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08.ジークと薬(4)
「あ、あの、俺……?」
そのどこか気の抜けたような声を耳にして、リュシーはようやく息をついた。
どこもかしこも撫で回すかのように、纏わり付いていた香りが薄らいでいく。まだ完全には消えていないけれど、ジークの様子からしてそれも時間の問題だろうと思えた。
「まぁ、これくらいなら……」
独りごちるように言って、リュシーはゆっくり手を引いた。
ジークはベッドに押し倒された際の格好のまま、リュシーの動向をただ目で追っていた。
ジークの上から退いたリュシーは、次いで窓際へと足を向ける。
空気の入れ換えのために朝から開けてあったそこからは、緩急のある風が巡っていた。一際強く吹き込んだそれに、カーテンが大きく舞い上がる。厭うように、リュシーは全ての窓を閉めた。
いつもよりぞんざいな手付きになってしまうのは仕方なかった。それくらいリュシーには余裕がなかったし、少しでも早くこの部屋を外部から遮断してしまいたかったからだ。
先日の――隻眼の狼のように、少しの匂いにも敏感な者であれば、この程度の残り香でも当てられてしまうかもしれない。そうでなくとも、いつまたぶり返すとも知れない未知の状態だ。
仮にそうなったとしてさほど驚きはしないけれど、少なくともそれがいたずらに外界へと振りまかれてしまうようなことだけは避けなければと思った。
これ以上面倒なことになるのはごめんだ。何よりそうなってしまった場合、主人 に何を言われるか――されるかわからない。
(……寝た、のか?)
リュシーが窓際から戻ると、ジークは静かに目を閉じていた。
呼吸は安定しているように見えた。すでに深い眠りに落ちてしまったように見えなくもない。
リュシーはため息をつきながら、ジークの身体をまっすぐに寝かせ、上掛けを被せた。
それから部屋を出て行くと、最後に一瞥だけ残して扉を閉める。
「冗談じゃねぇ……」
閉ざした扉に背を預け、汗に張り付く前髪を掻き上げながら頭上を仰ぐ。
何かを堪えるように歯噛みして、目を細め、その傍ら、ドア越しに再度室内の様子を窺った。
耳を澄ませると、衣擦れのような微かな音がした。ジークが寝返りでも打ったのだろうか。少なくともベッドを下りるような気配は感じられず、すぐに聞こえなくなったそれに、リュシーは改めて息をつく。
「あの主人 ……適当なことばっか言いやがってっ……」
吐き捨てるように呟くと、思いがけずガタン! と硬質な音が響き、反射のようにびくりと肩が跳ねた。そんな自分に舌打ちしながら、再び背後に意識を向けたものの、それきり気になるような物音が聞こえてくることはなかった。
脱げかけていたブーツが床に落ちたりしたのかもしれない。思えば、もう一方のそれはリュシーが組み敷いた拍子にすでに脱げていた気もする。
(あーもう……)
リュシーはそのままずるずると足下にへたりこんだ。
ジークの手により、一方的に開かれた襟元を掻き寄せながら、忌々しげにため息を重ねる。
(なんで俺がこんな目に……)
立てた膝の上に腕を置き、そこに顔を伏せていると、ふっと意識が遠退きかける。
(っ……やば)
不意におりてきた眠気に、リュシーはふるりと頭を振った。
(こんなとこで寝たら踏み潰される……)
よろめきつつも立ち上がり、重い足を引きずるようにして、壁伝いにアトリエへと歩き出す。
やがて上げた視線が捕らえたのは、窓際に佇む銀細工の鳥籠だった。
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