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第8話 嘘と嘘 1

 あのことはもう、水に流そう。  そう思いながら数日過ごしたが、小雨の降る夜に掛かってきた一本の電話で事態は急変した。  長い沈黙の後、彼は切り出した。 「……え? 本当に?」 『うん……俺が、その……あぁ、電話じゃ何だから、今からお前の家行ってもいいか?』 「う、うん。大丈夫」 『じゃあ、待っててくれ』  電話が切れたら力が抜けて、膝からくずおれてしまった。  しばらく頭が回らなかった。    あの日、知らん顔をしていたのにも関わらず、今になって自分がやったのだと名乗り出てくれた。  その人が今からここに来る。  あの日、背後から僕の胸をまさぐり、恥ずかしい箇所にも手をはわせてきたのが彼だったなんて。  あの時の感触は今も忘れていない。  思い出すと、身体が勝手に火照り出した。  インターホンが鳴らされ、正座したままの状態から立ち上がった。  バタバタと玄関に向かってドアを開く。 「悪いな。急に」 「……ううん、大丈夫だよ……(かい)」  櫂は困ったように笑って傘を閉じ、水滴を払って靴箱の横に立てかけた。  前髪も少し濡れていた。手でその雫を振り払っている櫂の横顔がとても綺麗で、つい見惚れてしまった。  僕の視線に気付いたようで、櫂も顔をあげる。  上がり框に立つ僕と、三和土に立つ櫂の視線が真っ直ぐに絡み合った。  僕は内側から湧き上がる気持ちを、そのまま口にした。 「僕も、好きだよ、櫂」  櫂は目を丸くしたまま、微動だにしなかった。 「僕はずっと、櫂が好きな気持ちはバレちゃいけないって思ってた。だってバレたら、この四人でいられなくなっちゃうから。僕は本当に、みんなのことが好きだから、死ぬまでずっと、隠していこうって思ってた」 「死ぬまでって、大袈裟だな」  櫂は呆れたように、僕の目蓋をこすった。  いつのまにか僕の双眸に涙が滲んでいたようだった。  櫂に出会った時からずっと、櫂が好きだった。  でもそれと同じくらい、四人でいることも好きだったのだ。  僕に触れてきたのが、櫂で良かったと思った。 「ごめんな。あんなことして。怖かっただろ」 「うん、少し……だけど、櫂だって分かって安心した」 「ちょっと揶揄ってやるつもりだったんだ。だけどお前、全然起きないからさ。朝になったら謝ろうって思ってたんだけど、お前の顔見たらつい恥ずかしくなって嘘吐いたんだ。このまま隠しておこうと思ってたけど……やっぱり耐えらんなくて。ごめん」 「いいよもう、謝らなくて」 「……じゃあ、キスしてもいい?」  頷くと、櫂の手が僕の腕を掴んだ。  あの時の手だ。  その手が僕の顔を引き寄せて、唇を塞いだ。  甘い疼きが身体中に広がる。  顔の角度を変えられたので、僕も同じように顔を傾け、櫂の手と手を重ねる。  櫂の手の甲には絆創膏が貼ってあった。  それを指先でなぞりつつ、唇を離して見つめ合った後、もう一度キスをして、と何度か繰り返しているうちに笑えてきて、ふふっと鼻で笑ってしまった。 「何笑ってんだよ」 「いや、もしかして櫂も、ずっと僕のことが好きだったのかなって」 「はぁ?」 「結婚はたぶんしないって」  櫂は誤魔化すように体を引き、ようやく靴を脱ぎ始めた。 「そーだよっ。でも良かった。明日夏も俺のことが好きだって分かって」  シャワー借りるぞと言って、櫂はバスルームに消えていった。  きっと今日は、泊まっていくだろう。  やる気満々って思われたら恥ずかしいけど、ロフトに上がって待っていようかと考えた。  もう寝ようと思っていたところだったから、風呂も入ったし歯磨きもしてある。  電気を消し、梯子を登って布団の上でうつ伏せになっていると、バスルームのドアが開いて、上半身裸の櫂が僕を見上げてきた。  真央の裸は何度も見たことがあるけど、櫂は初めてだったのでドキドキしてしまった。 「……そっち、行っていいのかよ」 「……ダメ」 「じゃ、お邪魔します」  クスクスと笑い合った。  櫂は一段ずつ、ゆっくりと梯子を上ってくる。

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