105 / 146
16.呼ばれたから(1)
コンコンと扉を叩く音がする。
それをさらりと無視して、アンリは持っていた試験管を軽く振り、手をかざしたまましばし静止する。
ややすると中の透明だった液体が白く濁り、それから虹のような流動的な色合いを経て、再び無色透明に戻った。
アンリは小さく吐息して、それを窓際に置かれた試験管立てに戻す。傍らにはいつもの手鏡が伏せてあった。
そこで再び扉を叩かれる。さっきより少し強い音だ。
扉の外に立っていたのは、ロイだった。ロイが肩にジークを担ぎ、他方の《《手のひら》》にリュシーを乗せて、尻尾でバスケットを引っ掛け扉をつま先で蹴っていた。
「……」
アンリは魔法で玄関の扉を開けた。
相手が誰であるのか予想がついていたからだ。
リュシーにかけられている魔法の効果により、森の中で出会った相手の顔は見えていた。
彼と出会ってから不自然にリュシーの視界が閉ざされたり風景ばかりになっていたが、見えていた範囲のことなら把握できている。
意外と蜜の収集がはかどっていたことや、その途中でジークとはぐれてしまったこと。
その後、合流したジークに|抑制剤《薬》を飲ませたことや、薬効によりジークが眠りに落ちると、続いてリュシーまで意識を手放してしまったことも。
元々アンリの魔法が及ぶ領域内なら、俯瞰的に見たい場所を見ることもできるのだ。けれども、今日のような霧の中ではほとんど役に立たない。そもそもあれはそこそこ魔法力を消耗するので、よほどのことがない限り使わないようにしている。それもあって、リュシーに視覚魔法をかけているのだ。
だから分かっていた。
このタイミングで現われるのが誰であるのかも。
途切れがちとは言え、リュシーが映し出していた光景を思えば簡単に得られる答えだった。
家へと踏み入った相手が廊下を進むのに合わせて、アンリはアトリエの扉も魔法で開けた。
「こんにちはー」
なのに次の瞬間、そこに笑顔で現れたのは違う人物だった。
ともだちにシェアしよう!