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NAGI
正直、みっちゃんの管理するアパートに入れて貰えたのは、助かった。
嗣治くんの給料は詳しく聞いてないから分からないけれど、少しでも家賃が少ない所が良いとは思っていたからだ。
みっちゃんも、俺に免じて『値下げしでやっから』と言ってくれたので、幼馴染はありがたい。
――みっちゃん。
ちょっと会わなかっただけなのに、益々ガタイがデカくなっていた気がする。
アレがもし襲って来たら‥‥
恐ろしい想像を打ち消す様に、頭を振る。
みっちゃんは、俺のハジメテの人だった。
当時は幼かった事もあって、大好きなみっちゃんのする行為が、イケナイ事だなんて思ってもいなかった。
否、自分が何をされたのかすら、分かっていなかったのかもしれない。
中学に上がってから、同級生達がエッチな本を回し読んでいるのを見て、自分がされた行為の意味を知った。
当然誰にも言えず、誰にも相談出来ないまま学校生活を送っているうちに、先輩の女の子に告白をされた。
『これが普通の恋愛だ』と、『自分は普通なんだ』と思いたくて、付き合う事にした。
帰りに手を繋いで帰ったり、学校帰りにカフェに寄ったり、休みの日は買い物に付き合ったり。
ちゃんと『楽しい』と思いながら付き合っていたある日、彼女の部屋に遊びに行って、
その日のうちに、キスをされた。
柔らかくて、良い匂いがした。
気持ち良くて、調子に乗って、舌を差し込んで吸い上げてみた。
受け入れてくれる彼女に更に後押しされて、最後までシようとそのまま進んでみたけれど、結局勃たなくて出来なかった。
その後も何度か挑戦したけれどやっぱりダメで、その子とは自然消滅して行った。
『あぁ、自分はやっぱりおかしいんだ』と落ち込んでいた時に、みっちゃんが声を掛けてくれた。
そのままみっちゃんの家に行って、特に嫌悪感を抱く事も無く数年ぶりに抱かれたけれど、背徳感より快感より、何よりちゃんと勃った自分に安心感を覚えた。
高校は、自宅から少し離れた所に進学したので電車通学になった。
一度痴漢に遭って、みっちゃんにその話をしたら
『大学はもう少し遅い時間に始まるから大丈夫』
と言って、一緒の電車に乗ってくれるようになった。
今にして思えば、多分それは嘘で、1限目をサボって、着いて来てくれてたんだと思う。
そんなみっちゃんの優しい気持ちを裏切るように、今度は同級生に告白されて、男の人と付き合ってみた。
『しっくりくる』とはこの事だと思った。
抱かれる快感に溺れて改めて、すっかり男を受け入れる身体になってしまっていたのだと気付かされた。
今度こそ上手く行くと信じていたのに、ある日突然振られた。
後で人伝てに聞いたのは、どうやらみっちゃんが影でその彼を脅していたようだ、と言う内容だった。
信じていた分、ショックだった。
だから、次の恋はみっちゃんに介入されまいと、
就職先はみっちゃんの目の届かない所に行こうと、
決意 して いたのだが‥‥
この有様だ。
「はぁ」
無意識に溜息が漏れる。
「?凪さん?」
心配そうな嗣治くんの声に、ハッと我に還る。
「疲れたよね。休憩しようか?」
引越しの荷物を解いている最中。
つい昔の事を思い出していた自分にゲンナリする。
折角これから、嗣治くんとの楽しい生活が始まるのに。
「はい。お水」
「ありがと」
持参していたペットボトルを手渡されて、キャップを開ける。
まだ電気が来てなくて冷やせず少し温 めだったが、疲れた身体を癒すには十分だった。
「だいぶ片付いて来たね」
嬉しそうな嗣治くんの顔を見ているだけで、元気を貰う。
「うん。まぁでも、ちゃんと寝る場所さえ確保出来れば十分かな」
ゴチャゴチャした空のダンボール達を折り畳めば、2人分の布団くらい敷けそうだ。
思ったより広く感じた部屋は、6畳と8畳の2DKの割に収納もそこそこある快適な部屋だった。
「今日の所 は、同じ部屋に寝る事になりそうですかね?」
何故か緊張気味に聞いて来るから、俺も妙に意識してしまう。
「、かな。まだちょっと片付かないし」
言い訳みたいに話しながら、内心それが嬉しかったり。
明日から別の部屋になる寂しさを感じてたり。
そんな自分の下心を嗣治くんに気付かれないように、少しでも心拍数を下げようと、再びペットボトルに口を付けた。
休憩を終え、作業を再開してしばらくすると、電気屋とガス屋が立て続けに来る。
一応嗣治くん名義で契約したので、対応に追われる嗣治くんの分もと、荷解きを進めて行く。
「あんまり頑張りすぎるとバテるよ?」
そう言われて
「はぁい」
素直に返事をしたら、嗣治くんの動きが止まる。
「???」
気になってそちらの方へ視線を移すと、俺とは逆の方、なんなら背中を向けてジッとしている。
「どうしたの?」
「ぃゃ。 なんでも‥‥」
いやいや、全然なんでもなくなんかない。
「どっかぶつけた?
足の小指とか」
想像してちょっと笑いながら、近付いて行く。
「ぃや本当、なんでも」
言いながら、離れてる距離を保つかのように、近付いた分、離れて行く。
「なに?」
ちょっと意地になって、足元の荷物を避けながら距離を詰めて行くと
「んなァ!」
何かに躓 き、本当に嗣治くんがコケてしまった。
「あぁもう
だから言わんこちゃない」
荷物をかき分けて、起こしてあげようと手を伸ばす。
「ちょ」
引っぱり上げようと手を繋ぐと
隠れていた顔が晒されて
「つぐ」
真っ赤な顔の嗣治くんが現れた。
瞬間、俯 ける。
「なん」
「見ないで」
一瞬戸惑ったけど、繋いだ手は離してやらない。
「どうしたの?」
同じ質問を繰り返す。
「だってッ」
繋いだ方と反対の手で顔を隠して
「言ったら嫌われる‥‥」
繋いだ手が、微かに震えていた
「嫌いになんか」
言いかけて、言おうとした言葉に自分で照れる
「なる訳ないじゃん」
なんだか告白をしている気分だ。
どうか、変な意味に捉えられませんように。
『キモチワルイ』とか、思われませんように。
願うようにそう思うと、嗣治くんもようやく顔を上げてくれた。
まだ顔が火照ってるけど、お揃いだから良いか。なんて、妙な開き直り方をしていた。
「凪さんが」
「え。俺?」
意外な言葉に瞬時に固まる。
ヤバイ。
俺、無意識に「すき」を滲 ませてしまっていたのか?
なるべく押し殺していたのに。
バレないように、平静を装おっていたのに。
血の気が引いて、お陰で顔の火照りも無くなってくれた。
けれどその代わりに、冷や汗みたいな物が、背筋を通って行った気がした。
「凪さんが」
その先は、聞かない方が良いのか、どうなのか。
迷っている間に、言葉が紡がれる。
「 ッ可愛いくて」
言ってからまた、赤くなる嗣治くん。
じゃなくて
今。なんて?
「俺が?」
可愛い ‥‥って、言いました?
言葉の意味を理解したら
嗣治くん以上に、真っ赤になる俺。
うん。見なくても分かる。
だって、さっきとは明らかに違う汗が、全身から溢れて来る。
熱ッ!熱ッつい!
手の平にも汗が滲んで来るのが分かる。
それを嗣治くんに知られるのが恥ずかしくて離そうとしたら、今度は嗣治くんが、俺の手を握って離してくれなかった。
「凪さんも真っ赤。
か ッ可愛い‥‥ッ」
また『可愛い』を繰り返されて、更に体温が上昇して行く。
「かわいくなんかない」
口が、 呂律 がうまく回ってくれない。
恥ずかしいのに
嬉しくて
涙が滲む。
両手で手を握る嗣治くんが、俺を見つめるから
俺もつい見つめ返してしまう。
これ って
どういう意味?
“もしかして” って、期待しても 良い の
かな‥‥?
心臓のドキドキが、繋がれた手を伝って嗣治くんに全部聞こえているんじゃないかと錯覚してしまうほどに、全身が心臓みたいに鼓動していた。
もし
ほんの少しでも、気の迷いでも良いから
嗣治くんが俺に、その気になってくれてたなら
玉砕覚悟で、アタックしてみようか‥‥
だってもう、心が「すき」って
叫んでるんだから。
迷って惑って、どのくらいそうしていたのか分からない。
一瞬のようでもあったし、1時間にも錯覚しそうなほどに、
俺達はしばらくそうして見つめ合っていた。
「凪さ‥‥ん」
先に口を開いたのは嗣治くんで
「俺」
見つめる瞳は潤んでいて、俺の期待を更に増幅させた
「ピンポーン」
瞬時に、その空気をぶち壊す機械音。
どうしよう。無視しようか。
そう思ったのは俺だけじゃなかったみたいで
「凪さん。俺」
気を取り直したみたいに、再度言葉を紡ごうとする嗣治くん。
「ピンポン。ピンポーン」
そこに駄目押しのように響くドアホンの音に根負けして、「はぁ。」と溜息を吐きながら嗣治くんが玄関へと向かう。
覗き穴を覗いてまた「‥‥はぁぁ。」と1つ深い溜息を吐いて
「はい」
鍵を開けてドアを開く。
それと同時にぬっと荷物を持った腕が侵入して来て、後から身体が入室して来た。
「進行状況はなじょったい ?
引越しソバ差し入れで持って来たぞぇ」
にこにこと笑顔で、でも嗣治くんの事は完全スルーでみっちゃんがキョロキョロと物色しながら部屋に上がり込んで来る。
「あ。うん。
ぼちぼち、かな」
空きダンボールを畳んで、3人座れるようにスペースを開けて行く。
座布団‥‥は、どこだったか?
あちこちダンボールを開いては覗いて行ったら、嗣治くんが察したように
「はい。どうぞ」
と、どこからか座布団を探して出してくれた。
こういうの、以心伝心ぽくてなんだか嬉しくなる。
「あぁ、ども」
何故か不機嫌にそう言って、それでも出された座布団に座る事なく、台所へと移動して行く。
「夕飯まだだべ?俺がソバ作ってでやっから、
作業進めでっせ 」
言うなり慣れた手付きでせっせと作業を進めて行く。
「ぅ ん。 ありがとぉ」
あぁ~。これが言ってた『監視』か
そんな事を心で呟いて、それからしばらくは、嗣治くんと2人、黙々と作業に没頭して行った。
*
*
*
「あい。出来だぞー
食うべ食うべ」
手早く作ったザル蕎麦。
埃っぽくなった小ぶりなテーブルを、ちゃちゃっと布巾で拭いて、ほぼ隣り合わせた台所を数回往復すれば準備完了。
今度はきちんと座布団に座って、食事を促した。
面白くなさそうな表情は変わらないけど、ちゃんと嗣治くんの分も用意してくれてる事に胸を撫で下ろす。
「「「いただきます」」」
作業を中断して蕎麦を頂く。
「美味しい!」
思った以上に美味しく感じてる事と、喉を通り過ぎた後に身体中に染み渡る感覚に、自分が空腹だった事を改めて実感する。
それほど作業に没頭していたのかと、ちょっと笑えた。
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