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第1章 お疲れさまの金曜日

「クルージング?」  封筒に入ったチケットの文字を確かめて、祐樹が驚いた顔になった。それを見た孝弘がうれしそうに笑う。  デートしよう、と孝弘が出してきたのは横浜港発のサンセットクルージングのディナーチケットだった。  トラブル続きだった中国出張から帰国して、息つく間もなく出張報告やら出張費の精算やら事後処理の慌ただしい業務を終えてようやく金曜日を迎え、生ビールで乾杯したところで孝弘からデートのお誘いを受けたのだ。  個室タイプの居酒屋は人目を気にせず話ができるのがいい。  堀こたつ式のテーブルに90度の位置で座っているから、孝弘のいたずらな左手がすぐに祐樹の髪や頬をなでてくるが、それも没問題(メイウェンティ)。 「そう。食事がおいしくてすごく楽しいって」 「いつの間にこんな手配してるんだか」  孝弘の今回の帰国期間は五週間ほどだ。赴任にむけてのビザや渡航準備で連日かなり忙しいはずなのに、この手際のよさ。  サプライズがうれしくて頬がゆるむ。 だらしない顔になっていると思ったが、孝弘の手がやさしく頬をなでるからまあいいかと気持ちもゆるむ。 「この前、部屋に泊まったとき、土日の予定を訊いただろ。あのあと手配した」 「さすが敏腕コーディネーター。仕事が迅速ですね」 「ええ、もちろん。日本滞在はあと約一ヶ月の予定なので、手配は早め早めを心がけております。観光案内はもちろんデートコースも完璧ですよ。お客様のご要望は?」 「えー?」  祐樹はすこし考えるふりをして、ちらりと色っぽい目線を投げた。 【きみと一緒ならどこでもいいよ】  返事は北京語で返した。 人格チャンネルを切り替えると、こういう言葉も素直に言える。今までの遊び相手になら日本語でも平気で言えるのに、孝弘相手だとどうにも照れが先に立ってしまうのだ。  それを聞いた孝弘はとびきりやさしくあまく微笑んで、祐樹の耳元に口を寄せた。 【俺もそうだよ。きみと一緒ならなんにもいらない】  孝弘の返事を聞いて、祐樹はこまってうつむいた。臆面もない口説き文句をささやかれた右の耳が炙られたように熱かった。  

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