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第1話
1 日報
「寺崎先生、僕、悩みがあるんですけど聞いてもらえますか」
放課後、そろそろ俺も帰ろうか、と荷物をまとめ始めた頃、生徒が一人保健室のドアを開け、入口でそう言った。
180近い俺よりもさらに高い身長、鳥の巣を思わせるくしゃくしゃもこもこな髪。たぶんその髪のせいで余計に小さく見える頭にバランスが取れ、さらに繊細ながらはっきりとした目鼻立ち。肩幅はそれなりにあるようだが、ひょろりとした印象を放つスタイル。
彼の名は白木、…確か智紀といったか。
学年は確か3年、だったような気がする。
そもそも俺が生徒の顔と名前を覚えていること自体珍しいのだ。にも関わらず、この白木だけは知っている。
生徒の憩いの場であるはずの保健室。なのに男子校に男の保健医。誰も用がない限り近付かない。その上、その保健医が俺だ。サボり目的の仮病の生徒は追い出し、例え病気の生徒でもさっさと薬を渡しては、担任に連絡し帰宅させる。軽度の怪我には傷薬や消毒薬をぶっかけて追い出し、重度ならやはり担任に連絡し追い出す。保健室に3つも設置されている寝台に、俺が赴任して以来、俺以外が横になっていた事はほとんどない。同僚の教師たちも例外ではない。俺が呼び出したか、用がない限りやってこない。
そんな保健室にたった一人頻繁にやってくるのが、この白木だ。
最初はクラスメートに付き添ってきたりしてたが、最近はふいにやってきては今日あったことを話したり、俺の今日の出来事を訪ねたり…。とにかくなんっでもないどーでもいいことを話すだけ話して去っていく。もちろん休み時間の度に来るわけではないのだが、毎日一回はやってくる。おかげでどうやらクラスメートや白木の友人に、姿が見えないときは保健室にいる、と思われているようで、何度か訪ねてきたこともあった。
それだけではない。
この俺ににこやかに挨拶をしてくるのも白木だけだ。
これでも教師だからな、生徒たちは挨拶やお辞儀をする。だがまともに返したことはない。もちろん白木にもだ。
にも関わらず、にこやかに白木は挨拶をする。ばったり会うと話しかけてくる。ふと目が合うと微笑む。
これは白木の人柄のせいだ。誰にでもこうらしい。よって周りからの生徒も教師も含めて好感度は高い。俺とは大違いだ。
その白木が頻繁にこの俺がいる保健室に入り浸っていること自体が謎だと言うのに、さらに他にいくらでもいそうな相談相手に俺を選ぶのか。
「どうした」
とりあえずそう声をかける。
保健医というだけで相談相手に選ばれることは、確かに少なくはない。
だが、それは何も知らない一年生だけだ。まともに相談に乗ってやった覚えはない。
他は相談しても無駄と知っているのか、寄り付きもしない。
まあ、この白木はそれでもやってくるような生徒だから、な。
「僕…」
いつもこの俺にも物怖じせず話しかけてくる白木にしては珍しく言い淀んでいる。
しかも入口に立ったままだ。
「入ってこい」
そう言うと、白木が「失礼します」と頭を下げて入ってきた。
この辺はいつもの白木なんだが。
白木に診察用の椅子を無言で勧めると、大きな体を丸めて座る。
足はきちっと揃えて、両手はぴしっと膝の上に。
その様がなんとも可愛い、否、情けない。
「どうした」
俺がもう一度尋ねると、白木は一度顔を上げると、また俯いてしまった。
「僕、僕、気になって仕方ない人がいるんです」
なんだよ、ありきたりな恋愛相談かよ。
ん?今一瞬、なんかむかっとしたような…。
「ほう、それで」
「その人のことを考えると、夜も眠れなくて、何をしてても気になっちゃうし、いつも一緒にいたいって思うし…」
白木は俯いたまま、もじもじと話す。
なんかイラっとしたぞ。
なんだ、白木のでかい図体を情けなく丸めて、さらに女子どもがするみたいにぐじぐじなよなよした感じに、まあ、確かにそれにもイラっとしたが、それだけではなかったような気がしないでもない。
「白木」
俺が声をかけるとぱっと顔を上げて俺を見る。
「お前も気づいているだろうが、それは恋愛感情というものだ。思春期には起きやすい。悩むことではないのはお前も承知のはずだな。なぜ、悩む」
こんな言い方しかできないのだから仕方ない。事実は事実だ。
こんっなことで俺の貴重な時間を浪費させ、さらに俺をイラつかせるとはいい度胸だ。それだけは褒めてやる。
「そそそそのぉ、じじじ実は相手が……」
白木は俺からそう言われることを想定していたのか、さほどショックも受けずにどもりながら、またもじもじする。
どもるな。
内心突っ込みながら、さらにイライラがます。
しかし俺は何をこんなにイライラしているんだ、わけがわからん。
ストレスが溜まってるのかもしれんな、そうだ、そうに違いない。
これは早々にこのなよっとした大男を追い出して、自分に向き合ったほうが有意義に過ごせそうな気がしてきたぞ。
「…おおおおお男の人なんですぅ!」
白木は渾身の力で言いましたとばかりに、背筋を伸ばして腕を突っ張り肩を張る。
「………」
思わず、言葉を発せずにいると、白木が伺うように上目遣いで俺を見る。
身長のせいで人から見上げられることも少なくないが、白木から見上げられたのは初めてかもしれないな。
なんだかくらっと頭が揺らいだ気がしたが、もしかしたら熱があるのかもしれない。体調不良が原因で苛立っているのか。ここはいつもの調子でさっさと追い出そう。
改めて白木を見る。
上目遣いは何割増か可愛く見えるというが、あながち嘘では…、いや、何を考えているんだ、俺は。
やっぱり熱か、熱のせいだな、よし。
「…そうか」
思考とは裏腹な言葉を返してしまった。
こんな言葉じゃ白木が諦めることはないのは承知のはずだ。自分を諌めてみるが、それ以上言葉がでてこない。
「そうなんです」
ほら見ろ。
白木が何か助言が貰えると期待したのか、身を乗り出してきた。
俺は苛つく感情を紛らわせるようペンを取り、手の中で回した。
「…それも思春期にありがちなことだな。友情や憧れ、尊敬などの感情をうまく処理できず、安易な恋愛感情と勘違いするんだ。多くは一過性のもので…」
「でも僕、勃っちゃうんです!」
なに⁈
いやまて、いくら保健医といえど、シモの相談まで…。いやいやそれよりも高校生の分際で俺の言葉を遮るな。
ん?ちょっと突然の展開に脳内の処理が追いつかん。
「僕、その人のことを考えると、…勃っちゃうんです…」
二度も言うな!
まだ俺の頭は処理されてない。
と、とりあえず、落ち着こう。
大きく息を吸って、吐いて、と。
「僕、ホモってやつになっちゃったんでしょうか」
だから、ちょっと待て!
俺は頭を抱えた。
なんか必要以上にショックを受けてる自分に驚く。
まあ、男子校だ。そんな噂を聞いたこともあるし、担任から相談されたこともあったか。その時は、どんな返事をした?思い出せん。
「お前、エロ本は見るか」
俺の問いに白木は真っ赤になった。
おや、突然の発言内容のわりにウブな反応をするな。
「その年なら見たことぐらいあるだろう」
「……あります……」
消えいらんばかりに小さな声で答えて、真っ赤になって俯く。
俺は思わずニヤリと笑ってしまった。
この会話に少し楽しみを見出したぞ。
鬱憤ばらしにこのままちょっと虐めてみるか。
「それは女が出てくるものか」
「……そうです……」
「で、勃つのか」
「……はい……」
真っ赤になってますます丸くなって俯く白木を見るのは楽しいんだが、ちょっとむかっときたのはなぜだ。
「ならばお前はホモではない」
そう言うと、赤くなったままの白木がばっと勢いよく顔を上げ、眉根を寄せ、真剣な眼差しで俺を見る。
「でも!その女性たちがだんだん気になる人に見えてくるんです!」
「………」
思わず絶句した。
なぜ絶句したのか、自分でもわからん。
ただ、これは本気かもしれない、と思った。
どこのどいつだ。
ん?
「それは確かに相手に性的魅力を感じているな。ならばその人物だけお前にとって特別なのだろう。…まあ、それも一過性の可能性はあるが、熱が冷めればまた女性に恋愛感情を持つようになる」
話しながら、イライラを逃すために、ペン先で机を叩いた。
苛立ちを白木にぶつけてやってもいいのだが、これだけ真剣に話している相手に当たるのも大人気ない。俺は大人だからな。
「…そうですか…」
安心したのか、落胆したのかわからない息を吐いた。
お前は一体、何をどうしたいんだ。
相談したいのか、安心したいのか、俺をイラつかせたいのか。いやいや、俺が勝手にイラついているんだが、原因はこの白木の相談にあることは間違いなさそうだ。
「相談は終わりか」
早くこの訳のわからない時間を終わらせたい。
この俺が、わからないんだ。
とても有意義な時間とは言い難い。
「…僕、告白しようと思うんです…」
それは、ちょっと…。急ぎすぎではないか。
違うか。
もうその相手に性的魅力を感じていることは間違いなさそうだからな。あとは告白、か。自然な流れではあるな。
なんか、今、自分に言い聞かせなかったか?
「お前の好きにすればいい」
そうだ、勝手に振られろ。
まだ、決まった訳じゃないが、心底そう思ったぞ。
「相手は受け入れてくれると思いますか」
そんなの知るか!
叫びたくなったが、飲み込んだ。
俺は大人だ、大人な対応をするんだ。
ん?
「相手とは親しいのか」
「…それなりに…。毎日会って話したりします」
と言うことは、友人か。
「同級生か」
「…いえ、年上です…」
くそっ。
「ならば無下に断られる心配はないだろう。お前をよく知る人物なら、お前が真剣に話せばそれなりに理解される。ただ結果はわからん」
なにが、くそっ、だ。
自分で自分に突っ込む。
「先生なら、どうされますか」
なぜ、俺?
思わず白木を振り返ると、真剣な眼差しで見つめている。
急に男の顔をするな。
ついさっきまでウブな高校生だったじゃないか。
それだけ、相手に真剣ということか。
「…俺なら、受け入れる、かも、しれない」
なに⁈
自分で自分の発言に驚いた。
何を言ってるんだ、俺は。
「本当ですか」
内心、動揺し、混乱しまくっている俺を冷静だと誤解してるのか、白木は嬉しそうに頬を高揚させていう。
「…だ……だからと言って、なんの保証にもならん」
そうだ、決めるのは白木の選んだ奴だ。
「…振られたら、またこい。慰めてやらんこともない」
そう言うと、白木は少し寂しそうにした。
「…それは無理ですよ…」
「…なんだ、心配するな、ちゃんと」
「だって、僕の気になる人って寺崎先生ですから」
………。
………はぁ?
お前は…。
「告白する相手に、告白の相談をしてたのかっ⁈」
思わず叫んでしまって、慌てて口を押さえたが遅かった。
白木がにこやかに頷いた。
「はい。寺崎先生が好きです」
ちょっと、待て。
やばい、顔が熱くなってきたぞ。
「…先生、返事は?…」
だから、ちょっと待て。
顔が熱い。
「…さっき、話したのは全部本当ですよ…。全部、寺崎先生のことです」
「……」
「受け入れるって言ったじゃないですか」
「…あれは…、違う」
なにが違うんだ。
そう思ったのは事実じゃないか。
「なにがどう違うんですか」
白木が見れずに、顔を背けた。
なんだ、この感情は。
さっきまでの苛つきが消えた。変に安堵さえしている。
そして、嬉しい、のか。
心臓が急に動いてることを自己主張し始めた。
どくどく、音が聞こえそうだ。
「先生、返事を聞かせてください」
ちらりと白木を確認すると、さっきまでのもじもじした様子がすっかり消えている。
なんというか、自信に満ちているような…。
「…お前、確信犯、だな…」
その顔、俺の返事を決め付けている。
わかっている、そうだな?
「そんなあ。人聞き悪いこと言わないでくださいよ」
白木が苦笑いする。
「確信があったわけじゃないんです。ただ、僕が先生を見てると、必ず先生も見てくれたし、僕が先生を見ようとすると、先生が見てたりしたから」
ふと俯いて、ちょっともじもじする。
「ちょっと、確認してみたかったんです。自信がなかったから」
だめだ、顔が熱い。
息が苦しい。
白木を見ていられない。
「さっき、受け入れるって言ってくれたから、嬉しくって」
乙女のように頬を染めるな。
微笑むな!
「………」
「…ねえ、先生、返事は?」
「……ほ、保留だ…」
「えええええ⁈なんでぇ⁈」
「出来るわけないだろ!俺は教師だ!それが男子生徒となんて」
そう、叫んでる途中で白木がふわっと笑った。
「…なんだ…」
「だって、断る気ないみたいだなあって思って」
⁈
また俺の口が勝手に‼︎
口を押さえて、頭を抱える。
くそっ!くそっ!
なんなんだ、こいつは!
高校生のくせに、この俺を手玉に取るつもりか。
「寺崎先生」
不意に呼ばれて、思わず振り向いた。
ふわっと笑ったままの白木が言う。
「大好きです」
「…言うな!…」
その言葉は、だめだ。
俺の優秀な脳が、その一言で停止する。
とにもかくにも、返事は保留、ということにして白木を保健室から追い出した。
「寺崎先生?」
白木が何度かドアを叩いていたが、鍵をかけて無視をした。
とにかく考える時間を俺に与えろ。
諦めた白木が去っていく足音を聞くと、気が抜けて、ついでに足の力も抜けた。
ドアの前に座り込んで、自問自答する。
とにかく考えるんだ。
と言っても、俺の思考はどうかしているらしい。
考えても考えても、ぐるぐる思考が回るだけでちっとも纏まらない。
あの白木が俺を好きだと?
俺は男だ。
どこをどうやったら、そういう展開になるんだ。
ま、まあ、言われてみれば白木の言うとおりかもしれない。
俺も正直、白木を見ていた、かもしれない、な。
白木を可愛い、と思ったことがなくもない、かもしれない。
真剣な白木に好きだと言われて、嬉しかった、かもしれない。
気分も、良かったかもしれない。
………。
結果、どうしたいんだ俺は。
そして、何故俺は、そんなことより明日も白木が現れるかを心配しているんだ。
くそっ。
この俺の負けか。
負けなのか。
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