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 数日前に祐樹の部屋で、5年間の気持ちをお互いに話して泊まった日から、どうにも浮きあがったままでいる気がしている。  会社にいるあいだはなんとか仕事モードを保っているが、それ以外の時間は夢心地のまま漂っているのだ。  ようやく恋人になったという事実と、孝弘が数週間後には北京に赴任するという期間限定感で、舞い上がっている自覚はあった。  うつむく祐樹を孝弘が抱き寄せようとしたとき、「お待たせしましたー」と威勢のいい声がして、ふすまが開いた。  ぱっと離れた二人は、店員と目を合わせないようにビールを飲んでみたり、壁に張ったおすすめメニューを眺めたりする。 「本日の刺身盛合せ、揚げ出し豆腐、せせりポン酢、ほっけの開きでございます」  店員がてきぱきとテーブルのうえに料理をならべた。  再びふすまが閉まると、二人はひとまず箸を取った。もらったチケットは封筒ごとカバンのうえに置いておく。 「とりあえず、食べよう」 「うん、いただきます」  色っぽい空気は消えて、食事の時間に切り替わった。 「そういえば、孝弘」 「なに?」  ほっけを器用にほぐしながら、小皿に取り分けている。孝弘の箸使いはかなりじょうずだ。それに姿勢もいい。育ちがいいのがよくわかる。 「ちゅんびんてなに?」  うろおぼえの単語を発音すると、孝弘は首をかしげた。 「ちゅんびん? 声調合ってる? どこで聞いた言葉?」 「病院で安藤さんが寝てる孝弘に言ったんだ。ちゅんびんおごってやるから起きろって。そんなに好きなの? 食べ物?」  聞いた孝弘は声を上げて笑い出す。 「安藤さん、そんなこと言ったんだ。春餅おごるから起きろって?」 「うん。気になったけど、その場では聞けなくて」  あの時はそれどころではなかったのだ、そして今まで忘れていた。 「春餅は料理の名前だよ」 「どんな料理?」 「日本語ではクレープ包みって訳すことが多いかな。北京ダック食べる時の荷葉餅(ハーイエビン)は知ってるだろ」 「うん、まるい皮でしょ」 「そう、春餅の薄餅(バオビン)はそれよりもう少し薄くて二枚重ねになってて、食べる時に自分ではがすんだ。で、それに色んな(ツァイ)(おかず)を包んで食べる。菜は炒めものが多いけどなんでもOK」 「ふうん、おいしそう。でも聞いたことないな」 「北方の料理だからな。それにもともとは立春の行事食だし」  本来なら立春にしか食べなかったものが、いまは日常食になったらしい。  「大連や瀋陽なら専門店があるから一年中食べるけど。あ、北京にも春餅の店あったな。国貿(グオマオ)の近く」 「へえ、そうなんだ」 「今度、北京いる間に行こうか。あー、でも瀋陽にある店の薄餅がめちゃうまなんだけど。祐樹を連れて行くならそっちかなあ。最初においしいの、食べさせたいし」  今にも瀋陽まで祐樹を連れて行きそうな勢いだ。

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