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3. 割れて壊れたティーカップ・後編

割れて壊れたティーカップ5  連れて行かれた場所はローシャの部屋だった。部屋に入るとアルベルトはローシャをベッドの上におろした。ローシャは警戒して身構えたが、アルベルトは意外にあっさりと離れていった。  自室のベッドという慣れた場所はローシャの精神状態を落ち着かせた。いろいろな事が起こりすぎて、ローシャ自身が錯乱状態だったのがわかる。  アルベルトはローシャに背を向けて静かに言った。 「ローシャ様。紅茶をお入れしましょうか」 「…うん」 「少々お待ちを」  アルベルトは部屋を出た。アルベルトが紅茶を持ってきてくれるのは習慣的なものだった。ローシャの部屋にアルベルトがいる時はいつも紅茶があるのだ。その習慣がアルベルトの中にもあるのだと感じてローシャは少し安心感を覚えた。 「アルベルト…」  独りで部屋でアルベルトの帰りを待つ。あれほど怖いと感じたアルベルトだが、いないとこんなにも心細い。  ローシャは自分の身を抱きしめた。手がカタカタと震えてしまう。一人でいると現実の恐怖に心が押しつぶされそうだ。 「アルベルト、早く帰ってきて」  その恐怖がアルベルトから与えられているものだとしても。  カチャリとドアが開き、ティートレーを片手にアルベルトが戻ってきた。  ローシャはアルベルトと目が合った。アルベルトは少し驚いたような顔をした。 「ローシャ様、私がいない間に逃げ出すと思っていましたよ」 「え?…あ…」  逃げ出す、その選択肢が頭からすっぽり抜け落ちていた。  そうだ、逃げなければならないのだ、アルベルトから。待っている場合ではない。待っていてはいけない。アルベルトはもうローシャの執事ではない。 「素直に待っているとは。賢いお方だ。逃げ出した場合は厳しく躾けなければいけないところでしたから」  アルベルトは楽しそうに言った。楽しさとは裏腹の脅しの言葉にローシャは震えた。  トレーはサイドテーブルに置かれた。トレーには、すでに紅茶が注がれたカップがひとつ乗っていた。   「どうぞ」  アルベルトは機嫌の良い声だった。その声につられてローシャは自然とティーカップを取り、紅茶に口をつけた。ローシャがいつも好んで飲む甘めのミルクティーだ。  こんな状況で、紅茶だけがいつも通りだ。日常が懐かしく思えて、ローシャはまた泣きそうになった。  その光景をアルベルトは静かに見守っていた。  ローシャはティーカップをテーブルに置いた。涙が零れないように上を向いた。ローシャとて貴族だ。気丈に振る舞わなければならない時はわかる。姿勢を正し、アルベルトをまっすぐ見た。 「アルベルト。アルベルトの目的はレイ家の乗っ取りなんでしょ?なぜ僕のことは拘束しないの?アルベルトは僕をどうしたいの?」 「どうしたいか。私がどうしたいか、ですか?ローシャ様、私は…」  言葉の続きはいくら待ってもなかった。アルベルトは歩み近づいてきてローシャの両肩に手を置いた。そのままローシャを押し倒し、キスをした。 「んぅっ…」  ローシャは驚いて抵抗したが、アルベルトに覆い被られて、とても力では敵わない。  舌が侵入しようとローシャの歯をなぞった。ローシャはそれを許すまいと口を硬く閉じた。しばらく舐めとられていたが、諦めたかのようにアルベルトの唇は離れていった。かわりに耳たぶにあたるくらいの近さで囁かれた。 「どうしたいか?私はこうしたいんですよ」  アルベルトはローシャのシャツの内側に右手を侵入させローシャの腹を撫で、そのまま上に滑らせ胸の突起を触った。 「アルべ…ふっ…んん」  またキスをされた。躰を触られる感覚に意識がいっていたため、今度は舌の侵入を許してしまった。アルベルトの舌がローシャの舌を絡めとる。ぬるぬると二人の唾液が混じり合った。 「ふあっ…やっ…」  シャツをまくられ、脱がされる。アルベルトの手はローシャの胸を楽しんだ。舌はクチュクチュとわざとらしく音を立てて遊んでいる。ローシャは混乱した。こんな快楽は知らない。耐えられない。 「あっ…ぐ…んぁ…」  抵抗しようにも敵わない。唇は塞がれている。知りたいことは何も知れない。何もできない。されるがまま。息することも困難になってきて、ローシャは自分の無力さに涙した。 アルベルトは唇を離し、ローシャの涙をぬぐってやった。 「はあっ…はあっ…」  ローシャは呼吸をするだけでやっとだ。 「私の望みは、これだけです。ローシャ様」 「わ…わからない。アルベルトがわからないよ…」  ローシャの涙は止まらない、頰に手を添えていたアルベルトの指へと流れてゆく。 「ああ、可愛いローシャ様。泣かないで」  アルベルトの舌がローシャの瞳を舐める。 「ひっ」  その感触が恐ろしくてローシャは顔を背けた。 「あっ…」  ローシャに覆いかぶさっていたアルベルトは下半身を密着させてきた。膨らんだものがローシャのそこにあたる。 「わかりますか、ローシャ様。私の気持ちです」  アルベルトは密着させたまま、ぐりぐりと腰を動かした。 「あっ…やだ。やめて、アルベルト…あぁっ」 「はあはあ…ローシャ様、私を感じて」 「やめ…あっ…んん…」  アルベルトはローシャの股の間に躰を強引に入れ込み、ローシャに脚を開かせた。 「やだっ!」  ローシャは恥ずかしくて悔しくて手で顔を覆った。 「嬉しい。ローシャ様も大きくしてらっしゃる…私を感じていてくれている…」  アルベルトはボトムの上からローシャのそこを掴んだ。アルベルトはうっとりしている。 「は、離せ!」 「…ローシャ様、私はあなたをずっと見ていた」 「な、なに…」 「ローシャ様が生まれた時からずっとあなただけを見ていた。他のことなんてどうでもいい。金も権力もどうでもいい。あなたがいれば、それでいい」 「アルベルト…」 「レイ家もどうでもいいことです。あなたが私だけのものになるなら手段はなんでもいい」 「でも僕の家族が」 「家族?また家族の心配ですか?あなたの家族がローシャ様を愛しましたか?」  ローシャはズキンと胸が痛んだ。 「ああ、ローシャ様。そんな苦しげな顔をしないで。あんな奴らのために苦しまないで」  ローシャの両頬を撫でていたアルベルトの顔はとても近かった。 「私だけをみて。ローシャ様…」  アルベルトはローシャの肩に顔をうずめた。その様子は許しを乞う子どもみたいだった。 「今回の計画は私がたてたものです。レバンは権力を欲しがる男だった。私はレバンをこの計画のリーダーに仕立て上げた。私はローシャ様を苦しめるレイ家が憎かった。排除したかった」 「そんな…」 「ただ、それだけです」 「それだけ、って。じゃあ、僕の家族は僕のせいで殺されるの…?」  アルベルトの告白は恐ろしいものだった。恐ろしくてローシャは震え上がった。 「さあ?殺すまではしないと思います。政治的なことになるので、追放か幽閉か。後のことはレバンに任せていますので私は知りません。興味もない。ただもう二度とあなたと会うことはない」  アルベルトは顔を上げた。その表情はとても冷淡だった。 「うぅ…アルベルト。信じてたのに、なんてひどい裏切りを」 「裏切り!?私のどこに裏切りが?ローシャ様のことを想ってやったことです。ローシャ様のために!」 「頼んでないよ!」 「ああ、ローシャ様。なんで、なんで私の気持ちが伝わらない…」  アルベルトは悲しげに頭を抱えた。悲しいのはローシャも同じだった。どうしてアルベルトはこんな風になってしまったのか。ローシャが知ってる優しいアルベルトは全て嘘だったのか。 「ローシャ様、ああローシャ様。そうだ。私の気持ちを知っていただくために、もう一つ秘密を教えましょう」  秘密。これ以上にいったい何があるというのだ。 「ローシャ様の好きな甘めの紅茶。砂糖とミルクがたっぷりの、私がいつも入れて差し上げてるあの紅茶」 「それが…なに…」  アルベルトが仄暗い笑みをみせた。 「私の精液を混ぜています」  何をいっているのか、ローシャは理解が出来なかった。 「いつも、毎回、丁寧に入れています。ローシャ様がそれを飲み下すのを見るのが堪らなかった。私の精子があなたの中に入っていくのは喜びだった。ああローシャ様。私の気持ち、伝わりますか。あなたを想って作られた精液です。そう。あなたがついさっき飲んだ紅茶ももちろんそうです」  ローシャは血の気が引いた。吐き気がした。本当に吐きそうだ。  ローシャは顔を背け、手を口にあてた。 「うえっ…えっ…」  えずいたが、吐き出すまでは体がついてこなかった。  気分の悪さと息苦しさだけが残る。 「ローシャ様、大丈夫ですか」  苦しそうにするローシャに驚いたアルベルトはすぐに背中をさすってやった。  この人は誰だろう。  ローシャは気持ち悪さに支配された頭で考えた。知らない。こんなアルベルトは知らない。こんな人は知らない。この人は誰。 「離せ!」  パシッとアルベルトの手を払いのけた。それからローシャは激しく抵抗をみせた。 「どいて!あなたは誰?アルベルトはどこ?アルベルト助けて。アルベルト!」 「落ち着いてローシャ様。アルベルトはここにいます」 「違う。やだ。お前なんかアルベルトじゃない!うぅ、うぅっ…アルベルト、アルベルト」  ローシャは泣きじゃくった。手足をできるだけ大きく動かしアルベルトから逃れようとした。その拍子にローシャの足はサイドテーブルを蹴飛ばした。テーブルに置いていたティーカップは落ちて割れた。  アルベルトはローシャの抵抗を受け止めながら、視線を割れたティーカップに向けた。壊れたものはもう戻らない。アルベルトは視線をローシャに戻した。狂ったように泣くローシャが映る。 アルベルトの手がローシャの首にのびて、喉を締めつけた。 「あ…が…」  息ができない。ローシャはアルベルトの腕を引っ掻いた。しかしその力がゆるむことはなかった。 「っ…アル…べ…」  ローシャが必死になって手を伸ばす、その指先はアルベルトの頰に触れた。  ハッとした、アルベルトは手を離した。 「かはっ…はあっはあっはあっ…ゲホッ」  ローシャは酸素を取り込もと肩全体を揺らして息を吸い込んだ。 「ゲホゲホッ…はあ…はあ…はあ…」  落ち着いてきて、ローシャはそっとアルベルトを見やった。  アルベルトは両手で顔を覆っていた。 「ああ、ああ。なんてことを。私はローシャ様になんてことを」  指の間から涙が伝う。泣いている。 「はあ…はあ…、なぜ、泣くの?」  呼吸を整えながらローシャは問う、やけに冷静な自分がいる。 「ローシャ様。好きなんです。本当です。あなたが好きなんです。あなたが生まれた時からずっと。そんな私を否定しないでください。私を突き放さないでください。お願いです。ローシャ様。私の気持ちを受け取って…お願い」 「…ずっとそんな風に僕を見ていたの?僕はあなたを信頼していたのに」  ローシャも涙が溢れてきた。 「それがあなたの本性?優しくて頼りになるアルベルトは全部嘘だった?」 「ローシャ様にいつも欲情していました。寝ているあなたにキスをしたこともあります。あなたのことを思って自慰もしています。私の世界はローシャ様が全てです。どうか、私以外のことを考えないで…」 背筋が凍るような告白をさらりとされた。気持ちが悪い。これはローシャの知っているアルベルトではない。 「…あなたは、誰?」 「私はアルベルトです。ローシャ様の執事です。それは変わりません。これからもそうです」 「これからも…?」 「レイ家は関係ありません。私はローシャ様の執事です。ずっとあなたをお守りいたします」  アルベルトは流れる涙を隠そうとしなかった。大人の男性が泣いているのを初めて見たから、アルベルトが泣いているのを初めて見たから、ローシャはその涙に魅入ってしまった。  ローシャも自身の涙を拭う気にはなれず、ただただ流したまま。 「こんなこと…こんなことしなくても僕はアルベルトのこと」  アルベルトがローシャを見た。 「好き、だったのに」  ローシャは無気力にそう言った。アルベルトは乞うように言う。 「もう遅いですか?こんな私では嫌ですか?ローシャ様」 「わからない…」 「ローシャ様、私を見てください。私のものになってください。ローシャ様が私のものじゃないなんて気が狂いそうだ。私にはローシャ様だけだ」  自分勝手な物言いばかりする男だ、とローシャは思った。アルベルトはこんな勝手な男だっただろうか。アルベルトはもっとしっかりした人のはずだ。アルベルトはもっと思いやりのある人のはずだ。  ああ、違う。  自分はアルベルトにいつも甘えてばかり。なんでも彼を頼りにして。現実はあまり見ないでのん気に生きてた。だから、アルベルトがここまで自分をさらけ出してるのに、受け止めてやれない。本当の彼を見ないで幻想の彼の姿ばかり探している。 「アルベルト」 「はい、ローシャ様」 「僕はアルベルトがわからないよ」  アルベルトは押し黙った。ローシャは続けた。 「でも、嫌いになれない。僕には、僕の人生にはアルベルトだけだったから」  記憶を辿ればローシャの側にはいつもアルベルトがいた。アルベルトしかいない。 「正直、どうしていいか分からない。でもアルベルトのいない人生も想像できない」 「ローシャ様、それで構いません。分からないままでいい。だから私を拒絶しないで」 「アルベルト…」 「この世界で私よりあなたを想っている人間はいない、絶対。これは絶対です」 「うん…。うぅ…ひっく…」 「ローシャ様、泣かないで。愛してる」  アルベルトがローシャを抱きしめた。それは優しい手付きだった。そう、アルベルトは優しい。ローシャはアルベルトを抱き返した。  悪い流れに乗っている。そっちに行ってはいけない。ダメな方向。  そう思うのに、ローシャはアルベルトに縋ってしまう。  それはいけないことなのか。それでいいのではないか。  アルベルトにはローシャだけだし、ローシャにはアルベルトだけなのだから。  ローシャとアルベルトは見つめ合うと、自然と顔が近づいていった。  口づけをした。一方的ではない、求め合う初めてのキス。 「アルベルト、愛してる」  ローシャの愛の囁きは、どこか他人事だった。自分はどこへ向かうのか。  その後、レイ家がどうなったかのは知らない。執事と少年は姿を消した。  どこかの土地のどこかの屋敷で声がする。 「ローシャ様、紅茶をお入れしました」 「ありがとう、アルベルト」  執事が見守る中、少年は紅茶に口をつけた。  その紅茶は、砂糖とミルクを贅沢に使っている、いつもと同じ味がした。

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