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終わりに...
私、ホァン-プーラカが寒いロシアの国を訪れたのは、崔頭主が世を去って、1年余りが過ぎた頃だった。
崔頭主の亡骸を探しに戻った私に、ミャンマーに残っていた同志が、頭主の遺骸は荼毘に伏されて、故郷のベトナムに帰ったと告げた。
私はベトナムへ行き、サイゴンの郊外に、崔頭主が婚約者やその家族と静かに眠っているのを確かめた。その奥津域は綺麗に整備され、香華が手向けられていた。
驚いたことに、それを成したのが頭主の宿敵だったレヴァントだという。
ーご命日に、ご婦人がふたり、おみえになっておりました......ー
墓守りの言う婦人というのは、邑妹(ユイメイ)大姐と苓芳(レイファ)さまに似たあの青年のことだろう。私は深い感慨を覚えた。
運命の、時代の歯車が狂いさえしなければ、崔頭主は、この地で苓芳(レイファ)さまと邑妹(ユイメイ)さん、お二人と穏やかに暮らしておられたのだ。涙が零れた。
ーまったく戦争というものは......ー
同時に私は崔頭主の意志をあの青年に伝える決心をした。
「ようこそおいでくださいました....」
サンクトペテルブルクの屋敷を訪れた私を出迎えたのは、邑妹(ユイメイ)さんと、あの青年とレヴァントだった。
「崔頭主の御遺言です」
私はまず、細やかな金細工の箱に納められたペンダントを邑妹(ユイメイ)さんに手渡した。瞳にルビーの嵌め込まれた金の鳩の意匠が繊細で美しい。箱の中には他に、古い何枚かの写真と崔頭主の手紙が納められていた。
ー邑妹(ユイメイ)、どうか幸せに......ー
邑妹(ユイメイ)さんは手紙をじっと見詰めて、一滴、涙を溢した。
「さて、お二方には、頭主さまから、『責任を果たさせよ』とのお言葉です」
私は崔頭主から預かった書類の束をふたりの前に置いた。
「責任?」
レヴァントの金色の眉がピクリとつり上がった。青年が、私の差し出した書類の束を丁寧に確かめ、眼を見開いた。
「ラウル、どうした?」
レヴァントが青年の手元を覗き込んだ。
「権利書だ。学校、病院、診療所......ミャンマーとラオス、カンボジア、ベトナム...バングラデシュのものまである。後、設計図も」
青年は驚きに満ちた目で私を見上げた。あの事を伝えねば......。
「崔頭主は、個人資産をほとんどお持ちではありませんでした。『事業』の収益は、地元から雇い入れた配下の者達の給金と、各地に建てた施設の運営費用、人材育成に使われておりました」
「慈善家のふりか?」
揶揄するレヴァントに、私は努めて穏やかに言った。
「いいえ、アジアの自立のための投資です」
「アジアの......自立.....」
青年の唇が小さく呟いた。彼には、分かるはずだ。彼にはアジアの血が流れている。
「崔頭主は、ご自身が亡くなったあと、こちらの『事業』を継ぐ人間を探しておいででした。ラウルさん、あなたは崔頭主から指名されたのです。彼の『後継者』として.....」
「なんで俺が.....」
訝る彼に私は小さく微笑み、言った。
「あなたは、崔頭主の『死に水を取った』のです。頭主は、あなたの手であの世に送り出されることを望んでいたのです。形はどうあれ.....」
「どういう意味だ?」
レヴァントが口を挟んだ。私は率直に打ち明けた。
「頭主は、末期の脊髄ガンでした。寿命が尽きる前に、ラウルさん、あなたに巡り会えたのは、崔頭主にとって、真に御仏の慈悲でした」
「崔が、ガン......そんな筈が」
動揺するふたりに私は少し苦笑した。
「崔頭主のご年齢をご存知でしょう?.....崔頭主は仰ってました。頭主や私は、20世紀の亡霊です。この時代の呪縛から私達を解き放ち、我々の地獄を終わらせてくれる者達に未来を託そう.....と」
「20世紀の亡霊.....」
「そうです。アジアの新しい未来を開く役目を、ラウルさん、あなたに託したのです。......お引き受けいただけますね?」
「未来を託すなんて.....俺はそんな大それた人間じゃ.....」
口ごもるラウルさんの肩をレヴァントが抱き、私の眼を真っ直ぐに見て、言った。
「引き受けよう」
「ミーシャ?!」
驚きを隠せないラウルさんにレヴァントが微笑んだ。
「私達の力を見せてやろう、崔に.....。20世紀の闇を振り払う様を」
「ミーシャ.....」
私はほっと胸を撫で下ろした。そして知った。レヴァントとラウルさんは、最良のパートナーだ。崔頭主は...知っていたのだ。
「ありがとうございます」
私は頭を下げ、ラウルさんを見た。彼に、一番大切なものを渡さねばならない。
「ラウルさんに、これを......」
ラウルさんはそれを受け取ると、なんとも言えず複雑な表情になった。が、静かにそれをポケットにしまった。
伝え聞くところでは、それは義母となった邑妹(ユイメイ)さんの部屋に大切に飾られ、時折、ラウルさんがやってきてじっと見詰めているという。
粗末な診療所で、ひとりの医師が幼子を膝に抱いて微笑んでいる色褪せた写真.....崔頭主が大切にしていたそれに、ラウルさんが今、何を語りかけているのか、私は知らない。
だが、きっと未来の話をしているのだろう....と私は思う。
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