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「孝弘は? なにか習い事とかスポーツとかやってた?」 「んー、習い事じゃないけど、小学校の課外活動で料理クラブってのに入ってた」 「え?」  そんな子供のときから料理好きだったのか。 「いや、どっちかというと必要に迫られて。小3で親が離婚して、俺は父親に引き取られたんだけど、仕事一筋の人だから父親が家事なんてできるわけなくて」  仕事でそんな時間も取れないということで、食事作りと家事のために家政婦に来てもらっていたという。 「掃除と洗濯して、食事はその日の分と次の日の朝食を作っておいてくれるんだけど、俺が食べたいものと合わないことが多くて。じゃあ自分で作るかって思ったんだな」 「そこで自分で作るかって思うのが孝弘だよね」 「そうか? たまたま料理クラブがあるって知って、ちょうど小4から入れるっていうから、入れてくださいって言いにいったら男子は俺ひとりだった」 「でも入ったんだ」 「そん時、めちゃめちゃサバの味噌煮とかアジフライが食べたかったんだよな」 「家政婦さんに作ってもらったらよかったんじゃないの?」 「それがうちに来てくれてた家政婦さんって、洋食の得意な人でさ。毎日ハンバーグとかビーフストロガノフとかデミグラスソースの何とかグラタンとか、たしかにおいしいんだけど、俺はどっちかというと和食が食べたいって感じで合わなかったんだ」  家政婦と合わなかったというのはこのことらしい。 「ふつうに焼き魚とかブリの照り焼きとかサバの味噌煮とかが食べたいんだけどって言ってみたら、そういうのは作れないって言われて」  たぶん当時まだ若い家政婦だったんだろう、小さな男の子の夕食ということで一生懸命作ってくれたのはわかったが、孝弘の味の好みは年のわりには渋好みだった。  作ってもらえないなら、自分で作るしかないと思ったのは自然のなりゆきだ。 「それで、料理クラブに入ったんだ」 「そう。でも結局そこでは、そんな家庭料理は教えてくれなくて。クッキーとかマフィンとか、料理っていってもカレーとかチャーハンくらいで」  それはそうだろう。小学生向けの料理クラブでサバの味噌煮はしないだろうと祐樹は笑った。  孝弘の思惑は外れてしまったが、そこで救いの手を差し伸べてくれる出会いがあったという。 「だけど、俺の希望を聞いたボランティアスタッフのおばあちゃんが、それなら個人的に教えてあげるって言ってくれて、週末はおばあちゃんの家に通っていろいろ教えてもらったんだ」  孝弘の料理の基本はそのおばあちゃんによるものだ。  当時、離婚家庭はまだ少なかったし、それも父子家庭はめずらしかった。その状況に同情したのかもしれないが、おばあちゃんは手間暇を惜しまず、だしの取り方からひとつひとつ丁寧に教えてくれた。  できた料理を一緒に食べるうちに、箸使いや食事のマナーも自然と覚えさせられた。  好奇心旺盛な孝弘は教えてくれることをさくさく覚えて、だんだんと食べたいものが作れるようになっていった。  おばあちゃんの夫であるおじいちゃんも孝弘をかわいがってくれて、週末の交流はかなり長く続いた。  高校1年の秋、父親の再婚によって引越ししたあとも連絡をとり続け、今でも年賀状をやりとりしているという。

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