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番外編 貴方の香りに包まれたい3
相手の都合で商談の時間が早まり、早めに帰宅の途に着けたのは僥倖だった。
中央からクルバ行きの赤い列車に飛び乗り、メテオは新婚のラン会いたさに翌日を待たずしてハレヘまでたどり着くことができたのだ。
昔と違いクルバから新たに鉄道がひきなおされているのでキドゥまで列車が走っているのだ。国の中央部を走る列車が南までひかれ、鮮度の良い海産物、農作物も中央やもっと北の地域まで多く届けられることになったし、その逆もある。
ソフィアリが初めてハレヘに来た20年近く前と違い、鉄道も速度を増したし随分便利になったのだ。
しかし朝中央を出て乗車したというのに長い道のりは若いメテオでも足腰だるくなるほどで、キドゥについたときはすでにすっかり日は暮れていた。
夕方以降はキドゥとハレヘの間には乗り合いバスもでていない。大分時間はかかってしまうが歩いて戻るしかないかと思案する。まずは腹ごしらえしようと地元のものでごったがえす馴染みの大衆食堂兼酒場に重い鞄を抱えるようにはいっていった。
「今帰りか? メテオ」
ごった返した食堂の中で大柄な制服姿の一群が店の一角を占めていた。
ラグまでとはいかないが身体が大きく揃いのネイビーブルーの制服姿はとにかく目立つ。隊長の姿は見えず、若い隊員が数名だったが、一人は友の少ないメテオの数少ない幼馴染だった。よく日に焼けた筋肉の盛り上がった腕をぶんぶん振って彼らのテーブルに招いてくれた。
彼はハレヘ育ちで漁師の元締めの末息子だ。父も、2人いる兄たちも腕っぷしが強くて有名だった。兄たちは漁師になったが、末っ子の彼だけはハレヘの守護神であるラグに憧れて海で鍛えられた足腰を生かし警ら隊に入ったのだ。
目立つという点ではメテオも負けていない。慌てて列車に飛び乗った中央帰りのため、服装もあちらに合わせたこの秋冬の最新モードだ。身を包むのはこの秋から中央で流行中の灰色の暗いトーンの服装で、南国の極彩色の布が掲げられたごちゃついた食堂の中では洗練された美麗さで浮きに浮いている。それでなくともメテオは国一番のジゴロでならした父によく似た端正でしゅっとした、街中でもよく目立つ容姿をしているのだ。
「中央からさっきついたとこなんだが、足がないからまあ腹ごしらえしてのんびり歩いて帰ろうかと思っていたところだ。ケレス、夜勤前か?」
ケレスは兄たちと同じく長髪の巻き毛を一つにくくると、マメに大皿をテーブルの上であっちこっちに回してとりやすくしてやっている。この気遣いの良さがメテオのような実はマイペースで職人気質の男と仲良くやってこれる秘訣だろう。
「いや、今日までキドゥの警らの当番だったから今日はもうこれ食べたら帰れる。俺らもハレヘに帰るから車乗ってけよ。可愛いランが待ってるんだろ? 」
その申し出にメテオは幼馴染にしか見せないような飾らない静かな笑顔を浮かべ、ほっとした様子をみせた。中央出張ではとにかくメルトの後継者であり『新進気鋭の調香師』としてラズライト百貨店の店頭に立って商品を説明するイベントに出たり、バルクの紹介で多くの人に会ったり、気の張った時間を過ごした。持っていた香水のサンプルとランへの土産でぱんぱんになったカバンをその気負いと共に足元にゆっくりと下ろす。
「ありがたい。街まで歩く気でいたから。さすがに疲れた」
「寝台列車で朝目指してゆっくりかえってくりゃいいのにそんなにランに会いたいか。まあわかるけどな。俺も一日ぶりに妻に会いたい」
同じく新婚のケレスはそう言って後輩たちに席を詰めさせ、どかっと大皿料理をメテオの前にも差し出した。
「お前も食べろ。どんどん食べて、家に帰ろう」
警ら隊の創設者で総司令官はラグだが、現在の隊長は軍人時代のラグの腹心の部下だった人物が務めている。戦争後多くいた退役軍人の中でも信用と信頼がおけるラグも認めた好人物で、ちなみに彼もフェル族出身だ。とにかく身体が大きくて顔はラグよりさらにずっと強面をしている。しかし陽気で明るく面倒見の良い性格なので皆から慕われている。大きな声でガハガハ笑うので大笑いの隊長さんと呼ばれている。
隊員はハレヘで育ったもの、キドゥで育ったもの、そして街の外から来たものがみな仲良く街の治安を守っている。主に街のもめごとの仲裁を領主から権限を委任されて行い、刑事的な事件が起こった場合は軍や警察に捜査に協力するがあくまで治安維持と警らが仕事だ。ネイビーブルーの制服と共に現在は街の子供たちの憧れの職種だった。
警ら隊用の公用車にはハレヘにある下宿先に帰る警ら隊員が3人が乗り込み、一人は運転席、メテオは助手席に載せてもらえたが後ろの二人は身体が大きく荷物も載せたらぎゅうぎゅう詰めだ。
「メテオさん、さあ。農園のオメガとも親しいんですよね? ピアって今恋人いるのか探ってもらえません? ピアって可愛いですよね。オメガなんですよね。俺は番うならああいう気が強くて可愛いタイプがいいんだよなあ」
運転をしていたキドゥ育ちの若い隊員がそんなことを聞いてくる。彼はまだ警ら隊に入って日が浅いのだ。しかしキドゥの街では負けなしの喧嘩の強さを買われて警ら隊に入った。しかもアルファという変わり種だ。縁故を大事にするわけではないが、やはり警ら隊の性質上、素性がはっきりしているものがラグの知り合いやツテを頼りに入ってきている。そんな警ら隊において、街でスカウトされるのは初めてのことだ。新しい世代の隊員と言っていい。
よく香水店より坂の上にあるパン屋に歩いていくついでにアスター香水店を覗いていったため、はじめはラン目当てかとメテオは警戒していた。実際はたまにくるピア目当てだったわけだ。
妙に懐っこくて憎めない男で馴れ馴れしいが人の懐に入るのが上手でメテオとは違って天性の社交性がある。
しかしさすがの長旅で疲れて眠そうなメテオに代わって答えたのは幼馴染のケレスだった。仕事中は如才なくメルトのように明るくスマートに振る舞え女性に非常に人気のあるメテオであるが、本来は無口で職人肌という元々の性格をしている。幼いころからの彼の性格をよく知っていて、昔から何かれと間を取りもつ優しい青年なのだ。市場の八百屋の娘が新妻で、赤ん坊も生まれたばかりでたまにランも子守りに駆り出されている。そんな彼が窘めつつはっきりと後輩にくぎを刺す。
「おい、お前知らないのか? ピアはメテオのことが好きだったんだぜ」
「え、初耳。だってメテオさんの番は昔からランちゃんって決まってたんですよね? 俺、警ら隊にはいったときランちゃんはメテオさんの許嫁みたいなものだから死んでも手を出すなってあの穏やかなラグ様に結構はっきり言われてたんだぜ」
メテオとランが血のつながらない兄弟であること、ランがオメガでメテオがアルファであることは商店街の面々も漁師の面々も当然農園の人々も周知の事実だ。ついで子供のころからメテオがただならぬ執心をランに抱いていることもみな知っている。夏の終わりについに番になった時は町中祝福の声も多かったが正直ほっとしたという安堵の声がさらに大きかった。
「それは幼馴染の俺もずっと言われ続けてきたぞ…… 俺はメテオにランに手を出したらいろんな意味で街にいられなくなると脅されたぞ。あの顔は冗談じゃなかった。メテオってさ、顔なんて親父さん似だけどなんか目がキロって光るんだよ。あれ何年かに一度ぐらいしかみない怒ったラグ様そっくりだよな。こないだのラン番未遂事件の男、ソフィアリ様の甥っ子だったらしいしけど…… えらい目にあってたよな。吹っ飛ばされて骨折…… からのラット中なのになかなか効いてこない抑制剤打って部屋に軟禁って…… 俺もあのとき近くいたからさ。手を出したらやばいって宣言どおりだったな…… まあ、だから、ピアの片思いだ。あいつ、ハートが強いからへこたれずにメテオによくアタックしてた。見習いたい強さだ、うん」
「俺はそういう気が強いタイプが好きなんですよ。いいなあ。ピア。あのストロベリーブロンドに菫の花みたいな目の色。はねっかえりでつんつんしているとこも可愛い」
「お前のこと相手にしてないとこも可愛ってか?」
「まだそんなに話したこともないし。これからだと俺は思ってますよ」
バックミラーに映る後輩のにやついた目元と目が合い苦笑いする。ケレスは狭い車内で伸びをすると酒が回ってイビキをかいている後輩をついでに小突いた。
「いや、ほんとは俺もランみたいなタイプが良かったんだなあ。小さいころからほんと可愛かったんだぞ、変な意味でなくな。にこにこ懐っこくてさ。といってもメテオのせいで殆ど構えなかったけどな。俺はそもそもああいう、ほわっと可愛い子が良かったんだよ。そんなことメテオの前では死んでも言えなかったが…… まあ、今はいくら気が強くて声がデカくて迫力あっても、カミさん一筋だからいいんだ俺は」
「すっかり尻にひかれてますよね? しかしなんでハレヘの女はみんな強そうなんだろうな…… キドゥも似たようなもんだけど」
「そりゃ逞しく強い海の女神様の街だからだろう」
そんな彼らの若者らしい仕事終わりのぐだぐだ勝手な会話を聞きながら、車の振動と満腹感、そして心地よい疲れからメテオはうつらうつらしてきてしまった。
そんな姿に気が付いた気のいい隊員たちは目配せしあって声を小さめにして話をつづけた。
「まあ、いいんだ。運命じゃなくても番じゃなくても。メテオさんとランちゃんみたいに愛し合える相手が欲しいってだけだな。ほらあれ、二人が番になってからさあ。有名だもんなあ。あの声」
メテオが寝たとみるやニヤニヤとしたイヤらしい笑みを深める後輩に、ケレスも思わずつられてにやける。
「ああ、あれか。あれはすごいよな。流石に俺はダチだからなあ。ちょっとあれだが」
「静かな商店街の夜に響き渡る、仲良しの声…… 俺みたいな独り身にはつらい仲良しの声……」
美しい石畳の坂道の商店街。その真ん中より上の方にある、アスター香水店。
商店街は店舗だけで住居まで備えている店は多くなく、夜になるとしんと静まり返る。人気も少なくなるので空き巣などの防犯のため、店舗側の坂をあがり裏手の階段を通って警ら隊はパトロールを行う。
その静かな商店街を夜半から夜中警らしていると……
夜な夜な聞こえてくるのだ。
アスター香水店の開け放った窓辺から聞こえる、二人が仲良く睦みあう声が。
特にランの愛らしいあの時の声が!
このことは流石に警ら隊の若者隊員だけの秘密にしているが、多分商店街に住んでいる人や夜中に通りがかったものなら…… 多分知っている。
漏れ聞こえる程仲が良すぎるのも考え物だと思うが、長い両片思いの期間を知っているケレスは新婚の今、彼らには怖いものなど何もないのだろうと思う。
ランが聞いたら卒倒ものだが、メテオが知ったらまたそれはそれで恐ろしいことが起きそうだ。
(耳でもちぎられそ……)
「いいよなあ。俺も欲しいなあ。甘い声だして俺の下であんあんいってくれる、可愛いすぎる恋人」
街についたぞと友人に揺り動かされてメテオは目覚めた。起きたらもうハレヘだったので時間にしたら半刻ほどだが意外と深く眠ってしまっていたようだ。メテオの他にも隊員が一人高いびきをかいていたがそれにも気がつかないほどだった。
彼らは親切なことにわざわざ下宿所より先にある、店の裏口に続く階段の下で下ろしてくれた。車から出てからカバンの中をあさると、ケレスたちへのお礼に甘い中央の菓子を取り出し渡す。陽気に手を振る彼らはハンドルを切りかえし下宿所の駐車場まで静かに引き返していった。
数日ぶりの我が家に向けて街灯が点々とついた階段を踏みしめる様に上っていく。
商店街沿いの坂は一本だが右側と左側のそれぞれの商店の裏口に通じる階段は二本ある。香水店側の階段の方は住居にしている店が少ないので本当に静かで夜など怖いぐらいにしんと静まり返っている。
物騒なのでランには一人の時はできるだけ農園の家に帰るか鍵をしっかり閉める様に申し付けているが、今日は階段に続いた小さな門に近づくと見える景色の様子がすでにおかしい。
もはや深夜に近づく時間なのだが、浴室から電気が漏れていて、庭に通じる浴室の扉を触ると鍵がかかっていない。不用心なことこの上ないうえに、なぜか振り返るとわずかに工房の窓も開いていた。ここもちゃんと戸締りをしてから寝るようにしているのでランに何かあったのかと急に苦しい程動悸が高まってきた。
メテオはそのまま浴室を通って室内に入っていった。湯は冷めて水まではいかないがかなり温い。先ほどまで入っていたわけではなさそうだが、電気はついたままだった。ランは意外と几帳面なのでこんなやりっぱなしで置くような子ではない。
「ラン? 起きてるのか?」
外から見たとき二階の支度部屋の明かりと寝室からも明かりが皓々とついているのが見えたから、日頃規則正しいランがこんな時刻まで夜更かしをしているのは珍しいと思った。しかし物音一つしないので起きている気配はない。明かりをつけそこら中、どこもかしこも開けっ放しにしたまま、まさか寝てしまったのか。
二階の廊下からも明かりが漏れている。かばんを廊下にそのまま置き去りにして階段を上がっていくと、なにか店の商品では嗅いだことがないような、しかしどこかなじみのあるような香水の香りが濃く漂ってきて、メテオは息をのむ。思わず意識を集中させて香りの構成を探ってしまった。
(この香り。少しクィートのフェロモンに似ているな…… なんだ? なんの香水なんだ? どうしてこんなに香る?)
意図的に振りまいたようにそこら中から漂う少し男性的で爽やかで、さっぱりしたでもどことなく甘い。既視感を抱く香り。
それと混じるのはランの爆発的なフェロモンの香り。ヒートでもないのに廊下まで漂うなど尋常じゃない。疲れも手伝い、メテオはその香りの奔流にくらりと眩暈を感じる程だった。
番を持つランのフェロモンが他の者に作用することはないが、メテオには効果てきめんだった。次第に息が上がり、身体中の血が滾るように増す灼熱の暑さに思わず上着を脱ぎ、タイを引きちぎるように取り去って共に床に投げ捨てた。
「ラン? どこにいる?」
手前の支度部屋を開けると、なぜか左側にある父から譲り受けた北の木材を使った重厚なクローゼットは全開に開いていて、ハンガーばかりが目に付くほど空っぽになっていた。
奥の板までほぼ見えている。まさか物取りでもはいったのか? 気ばかり焦って続き部屋に行こうとしたら、床に点々と散らばる洋服に足を取られかけて思わずよろける。
慌てて壁に手をついてから隣の部屋を覗くと驚きの光景が広がっていた。
「ラン?!」
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