ボクの名前は、チユキ。 小学４年生。 今、ちょうど夏休みで、毎日毎日、遊ぶ事で忙しいんだ。 昨日も、今日も、明日も、ずっと、お兄ちゃんと遊ぶ。 お兄ちゃんと遊ぶのが大好き。 あ、お兄ちゃんと言うのは、６年生のミナト君の事。 近所の美映留(みえる)神社の近くに住んでいてボクと仲良しなんだ。 ボクは朝ご飯を食べると、すぐに家を出ようとした。 すると、ママが、 「チユキ！　水筒を持っていきなさい」 と言ってボクを引き留める。 ボクは、じれったくて足踏みをするのだけど、ママはのんびり屋で遅いんだ。 「はやくしてよ！」 ３回言ったところで、やっとママは水筒を用意してくれた。 もう、早く遊びに行きたいのに！ 美映留神社は、大きな道路を横切らないでも行くことができる。 だから、ママは、「神社はいいけど、他の所には絶対に一人では行かないで」と、必ず注意する。 ボクは、大丈夫だよ、って繰り返し答える。 だって、お兄ちゃんとしか遊ばないから、他に行くわけないじゃん。 ママは、すごくしつこいんだ。 ボクが急いで神社に付くと、石の階段にお兄ちゃんが座っていた。 ボクは、手を振りながら走り出す。 「お兄ちゃん！」 すると、お兄ちゃんは、こちらを振り向き「おう！　千幸！」と手を上げた。 今日は、お兄ちゃんと神社の横で、田んぼの用水路探検をした。 田んぼのあぜ道を長い木の枝を振り回しながら歩く。 それだけだけど、お兄ちゃんと一緒だからすごく楽しい。 「なぁ、千幸。こんな事できるか？」 お兄ちゃんは、そう言うと大きな水たまりをポーンと飛び越えた。 ボクは、「すごい！」と手を叩いた。 「千幸も、６年生になったらできるようになるかもな」 お兄ちゃんは、鼻の下を指でこすった。 お昼が近づくと、とても暑くなってくる。 と、なると、いつもの所に行く。 神社の参道の脇道にある駄菓子屋だ。 そこで、チュッチュッという氷菓子を食べる。 「ほら、千幸。半分あげるよ」 「ありがとう、お兄ちゃん！」 ボクは、受け取った冷たいチュッチュッを口に入れて、チュー、チューしながら食べる。 これが、とても美味しいのだ。 お兄ちゃんも、チュー、チューしている。 目が合うと、「美味しいね！」って笑い合った。 ところで、今日のお兄ちゃんの様子が少し変だった。 ボクとお兄ちゃんは、山の上にある神社の本殿にいた。 丸太に座りながら、お兄ちゃんは言った。 「なぁ、千幸。百花(モモカ)さんって好きな人いるのかな？」 「モモカお姉ちゃん？」 「うん」 百花(モモカ)というのはボクの３歳年上のお姉ちゃん。 今、中学１年生。 すごく優しくてボクが大好きなお姉ちゃん。 そのお姉ちゃんの事を、なぜお兄ちゃんは気にするのだろう？ ボクは、お兄ちゃんに問いかけた。 「どうして、そんな事を聞くの？」 「ん？　それは、恋ってやつさ。千幸にはまだ分からないだろうけど」 「コイ？」 「この間、スーパーの前で偶然にあったんだ。百花さん、『こんにちは』って言ってくれて、俺は心臓がドキドキしたよ」 「へぇ。そうなんだ」 お姉ちゃんはそんな事は言ってなかったなぁ。 でも、コイってなんだろう。 「なぁ、千幸。今度、百花さんに、好きな人がいるのか聞いてみてくれよ」 「お姉ちゃんに？」 「そう。あー、そうそう。俺が聞いたって事は内緒だぞ」 「わかった」 ボクは、お兄ちゃんと指切りをして、お昼を食べに一旦別れた。 お昼ご飯は、ボクの大好きなお蕎麦だった。 家族揃ってのいただきます。 ちょうど、お姉ちゃんがいたので、ボクは聞いてみた。 「ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんって好きな人いるの？」 お姉ちゃんはビックリした顔をした。 お姉ちゃんだけじゃない。パパもママもだ。 「ちょ、ちょっと、チユキ……突然、なによ」 「ん？　なんとなく聞いてみようかなって」 お姉ちゃんは、パパとママの顔を見て、 「そんなのいる訳ないじゃん！　もう、チユキは」 と、お蕎麦をむしゃむしゃ食べ始めた。 「ふーん。そうなんだ」 そんなに驚く事ないのに。とボクは思った。 ボクだって、好きな人はいるし、すぐに答えられる。 もちろん、お兄ちゃん、だけど。 食後のスイカを食べていると、お姉ちゃんがそっと耳元で声を掛けてきた。 「ちょっと、部屋にいらっしゃい」 「ん？」 ボクはお姉ちゃんの方を見ると、「ついているよ。チユキ」 と、お姉ちゃんはボクの頬についたスイカの種を取ってくれた。 「さっきの、どういうこと？」 お姉ちゃんは、ベッドに腰かけて言った。 「どういうことって？」 「ほら、好きな人がいるか、ってやつ」 「んー。もういいよ。いないんでしょ？　それで大丈夫だから」 ボクは、テーブルにあったアイドルの雑誌を眺めながら言った。 「もしかして、チユキ。好きな子ができたの？」 「えっ？　ボク？　ボクはずっと前から好きな子いるよ」 「な、な、ほんと？」 「うん。ミナト君」 お姉ちゃんは、なんだ、と前かがみになった体を起こした。 「そうよね。チユキにはまだ早いもんね」 「ねぇ、お姉ちゃん。ボクもう行くね。午後も、お兄ちゃんと遊ぶから」 「あ！　ちょっと待って」 ボクは立ち上がったけど、座り直した。 お姉ちゃんは、声を潜めて言った。 「じつはね。お姉ちゃん、好きな人いるんだ。先輩なんだけど、カッコいいんだ。むふふ」 お姉ちゃんは嬉しそうな顔をした。 そして、これはパパとママには内緒、いいね？　と口元に指をあてて言った。 午後も神社に出かける。 午後は、お菓子の付録のカードで遊ぶに事になっていた。 お兄ちゃんは、カードを切りながら言った。 「なぁ、千幸。聞いてくれたか？」 「ん？　何を？」 「ほら、百花さんの事だよ」 お兄ちゃんは、ちょっと神経質っぽい口調。 切り株の上に並べたカードをボクは、めくりながら答えた。 「いるって。先輩を好きなんだって。あっ！　いいの出た！」 ちょうど、最強のキラキラカード『ヘビーメタル・へびメダル』が出た。 ボクは、歓喜の声を上げた。 でも、お兄ちゃんは、乗っていない。 「……そうか。やっぱりいるのか。好きな人」 沈んだ声。 ボクは、お兄ちゃんがあまりにも悲しい顔をしたので、ようやく事の大きさに気付いた。 「ねぇ、お兄ちゃん、大丈夫？」 「……ん？　大丈夫だけど……」 全然大丈夫そうじゃない。 ボクはあたふたとして、いろいろ考えた。 そして、いい事を思いついた。 「ねぇ、お兄ちゃん。ボクは、お兄ちゃんを大好きなんだ。だから、お兄ちゃんもボクを好きになればいいよ」 お兄ちゃんは、キョとんとした顔をした。 そして、にっこりしてボクの頭を撫でた。 「ありがとう。俺も千幸の事が好きだよ。でも、千幸。違うんだ」 「どう違うの？」 「そうだな。俺は男だから女の子を好きになるんだ。千幸にはまだ分からないと思うけど」 ぜんぜんわからない。 男とか女とか、どうでもいいのに。 お兄ちゃんが好きなのは変わらないのだ。 でも、お兄ちゃんが女の子を好きっていうのは分かった。 ボクの頭の中には、お兄ちゃんを元気付けるいい案が思いついていた。 「お兄ちゃん。ちょっと、おうちに帰るね。戻ってくるから、待っててね。絶対だよ！」 ボクは急いでおうちに帰った。 そして、お姉ちゃんの部屋の扉を開く。 「お姉ちゃん？」 「ん？　チユキ、どうしたの？」 お姉ちゃんは、パパやママが部屋の扉を勝手に開けるとものすごく怒る。 でも、ボクだけは大丈夫なのだ。 お姉ちゃんは、勉強をしていたようだ。 椅子をくるっと回して、ボクの方を振り向いた。 ボクは、ちょこんと座って言う。 「お姉ちゃん、ボク、女の子になりたいんだ」 お姉ちゃんはびっくりした表情をした。 「チユキ……女の子になりたいって」 「うん。だから、お姉ちゃん。女の子のお洋服貸して」 ボクの案は、ボクが女の子のようになる案だ。 そうすれば、お兄ちゃんは、女の子のボクを好きになればいい。 そうすればお兄ちゃんは元気がでるのだ。 なんといういいアイデア。 ボクはこう見えて、結構頭がいいのだ。 お姉ちゃんはため息をついた。 「はぁ、チユキには驚かされるなぁ。びっくりした」 「そう？」 「あはは。チユキ。女の子の服を着ても、女の子にはなれないんだぞ」 「そんな事は知っているよ。女の子っぽくなれればいいんだ」 「ふーん」 お姉ちゃんはボクが何を考えているのかよく分からないみたいだ。 ボクの表情をじっと見つめる。 しばらくして、にやっと笑った。 「まぁ、いいわ。うんうん。よし！　お姉ちゃんに任せなさい！　ものすごく可愛くしてあげるから！」 ボクは、急いで神社に向かった。 ひらひらの服に、髪にはリボン。 足が痛くなる靴まで履くことになった。 歩き難くて仕方ない。 本殿まで上ると、お兄ちゃんは本を読んで待っていてくれた。 「お兄ちゃん！」 僕が声を掛けると、お兄ちゃんが振り向いた。 「ん？　千幸なのか？」 驚いた顔。 でも、すぐに優しい笑顔になった。 ボクは、息を切らしてお兄ちゃんの前に立った。 「はぁ、はぁ。どう？　ボク、女の子みたいでしょ？」 「ああ、そうだな。とても可愛いな」 お兄ちゃんは、嬉しそうだ。 やった！ 作戦成功だ。 「ねぇ、お兄ちゃん。ボク、女の子になったから、ボクを好きになっていいよ！」 ボクは力いっぱい言った。 すると、お兄ちゃんは笑顔のまま頷いた。 「千幸、ありがとうな。俺を元気づけるためにしてくれたんだろ？」 「うん。ほら！　ぎゅっとしていいよ」 ボクは両手を広げた。 男と女の好き同士は、ギュッと抱き着くものなのだ。 そのくらいはボクも知っている。 お兄ちゃんは、すぐにボクを抱きしめた。 ギュッと。 ボクは苦しかったけど、同時にすごく嬉しい気持ちでいっぱいになった。 お兄ちゃんの匂いがする。 とってもいい匂い。 ずっとこのままでいい。 ボクは、うっとりと目を閉じた。 お兄ちゃんは、しばらくして、ボクの体を引き離すとボクの額に額を付けて言った。 「千幸、チューしていいか？」 ボクは、すぐに答える。 「いいよ！」 ボクは、お兄ちゃんに唇を突き出す。 お兄ちゃんは、ニッコリ微笑むと、顔を近づけ唇を合わせた。 ちゅっ。 軽く触れただけのチュー。 ボクは、唇を触った。 まだ唇には、お兄ちゃんの柔らかい唇の感触と温もりがある。 何か大事な物が伝わってきた。 きっと、宝物のような大切な物。 これがキス。 キスなんだ。 ボクは、大人になったような気がした。 お兄ちゃんは、ボクの頭を撫でながら言った。 「ありがとな、千幸。俺、元気でたよ」 ボクは褒められて誇らしい気持ちになった。 だって、お兄ちゃんの役に立てたのだ。 それに、お兄ちゃんは、何かいつもとは違う接し方だったので、胸がドキドキして変なんだけど気持ちがいいのだ。 お兄ちゃんは言った。 「ほら、着替えて来いよ。動きにくいだろ？　夕ご飯までカブトムシ取りに行こうぜ！」 「うん！　行こう！」 ボクは、おうちに走りだしていた。