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第13話
急いで外に飛び出したが、ラウの行動はすでに遅かった。いつどう立ち去ったのか、エリファレットの姿はどこにもない。
ここで待っていろと言ったラウに頷いたエリファレットだ。自ら目の届かないところに行くはずがない。
「くそっ……!」
ラウのところに銀狼がいるという噂は、知る者には知られるところとなっている。あの日、酒場でエリファレットを見た者ならば、容易に銀狼と結び付けるだろう。
「どこにっ……!?」
焦ったラウは冷静さを欠き、どう跡を追っていいのかわからず鍛治屋の前で立ち尽くす。
初動で方向を間違えれば、追い付くことは不可能だ。
ラウは街中でエリファレットを連れて歩くことが危険だと認識していたし、警告もされていた。
それなのにこの様だ。
上背のない華奢な女性が、ラウの頭の中で冷ややかな視線を投げかける。
思い浮かんだ人物にはっとし、ラウは急いで懐から鈍色の石を取り出した。
遠方にいる者と簡易に連絡を取ることが出来る魔力が込められた、魔英石と呼ばれるものだ。
魔英石は使い切りな上高価なため所持者は少ないが、ラウは彼女の依頼を受ける際には必ず持たされている。
掌に乗るほどの石を右手に、ラウは左の親指を噛んで傷をつけた。
溢れた血を魔英石に垂らして近くに放ると、鈍色の石が虹色に輝き始めた。血液を溶かして蒸発するように虹色の石からモヤが立ち昇り、やがて一つの像を結んだ。
小柄な女性がラウに気付き、優雅に小首を傾げた。
『あら、ラウ。どうしました?』
ラウがミレイアに持たされる魔英石を使うことは滅多にない。不測の事態に備えて持たされているだけなのだ。使う機会などそう多くはなかった。
それを別れて数時間のラウが使用して接触してきたのだ。何かしら起こったことは彼女にもわかっているだろう。だが彼女の花の顔は、驚愕も焦燥も浮かんでいなかった。
いつものようにゆったりとラウに話しかける。
『何かありましたか?』
「エリファレットを探してくれっ!! いなくなった……!!」
食い気味のラウの剣幕に、ミレイアが大きな目を驚きでさらに大きくさせる。
「少し目を離した隙にいなくなった! 何か知らないかっ!?」
エリファレットは銀狼だ。貴重な生き物である。捕らえたからといって、すぐに殺されることはないだろう。だが、殺された方がマシな目に遭う可能性は否定出来ない。発見が遅れれば遅れるほど、その危険性は増す。
『ラウ』
「早く見つけないと取り返しがつかないことになる……!」
『ラウ』
「早く……!」
いくら身体能力が高い狼族とは言え、多勢に無勢、あるいは罠にかけられたとなれば容易くは逃げられないかもしれない。銀狼を狙っての犯行なら、対策は当然しているだろう。
苛立ちと忌々しさ、憤懣と焦燥がラウを襲う。
取り乱すラウを前に、ミレイアがすっと息を吸った。
『落ち着きなさい、ラウ・ファン・アス』
可憐な鈴の声が凛と響いて、ラウははっとした。刺さるようなミレイアの声が、ラウに冷静さをもたらす。
「……悪い……」
小さく詫びると、ミレイアが凛とした表情を崩さず可憐な唇を開いた。
『……状況を説明いただいた上で、情報を集めることは出来ます。ですが、現在視持ちでない私は、今現在の正確な状況を把握することは難しいです』
「っ……!」
どれだけ早く正確に情報を集めたとしても、一旦ミレイアに集まったそれがラウに届くころにはすでに過去だ。
ミレイアの言葉に、ラウはギリっと奥歯を噛み締める。
ミレイアはそんなラウの様子を見て、小さく息をついた。
『……でも、そうですね。私より、後ろの御仁の方がよいお知恵をお持ちかもしれません』
にっこり、と艶やかにも美しく微笑んだミレイアに、ラウは顔を上げて素早く後ろを振り返った。
細く開いた店の扉の隙間から、落ち窪んだ片目がギラリとラウを睨んでいた。
『お久しぶりです、翁』
ミレイアの穏やかな挨拶に、老人の落ち窪んだ目が彼女に向けられる。
「……仲介屋か……」
『ええ。先日は研ぎをありがとうございました。素晴らしい出来でした。先方もとても喜んでいらっしゃいました』
「ふん……あのような刀、どこの世に顕現すると言うのか……」
『ふふ……必要なところに、とだけ申し上げておきます」
「そんなことはどうでもいいっ! エリファレットの行方を知っているのかっ!?」
気色ばむラウに、話を中断された老人が鼻白んで鋭い視線を向けた。一瞥した先は、老人が研いだばかりの刀だ。
「……気付かぬのか?」
どこか侮蔑をも混じる老人の問いかけに、ラウは柳眉を寄せる。ミレイアを横目で見て、自身の手の中にある刀に視線を落とした。
無意識のうちに、固く刀を握り締めていた。
そうして、ようやくそれの違和感に気付いた。
キィィィンと、刀が鳴っていた。
「なんだ……?」
掌から振動が届くように、頭の中で響くように鳴る。
「ほんに主には勿体ない太刀じゃて……」
ようやく気付いたラウに、老人の嗄れた声が呆れて落ちる。
人通り少なく、薄暗い路地裏に店を構えるのは、この老人が陽の光を嫌うからだ。今も隙間から覗く目が、僅かな光を厭って不愉快に顰められている。より眼光鋭くなった老人の目が、ラウを下から睨め付ける。
「……その太刀は、一度覚えた気配は忘れん。主が真に使い手であるならば辿ってみよ」
出来ぬのであれば、即刻返上せよ。
老人の言葉は鋭く、容赦なくラウを襲う。
ラウは刀に視線を落とし、神経を研ぎ澄ませてそれを握り込む。この刀との付き合いは数年だ。ラウが独り立ちした時から揮ってきた剣に比べれば、付き合いは短い。だがこの刀はラウをよく助け、よく手に馴染んでいる。命を預ける刀が伝えることならば、わからないはずがない。
「ありがとう……!」
水を嵌め込んだ瞳が凪いで、冷静さを取り戻す。
ラウの礼に老人はひどく嫌な顔をして、細い隙間から追い払うように手を振った。
「いつまでも店の前で立ち往生するでない。さっさと去ね」
その太刀の音は、頭に響いて気分が悪くなる。
ラウは刀を強く握り締め、二人を振り返ることもなく駆け出した。
放り出されたままのミレイアが、矢のように消えゆく後ろ姿に呆れたため息を落とした。
『……あれで無自覚とか、本当に質の悪い男ですね』
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