 「雨宮の家族ならもう帰った」 「……はぁ」  帰った。  神崎は首を捻った。  では花嫁も実家に一緒に帰ってしまったのか。具合が悪いというから、それは仕方がないことなのかもしれないが。せめてひと言あってもいいのではないか。  そうは思ったが、今更どうにもならない。今日はひとりで新居に戻るしかない。  正直なところ15も年下の花嫁との初夜に対して、若干心に負担を感じていたのでどことなく安堵した。  神崎はほっと息を吐き出し、青年に軽く頭を下げた。 「雨宮家の親族の方ですか?本日は、ありがとうございました。私もこれで帰りますので」  そう礼を言って踵を返すと、声をかけられた。 「神崎、さん!」 「はい?」  振り返る。  青年は苦虫を噛み潰したような顔をしている。 「なにか?」 「置いてくのか…」 「はい?」  意味がわからなかった。だが一応は取り繕って、神崎は笑顔を浮かべて見せる。 「置いていくって、なにをでしょうか?」 「花嫁」 「はな、よめ……?」  青年の言葉を繰り返すと、神崎は唇の端を持ち上げて笑顔を作り直した。 「まだいらっしゃるのならもちろん連れて帰りますよ。今どちらに?」 「……おまえの、目の前」  青年は嫌で嫌でたまらないという顔、声色で言ってのけた。その言葉の意味を理解した神崎は、馬鹿みたいに惚けて目を瞬かせることしかできなかった。

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