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第1話
電車の中で、俺は冷や汗をかいていた。
お腹が痛いからじゃない。どうやら俺は今、誰かに尻を撫でまわされているらしいのだ。
何度か腰を引いてみたりしたのに、その手はぴったりとくっついてきて、終いには自身の下肢を押し付けるようにされた。硬いものを服越しに感じて、ぞわーっと鳥肌が立つ。
(なんだよ~……俺男なのに)
実はこういったことに巻き込まれるのは初めてではない。
小学生の頃は本屋で立読みをしている最中にされたし、中学では部活の先輩に校舎裏で無理やり触られたし、高校でも今と同じように通学中に触られたりした。
振り返って「やめてください」とはっきり言えればいいものの、それが出来ないので困っている。
いつもひたすら、意識を遠くへ飛ばしてこの時間が過ぎるように願うばかりなのだ。
次の駅までもう少し。そうしたらきっと解放される。
目をぎゅっとつぶって唇を噛んでいると、俺の尻から手の感触がなくなった。
あぁ、やめてくれたんだと思ったら、背後で男の呻き声が聞こえてきたので振り返った。
そこにはスーツ姿の男性の手を捻り上げている、俺と同い年くらいの男の姿があった。
スーツの男性は途端にその男に吠え出した。
「何すんだよ」
「次の駅で降りて」
「いきなり何だよっ! 俺何もしてねぇよ!」
「人が見てますよ。大人しくしといた方がいいんじゃないですか」
「うるせぇよ!」
わーわーと言い訳をするスーツの男性に対し、男は冷静な口調で言う。今いる乗客の中で誰よりも背が高い。その長身を生かして男性を見下している。
でも格好はごく普通でというか、地味だ。
無地の黒Tシャツに白いシャツを羽織り、下は麻のパンツに白のスニーカー。
一見ひ弱そうに見えるのに、助けてくれたんだと分かり感激した。
(かっこいい……)
俺と同じ、大学生かな。
逃げられないと思ったのか、スーツの男性は観念したように項垂れて大人しくなった。
しかしドアが開いた瞬間、一瞬の隙をついた男性は大きく手を振り払って駆け出してしまった。
捕まえようと手を伸ばしたものの逃げ足が早く、人混みの中に紛れて見失ってしまった。
「あぁごめん。逃してしまった」
追いかけて戻ってきた男は、息を切らしながら俺に言う。
俺は思いきり首を横に振った。
「いえ、あの、助けて頂いてありがとうございましたっ」
ついでに深々とお辞儀をすると、焦ったような声が頭上から降ってきた。
「顔を上げて。とりあえず一度、座りましょうか」
「はい」
促され、ベンチに腰を下ろす。
すると自販機でペットボトルのお茶を買ってくれたみたいで、俺に手渡してくれた。
「怖かったでしょ。これ飲んで落ち着いて」
──俺はこの一言で、君を好きになりました。
今までそんな風に言われたことはなかった。
痴漢される方も、やめろと言わない方も悪いんだろ。
お前の見た目が変なやつを引き寄せちゃうんだろ。
また痴漢されたって、それ、自慢?
男だからそんなことばかり言われてきて、まず俺の心配をしてくれる人に出会ったことがなかった。
俺は目をキラキラさせて、自己紹介をした。
「あの、俺、綾瀬 と言います。綾瀬 聡 」
「俺は、小林 慶吾 です」
それから俺と彼は数時間、そのベンチで話し続けた。
慶吾と俺は大学は違うが同い年だと分かり嬉しくなって、別れ際にこっちから切り出した。
「LINE交換しない?」
「あ、悪い。それやってないんだ」
「えっ」
珍しい。そんな人に初めて会ったので少々驚いたが、とりあえず電話番号だけを交換し、何か用があったらショートメールでやり取りをしようという話になった。
早速俺はその日の夜、慶吾にメールを入れてみた。
こちらからご飯や飲みに誘ううちに仲良くなっていき、慶吾への想いも日に日に強くなっていった。
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